第十二話 Canary Rage ②
逃がしたんだね。僕が近づくと篠田は静かにそう言った。僕は正直に頷く。
「篠田ツカサは近くの刑務所に移送された。うちの係長の尽力の結果だ。君という『一人』を捕らえるために『大勢』が動いている。奪われる可能性のある命を放置するわけないだろう」
「そう、だよね」
篠田は囚人に向けていた腕をだらんと垂らし、攻撃する意思がもうないことを暗に表明する。その代わり、瞼を薄く閉じた運命の悪女のような眼差しでこちらを見てきた。
「ねえ島崎くん。あなたはなんで、警察なんかに協力するの? 汚らしい国家に、なんで従属しているの?」
それは偏にキョゼの自由のためだ。僕は即答する。
「『記憶の同期』……。初めてモナドと一体化したとき、君も体験したと思う。モナドはこの十年間、自由のないカプセルの中にいた。生命が生命として扱われないまま時が過ぎ、皮肉にもテロ集団のお陰で外に出られた。僕が戦わないと、キョゼはまた不自由な世界に囚われる。それじゃだめなんだ。命は、命らしくあるべきなんだ」
「狂ってるね」
「え?」
暗い声色で篠田は「あなたももじゅうぶん、狂ってるね」。
言葉が出なかった。いや、あまりのショックで出せなかった。自分自身でも崇高だと思っていた事柄を、「狂ってる」の一言に蹂躙された。その事実は僕の心身をひどく蝕んだ。僕の理念は間違っているのか? そんな疑念がすぐさま脳裡によぎった。やがて疑念は、思考回路を停止させた。
固まってしまった僕に構うことなく、篠田は言葉で畳みかける。
「〝出会ったばかりの生き物に同情したので、僕はこの子のために命を顧みず戦います〟。あなたの言ってることを要約すればこうなるのよ。自分でおかしいと思わないの。イカれてるとは思わないの」
「………」
「あなたは生命に固執している。それも自分のものではない、他の生命に。ねえ島崎くん、私は知りたい」
あなたはなぜ、そんな思想を持っているの?
そういう考えを持つようになった原因は、なに?
「それは、それは——」
記憶の切れ端が、蠢く。あれは戦没者慰安局で見た、父親の頭蓋骨……。その、一部。手のひらくらいの大きさの、白い破片……。
「僕の父親は、戦死した。攻撃の激しかった地区にいたらしくて、帰って来たのは頭蓋骨の一部だけだった。命に対する価値観が定まったのは、きっとそのときからだ」
「具体的に教えて。あなたは、人の命をどんなものと考えてるの?」
「どんなもの………。この世で最も大事なもの、とは思ってる。簡単に奪われてはいけないものだと、考えてる」
「簡単に奪われてはいけないもの、か。ああ、さっき言ってたね。『筋道なしに人が死ぬなら、それはただの殺戮だ』って。でも〝この世で最も大事なもの〟なのに、奪われることを完全に否定しないんだね。いいよ、返事なんかしなくて。客観的に見ても、あなたが狂っていることに間違いはないんだから」
◇◇◇◇◇
「そろそろ、終わると思うんですけどねぇ」
拮抗した戦闘を繰り広げる回収屋は道化のようにそう言った。
「私の勘は基本的に当たるんですよ。どうやらそういう〝人種〟らしくて。なのでこの勘もたぶん当たる。島崎ショウと篠田カナの戦いは、もうすぐ終焉を迎えます」
「お前の勘なんてどうでもいいさ。それより、ショウの名前をどこで知った。お前はショウの何を知っている」
「さあね。それこそ勘かもしれませんねぇ」
ふざけやがって、と草彅は毒を吐く。戦闘の影響でぽっきりと折れてしまった標識を掴み、回収屋に向かって投げつける。回収屋はいとも簡単にそれを避けると、切っ先をこちらに向けて突進してくる。仕込み刀が肉体に触れるすれすれの位置で草彅は身をよじって躱し、すれ違いざまに顔面パンチをお見舞いする。
回収屋は大きく後退しつつも不敵な笑みを浮かべた。
「なかなか良い拳だ、草彅サヤカ。敵との戦い方は大熊セイイチロウに習ったのか? それとも夏廻ソウマと特訓したか?」
「何ィ?」
氏名が割れているのはショウだけではなかった! やつの口調から察するに、他の二係メンバーの素性もバレている。つまり……。
(警察内に、回収屋と通じているものがいる………)
「お仲間がたくさんでよろしいらしい」
「ええ、お陰で刺激的な毎日を送っています」
回収屋は攻撃をぱたりとやめてしまった。今しがた殴られた左頬がまだ痛むらしく、すりすりと手で何度もこすっていた。
「どうした、クソ業者。楽しいダンスの時間は終わりかね」
「ええ、残念ながら」
「おいおいつれねぇな。私はまだ踊り足りないんだが?」
「ははは。私はもう、お役御免なのでここで帰らせてもらいます。いずれまた一緒に踊ることになるでしょう。そのときまでお預け、ということで。ああ、『憤怒のモナド』はお譲りします。いずれ回収しに参りますので」
ではさようなら、『篠田』に翻弄された哀しき貴女………。
「おい待てッ、みすみす逃がすかよ!」
草彅は渾身の力を込めて機能不全のアマノムラクモを投擲する。しかし回収屋には当たらない。回収屋はどこからともなく煙玉のような道具を使用して、すでに姿を消してしまっていた。アマノムラクモは白霧を斬り裂き、あえなく地面に落下した。
草彅はデバイスを取り出し、急いで捜査本部に連絡を入れる。
「あー、こちら草彅。すんません、回収屋を取り逃がしました。今すぐチマナコ使って追ってください。私は拘置所に直行します。では」
デバイスの向こうにいる人物の声を聴かないまま、草彅は通話を切った。
橙色の太陽が色の深度をさらに増している。夜の帳が降りつつある。夏廻たちが使用したCCの稼働限界もそろそろだ。
急いで、二人のもとに行かなければ。
地面に倒れた自分のウエポンを拾い上げると、草彅は人気の失せたアスファルトの上を全速力で駆けて行った。




