第十一話 Canary Rage
るる、るる、るるる。二係號に無線が入る。運転で忙しい夏廻さんに代わって僕がカーモニターをいじって応答。電波の向こう側にいるのは他でもない佐々城ミツヒコ係長だった。
係長は僕らに〝とある報告〟をしてくれた。係長の主導のもと、本件最大の懸念事項を防ぐための「先回り」が実現に至ったらしい。どうやら最悪の事態だけは阻止できそうだ。
夏廻さんは了解、と一言放って再びハンドルに集中する。係長も現場の忙しさを察したのか、返事はせずそのまま無線を切ってしまった。
高速道路の側壁を突き破った車について行くわけにはいかなかった。回収屋たちの追跡は一度諦め、お行儀のよい二係號はICから高速を降りる。
「サイレン鳴らすよ」
夏廻さんがアクセルでもブレーキでもないペダルを踏む。直後、天井で開閉音。きっと赤色灯がぴょこりと出現したのだろう。その後まもなくして不安を煽る警戒音がこだまし始めた。
レセプターどうしの戦闘に注目されないように、高速での移動中はサイレンを切ってあった。でもまあ、あれだけの爆発音だ。サイレンを切るように言ってきたのは、係長よりももっと上の立場の人間だけれど、結局意味がなかったように思われる。権力者も怖がりだな、と僕は思った。
あと九百メートルで拘置所に到着する。そのタイミングでもう一度無線が入った。今度は大熊さんからだった。
『サヤカが回収屋と交戦中。詳細は不明だが車は使えなくしたらしい。篠田カナはその場から逃走。………うん? ああ、そうか分かった。ありがとう鳥巣。いま入った情報だ。どうやら篠田は『憤怒』と一体化した状態で拘置所内に侵入したらしい』
ちくしょう、と夏廻さんは悔しがりそれ以上下がらないアクセルを力強く踏みつける。
僕は大熊さんに礼を言う。そして無線を切り、膝の上のキョゼのほうを向いた。
キョゼは真剣なまなざしをして、「正念場だな」。僕は頷いて答える。
「そうだね。篠田カナは何としてでも止めないといけない。彼女は八人もの命を奪った殺人鬼だ。そのうえ父親殺しを遂行し、また罪を重ねようとしている」
犯した罪は覆せない。失われた命は回帰しない。それがこの世界の理だ。それがこの世界の真実だ。
彼女は罰という名の茨に囚われながら今後の人生を歩むことになる。さっきも言ったように、絶対的な理の前にその茨が取り払われることは決してない。清算されることのない罪が限りなく清算されるまで彼女は生きなければならないのだ。それが、どれだけの苦行なのかは僕には分からない。分かりたくもない。
「でも、これから絡みつく茨の数は減らすことができる。彼女に楽をしてほしいわけじゃないけど、同時にこれ以上苦しめたくない」
「そりゃあおれも同じ気持ちだ。おれだって『憤怒』の野郎に説教してやりたい。『この馬鹿野郎! 人殺しの手伝いするなんて、何考えてんだてめぇは!』——って感じに」
「ははっ、それいいね。絶対言ってやろう。だからそのためにも——」
篠田たちを、捕まえるよ。
キョゼは勇壮な笑みを浮かべて、もちろん、と返答した。
爆走する二係號はやがてT拘置所に到着する。
僕は速やかにシートベルトを外すと、外に飛び出し、すぐさまキョゼと一体化する。身に着けた制服ごと、僕は白い怪物に変化した。
『状況』を認識した篠田が錯乱し、他の囚人に危害を加える可能性も排除できない。一刻も早く彼女を見つけ出し、身柄を確保しなければ。僕は白い靄がかかったポケットを上から掴み、中に手錠が入っているのを確かめる。
「いいですよね、夏廻さん」
運転席の彼は首肯して、「僕も後から向かう。僕が君に追いついたとき、篠田カナの手首にそいつが掛かっていることを願ってるよ」
夏廻さんはひらひらと手を振ると身に着けている装備を確認し始めた。
僕に与えられた〝嘱託捜査官〟という役職は、言い換えてしまえば対レセプター用の『戦闘要員』に過ぎない。ゆえに手錠の携帯こそ許可されているのの、個人の判断による逮捕権の行使は認められていない。僕が犯人を逮捕するには二係メンバーのうち、草彅さん以外の誰かがそれを認可する必要がある。
そして今——、認可が下った。
僕は靄が揺らめく拳で胸を三回打ち付けると、堅牢な牢獄へ歩を進めた。
◇◇◇◇◇
B棟三階6号室、三階6号室、6号室……。
回収屋からリークしてもらった父が入る独房の場所。カナは譫言のように唱えながら燃える体で階段を駆け上がる。
そこは白で塗りたくられた無機質な空間だった。左右にずらりと並ぶいくつものドアは頑丈に施錠され、罪や悪意といった最上級の黒色をそのなかに封じ込めている。突き当りの小窓から差し込むわずかな夕焼けだけが唯一の救いだった。
1、2、3、4、5……。6号室の前。戸惑う様子もなく、カナは拳を突き立てる。
電子的にロックされていた扉は閃光を走らせて崩壊する。房の中が露わになる。
憎むべき父、篠田ツカサは——、しかしそこにはいなかった。静謐な三畳一間だけがそこにはあった。
「どこに……、いったいどこに……」
ただ茫然と正面を見る。狭い、狭い小部屋を、ただ茫然と、カナは見ている。
そして、激情がカナを襲う。耐えがたい憤怒が、浸蝕し始める。
殴った。殴った。思うがままに殴りまくった。無我夢中で殴り続けた壁はやがて貫通し、隣の三畳一間と繋がった。
姿を現した貧相な囚人にカナは問う。この部屋にいた人間はどこに消えたのか、と。
「あ、あんたは何だ。人間じゃねぇ」
「そうね。見ての通り私は化物。でもそんなことどうでもいいの。こうなることは自然の摂理だったなの。——さあ答えて。私はいま、物凄くムカついている。こうしておしゃべりしている時間なんて、本当はあってはならないのよ」
怪物の手に炎が灯る。囚人は地べたに尻をついたまま後ずさる。
「く、詳しいことは知らねぇけどよ。隣の篠田さんな。四・五分前にどこかに連れてかれちまったよ」
「どこか、とは」
「だから詳しいことは知らねぇんだって。そもそも自由のない俺が知る由なんて——おい、ちょっと待て、待てくれ。こっちに来るな!」
一歩一歩、カナは囚人にじり寄る。筋肉の隆起をいっさい感じさせない無機質な表情を浮かべ、燃える右手を囚人に向かって差しだす。
「やめろ、やめろやめろ、やめろおおおおおおお!!」
囚人の咆哮。カナはもはや感情を失っていた。何も感じない殺戮兵器となって、罪人に裁きを下そうとした。
「私はあなたがどんな罪を犯したかは知らない。そもそも興味がない。いい? あなたには『私の役に立たなかった』という事実だけが備わっているの。だからお願い、死んでちょうだい。私の『憤怒』は、それで治まると思うから」
「そんなわけないだろ!」
背後から、第三者の声がした。カナは急いで振り返る。セメントで覆われた空間に反響する何者かの足音。独房から出て、確認する。
靄のただよう体。逆立つ白髪。こちらを捉えて離さない、鷹のような目つき……。
『拒絶』のレセプター、島崎ショウがそこにいた。




