第十話 そういう星のもと
事件が起きたのは十歳のとき。年が明けて間もない一月の、北風の吹く寒い日のことだった。
小学生の草彅サヤカはその日、いつも通りに登校し、いつも通りのつまらない授業を受け、いつもと変わらない時間帯に給食を食べ、いつも通りの区域を掃除した。その日の時制は特別だった。午後からは教師たちの研修会が予定されていたらしく、学校は一時ごろに終わった。
下校中、彼女は一人で考えていた。――これから何をしようか。
いったん家に帰って近所のたっちゃん家に行こうか。モールのゲーセンに最近入ったFD型のゲームを試そうか。いいや、私は二つともしたい。たっちゃん誘ってゲーセン行こう! それがいい、我ながらなんて名案なんだ。こりゃあ将来有望ですなあ。
そんなことを頭の中で思考しながら、サヤカは戦火の跡がまだ残る東京の下町を短い両足で駆けていった。
ぐにゃぐにゃに曲がった信号機のある四つ辻を右に折れてちょっと進む。見えてくるのは緑の文字で「くさなぎクリニック」と記された縦長の看板。その日は閉院日だったから周囲に患者の姿は見当たらなかった。
サヤカはクリニックのすぐ横に構えてある自宅の玄関に飛び込んだ。子供のころから気になった事は口に出さないと済まない性格だったから、ただいま、と声を上げるよりも先に、サヤカは自分が感じたこと思いのまま言葉にした。
「もー、父さんだろー、扉開けっ放しにしてるの。泥棒が入るからっていっつもカギ閉めてるのは自分じゃんか」
引き戸をちゃんと締め、ランドセルを上がり框に放り投げる。ぶつぶつ言いながらしゃがんだサヤカは、モコモコの手袋を外してきつく結んだ靴紐をほどき始める。
「なんでもかんでもやりっぱなし。だからいっつも母さんに怒られてるんだよ。ねえいい加減セキュリティ上げようよ。たっちゃん家の玄関なんて顔認証ついてるんだよー」
靴を脱ぎ捨て、家に上がり、廊下を進む。「んー? 父さんいないのー」
少しだけ開いたドアから漏れる一筋の光。その先の居間にいるはずの両親に向けて声をかける。
「おーい、可愛い娘ちゃんが帰ってきたぞー。返事くれないと、娘ちゃん泣いちゃうよー」
返事は、ない。この世ならざる違和感を覚えたサヤカは、震える右腕をなんとか制し、開いたままのドアに手を伸ばす。
居間にはだれもいなかった。ただ、箪笥は手当たり次第に開け放たれ、母親の衣類が何着か地面にまき散らされていた。よく見ると箪笥の上にあったはずの置物が何個かなくなっている。泥棒、という可能性が頭をよぎった。怖くなったサヤカは一生懸命に両親を呼ぶ。
二人が使う部屋にもいない。トイレにもいない。浴室にもいない。二階のどの部屋にも、二人の姿は見つからない。パニックになりかけていたサヤカが辛うじて思い至ったのは、両親は隣のクリニックにいるのではないか、という可能性だった。
階段を駆け下り、玄関から再び外に出る。クリニックの入り口は閉まっていたので、裏手に回り、勝手口からの進入を試みる。建物の角を曲がった瞬間、サヤカの脚に何かが引っかかった。
顔面から転倒した。けれど弾力性のある何かがクッションになってくれたおかげで顔に痛みは全くなかった。――なかったにも関わらず、サヤカの顔は血に染まっていた。体より先に着いた手も、クッションとなった何かと接触した胸部も、赤黒い血液で染まっていた。
自らが馬乗りになっていた物体が刺殺された母親であったことを認識したとき、サヤカは生気が漏れ出すくらい絶叫し、刹那の間すらおかずその場で半狂乱に陥った。
◇◇◇◇◇
大学に行ける頭は持っていた。模試ではいつも上位五パーセントに入るくらいの成績だった。けれど早く警官になりたいという思いのほうが進学する意思より強かった。
今すぐにでも正さねば、と思ったのだ。自分のような遺族が生まれる現実を、篠田ツカサのような殺人犯が生まれるこの国を。
実際第三次大戦が終わってすぐの日本では、強盗・窃盗といった軽犯罪が多発していた。中には篠田ツカサのように人の命を奪ってでも金目の物を盗む人間もいた。篠田も、そういう愚かな行為をする大多数の内の一人に過ぎなかった。
――だから、止めなければ。その娘に、篠田カナに、これ以上罪を重ねさせるわけにはいかない。回収屋とかいうふざけた男もろとも、今ここで……。
「ぶっ飛ばしてやる」
草彅の挑発に、篠田が乗った。瞬時に『憤怒のモナド』と一体化すると足の裏から煌々とした炎を暴発させ、握った拳で襲ってくる。対象の生体反応を補足した草彅のウエポン――アマノムラクモは、形態をブレードモードからショックモードに変化させる。
篠田の燃える拳が、アマノムラクモに触れた瞬間――、閃光がきらめいた。
篠田は意識こそ無事だったものの、その電流に体の自由を奪われた。道路に転がった篠田にトドメを刺そうと、草彅は首筋を狙って刀を振りかざす。
だがしかし、回収屋はそのアクションを見逃さなかった。疾風迅雷の速度で物理的な距離を縮めると、草彅の腹に目がけてミドルキックをお見舞いする。
防御は間に合わない。痛烈な一撃をもろに食らった草彅は、その場から二メートルほど吹き飛ばされる。回収屋の攻撃がこれで終わりでないことを悟った草彅はすぐに体勢を立て直し、刀を水平に構えて獣のようなその敵を迎え撃つ。
コンマ四秒、コンマ三秒。回収屋が間合いに入ったのと同時に、草彅は刀を薙ぎ払う。けれど回収屋にはかすりもしなかった。刀が触れるすれすれのタイミングで地面にしゃがみ込み、その斬撃を回避していたのだ。
回収屋はまるでマジシャンのようにどこからともなくステッキを取り出すと、そこに仕込まれていた刃をちらりと見せる。最大級の危険を察知した草彅はすぐさま上段に構え直し、今度は縦一直線に刀を振り下ろす。
「電熱によって対象を斬る形態と、電撃によって対象を痺れさせる形態……」
つぶやきながら回収屋は、まるでそうすることが当たり前であるかのようにアマノムラクモの一閃から逃れる。
草彅から見て左方に飛びのいた回収屋は、仕込み刃を見せたステッキを元通りに戻すと先端部分をこちらに向け、曲がった取っ手を銃のグリップを握るように持ち直す。
(これか! 報告にあった『分離弾』!)
レセプターではない自分になぜそれが放たれようとしているのか。いや、考えるな。危険な物だということは判明している。要は被弾しないようにすればいいのだ。草彅は眼筋に意識を集中させ、弾丸が撃ちだされるその瞬間を見逃さないよう待ち構える。
厄介だ、と回収屋。語尾と同時に弾丸が発射される。弾道を読んでいた草彅は下手にその場から動かず、右足を後ろに折りたたんで銃撃を凌いだ。神業としか表現しようのない、ほんの一瞬の出来事だった。
「なあクソ業者、お前は何がしたいんだ。急所を狙える時間はたっぷりあった。お前は私の心臓にその弾丸を撃ち込めたにも関わらず、なぜか右足を狙って撃ってきた。もう一度聞くぞ、お前はいったい何がしたい」
「アッハハ、それは論理の飛躍だ。警察のお里が知れますねぇ」
「無駄話はいい。とっとと答えろ。私の気はそれほど長いモンじゃないぞ」
回収屋はにんまりとした悍ましい笑みを浮かべる。じわじわと左手を前に伸ばし人差し指を直立させると、「確認したらどうですか?」。指先は草彅の右手を示していた。
指摘されるまで気が付かなかった。アマノムラクモの電源が、ぱたりと落ちてしまっていたのだ。
「種明かしをしてしまいますと、あの弾は特殊な電荷の集積体なんです。被弾した箇所から半径数十㎝の空間に、電子機器には有害な電場を発生させます」
「ウソをつくな。それでは人とモナドを分離させられることに説明がつかない」
「つくんだよなあ、それが。ちょっと考えてみてください……よッ!」
仕込み刀を表出させ、回収屋が斬りかかる。草彅は鉄の棒同然のウエポンでその斬撃を受け止める。金属音の激突、腕力の拮抗。鍔競り合いをしながら二人は問答を続ける。
「人が思考するとき、脳ミソでは何が起こっているか知っていますか?」
「は? 何を急にッ……」
「うーん、時間切れ。答えを言うと、ニューロンから別のニューロンに向けて電気信号が流れているのです」
「ああ知ってるよ。インパルスってやつ……、だろ!」
草彅は腕の力を振り絞って回収屋を跳ね除ける。回収屋は面食らったような表情を一瞬見せるも、変に口角を上げた気味の悪い顔にすぐ戻った。
「そう、その通り。つまるところ、この『デュアルステッキ』が放つ弾丸は脳内のインパルスにも作用するのです。モナドと契りを結んだレセプターであろうともそれは例外ではない。思考しない知的生命体が存在しないように、モナドも意識的に思考をします。――けれども、自分の思考が自分以外の生命の持つ思考と完全に結合することは決してあり得ないわけです」
究極的に言えば、この弾丸は、思考の結合の〝不安定さ〟に突き刺さる。だからレセプターとモナドの分離が可能だったのです。
回収屋は、刺突を繰り返しながらそう結んだ。
◇◇◇◇◇
体が痺れて動かない間、カナは二人の会話を聞いていた。率直に言って、ズルいと思った。
私もあのウエポンについて尋ねたのに、彼は何も教えてくれなかった。私はそれ以外の会話を求めたのに、彼は会話を訳の分からない方向に逸らしてしまった。もっとたくさん、彼のことを知りたかったのに、彼自身はそうされることを望んでいなかった……。
(結局こうだ。いっつもこうだ。私は他者に望まれない。私は他者に求められない。人を頼ろうとしても見放される。ああそうか、きっと私は……)
子である自分を育てるために人を殺した父。いもしない神に金を貢ぎ続ける母。過去を知った瞬間態度を変えた富下。精神を追い詰めてくる峯川と、その手下二人。無能な担任の菊池……。様々な顔が脳裡に浮ぶ。
(私は……、そういった星のもとに生まれてきたのか)
カナはよろよろと立ち上がると、回収屋たちのほうには目もくれず、目的地に向けて走り出した。
背後で金属音が激突する。続いてあの草彅とかいう刑事の「待て!」という怒号。状況を察するに、こちらに向かって来ようとした草彅は回収屋に阻まれたのだろう。カナの眼前に伸びる道路は、もはや彼女のためにある道となっていた。
(草彅……。草彅……。草彅……)
脳内で可能性が暴れる。信じたくはなかったが、自分が残酷という名のサイクルに取り込まれていることを篠田カナは知っていた。だからその『可能性』についての思考は、すんなり放棄することができた。
カナは思い出す。事件を起こす前日、あのセーフハウスで暗記した拘置所までの道のりを。そして父親のいる独房までの道のりを。
体の背面から放出する炎をもっと爆ぜさせ、火炎い怪物は身を前進させる。
最終局面は、すぐそこまで迫っていた。




