第九話 追われる者と追う者
「分かっているとは思いますがカナさん、右手以外に火を点けないでくださいね」
フンヌと一体化したカナは運転席の回収屋にそう言われた。
「ええ、もちろん。私も馬鹿じゃないから」
戦う時はいつも点けていた髪の炎をオフにして、カナは後部座席の窓から身を乗り出す。一体化の影響で長く伸びた自分の髪が、風に吹かれてふわりと舞った。深呼吸を一度して、人差し指で後続車両をロックオン。局所的な炎を装填し、一思いに発射する。
火炎弾は一直線に飛んでいき、後続車の寸前に落下した。爆風でその車の車体が浮く。カナの乗るガソリン車も反動を受けて瞬間的な加速を得る。カナはここぞとばかりに二発、三発と銃撃を浴びせた。
炎の弾丸は、しかし敵には当たらない。運転手は優れたドライブ・テクニックの持ち主なのだろう。急ハンドルをしたにも関わらず、迫りくる炎を右に左に難なくかわし、まっすぐこちらに迫ってくる。まずい。このままでは――。
「追い付かれちゃう、スピード上げて!」
「がってん承知!」
加速、加速、超加速。なんでもっと早くこのスピードを出さなかったんだろう。いや、答えなんて明白だ。きっと回収屋はスリルを求めていたのだ。カーチェイスというスリル。追われる者というスリル。スリルを味わうためにわざとトップスピードを出さなかったのだ。
現に彼は声高らかに笑っている。まるで狂ってしまったかのような勢いで、このピンチを世界の誰よりも楽しんでいる。その哄笑の音程は、どこか淫靡さも含んでいて……。ああなんだか、私のほうまで昂ってきた。
「フフ、ウフフ、アハハハハハハ!」
火炎弾、連射。まるでガトリングガンが右手に宿ったかのようだ。小さな火の玉は赤い軌道を描いて敵対車へ飛んで行く。やった。こんどこそヒットした。それも一発だけではない。少なくとも五発は直撃したはずだ。これでもうあの車は追ってこない。安心して『最終目標』へたどり着ける!
そう喜んだのもつかの間、土埃の中から後続車が勢いよく飛び出した。ちくしょう、これくらいじゃくたばらないか。向こうには防御に特化した『拒絶』のレセプターがいるのだ。正攻法で叶うわけがない。
「回収屋さんッ、トランク開けて!」
回収屋がハンドル付近のレバーを操作すると、ガコンとバックドアが開く音。カナは急いでトランクに移動する。
半開きのバックドアを蹴飛ばし、外の景色を解放する。態勢は仁王立ち。時速百キロ超えの猛スピードを二つの脚だけで受け止める。三秒後、カナは大きく広げた手のひらで後続車両の姿を捉えた。
◇◇◇◇◇
「大技が来るぞ、気を付けろ!」
夏廻さんが声を上げる。助手席に移っていた僕はさっきの即死級弾幕を凌いだにもかかわらず、次の防御を要求される。
助手席から身を乗り出しながら僕は三枚の『壁』を展開し、この〝二係號〟を篠田の火炎弾からを死守していた。絨毯爆撃のごとく繰り出される火炎弾をものともせず、『壁』はその役割を十全に果たした。
『壁』は確かに有能だ。けれど僕の体力は無能だった。連戦で消耗した体力、CCで治癒中の背中に使っている体力……。正直、限界が近づいている。いまこの場で気を失ってしまってもおかしくないくらい、僕は僕の今後に自信がなかった。
(でも――)
でもそんなこと言ってる場合じゃない。自分だけじゃないんだ。夏廻さんの命だってかかっている。あの炎の犠牲者がこれから増えないとも限らないし、現に篠田は自分の父親を殺そうとしている。それだけは――たとえそいつが死刑囚だとしても――止めなければならない。彼女にはもう、これ以上罪を重ねてほしくはない。そのためにも、ここで殺されてたまるものか!
夏廻さんッ、僕の合図で急ブレーキ! 言いながら僕は身をねじってルーフに乗り上げる。
「ちょ、ちょっとショウ君、今すぐ降りなさい! いくらレセプターだからって屋根から落ちたら……」
「説明してる暇ない! ぜったい大丈夫だから、僕の言うことに従って!」
夏廻さんはそれ以上なにも言わなかった。ルーフの上でなんとかバランスを取りつつ、僕は前方の篠田を確認する。
開け放たれたバックドア。トランクで仁王立ちする『憤怒』のレセプター。突き出す手のひらは赫灼とした朱色に染まり莫大な熱量を溜め続けている。間違いない。彼女はさっきのとは比べ物にならなくらい、馬鹿でかい火炎弾をぶっ放そうとしているのだ。
簡単に人を焼く炎だ。簡単に家を灰にする炎だ。それよりも遥かに高い温度を持っているとしたら直撃後の死は免れない。なんとしてでも防がなければ。僕は策のための準備をする。具体的に表すならば、ルーフの上でクラウチングスタートの体勢をとった。
タイミング――、不明。
アドバンテージ――、あちらにある。
生殺与奪の権――、もちろん皆無。
僕が勝利するための条件は、『行動を敵の攻撃に合わせる』。ただそれだけ。コンマ一秒ごとに肥大化する火球を僕はまばたきせずに見つめていた。
今だ、と確信した瞬間、僕は叫ぶ。「急ブレェェーキ!!」
金切り声のような摩擦音が轟く。時速百キロ越えの慣性が働くのと同時に、僕は前方に飛び出した。目の前に迫るのは、射出された超特大の火炎弾。刹那の間で僕は恐怖心を抹消し、側方を向けた『壁』を生成する。
時速百キロ超えの莫大な運動エネルギーを宿した慣性と、レセプターが内包するモナドロジー。組み合わさるはずのない二つの要素は、いまここで奇跡の共演を果たした。僕というちっぽけな人間に文字通りの神速を与えたのだ。
話しは変わるが僕の作り出す『壁』は案外薄い。文庫本の二百ページ目くらいの厚さだ。僕はその二百ページの厚みを火炎弾に突き立てた。この世ならざる速度で、突き立てた。
火炎弾はぱっくりと二つに割れた。それぞれ減速し、道路脇に飛んでいくと、遮音壁や植樹なんかをぶっ飛ばしながら爆裂した。
金属が焼ける嫌な臭いが漂いはじめる。火炎弾をたった斬っても空中で等速直線運動をしていた僕だったけど、後ろからやってきた二係號がサルベージ。僕はボンネットにしがみつき、運転席に向けて親指を立てる。額に汗を浮かべていた夏目さんは、苦笑いをしつつもサムズアップを返してくれた。
◇◇◇◇◇
「アッハハ、傑作だ! まさか彼がここまでやるとは! オスカーに〝危険賞〟があれば間違いなく彼が受賞する。そのぐらいの偉業、そのぐらいの御業だ、今のアクションは!」
ほとんど病的な回収屋は鼻息を荒げながら熱く語る。火炎弾の推進力で後続車との距離を大きく突き放すことはできたものの、ICまでの道のりはまだ長い。そんな切迫した状況下で、回収屋は……。
「カナさん、映画はお好きですか?」
は? こんな時になに言ってるの? 思わずキツイ言い方になってしまった。
「映画ですよ映画。22世紀の現代では映画館でさえ過去の遺物のような扱いをされていますが、私はよく通ってるんです。そこのオーナーの親父はね、20世紀から21世紀の映画が好きなんです。その手の好事家からフィルムを借りて自前の映写機でそれを上映する。スクリーンの中で人間は人間を愛し、憎み、時には抱き合い、時には殺す。その映画が例えファンタジーだとしても世界の縮図がそこにはあるのです。私はそういった生々しさを味わうのが大好きなんです」
だからなんだ、と言っても回収屋は口を噤まないだろう。さっきの特大火炎弾を放ったせいでかなりの体力を使ってしまったが、カナは気を緩めなかった。すぐさま右手を鉄砲の形にさせて、小さな炎の弾丸をゆったりとしたペースで撃ち続ける。
「私の思う『いい映画』にはね、必ず当てはまるものがある。それは〝構成の良し悪し〟。役者の演技がクソだろうと、劇伴のテンポが本編とマッチしてなかろうと、構成の出来がそれらを上回れば、私はその映画に5点満点中4点をつける」
「カメラワークが下手でも?」
「ええ。構成がよければ4点、です。意味も意義も大義もなくシネスコが採用されていたとしても4点」
知らない単語が出て来たがカナは無視することにした。
「で? 回収屋さんのこだわりがこの状況とどう関係してるの? 私、こう見えてもかなり疲れてるんだけど」
おやおや、これは失敬。では手短に。回収屋は道化じみた言い方をする。
「先ほど述べたように、私は映画のことを世界の縮図だと思っています。ならば世界における『映画の構成』とは何に当たるのか――」
答えは簡単。それは人生です。
「じん、せい?」
「そう。もっと詳しく表現するのなら、『あなたが命を燃やしている今この瞬間』――。どうせ短い命なんだ。適度に緩急をつけて面白おかしく生きようじゃありませんか!」
威勢よくそう言うと、回収屋は急にハンドルを左に切った。猛スピードで走る車に、横転する寸前の強大な摩擦力がかかる。
道路と垂直になった回収屋の車はドリフト走行を続けていた。
「遮音壁をぶち破ります! 速度が保てているうちに、ありったけの炎を噴射してください!」
「むちゃなこと……、言うね!」
カナはトランクにしゃがみ込み、振り落とされないよう後部座席を左手で掴む。右腕の内部にできる限りの炎を蓄積させ三、二、一…………、発射ッ! 灼熱の反動が車体を大きく前進させる。
炎の発射に合わせて回収屋はためらいなくアクセルを踏んだ。この車はエンジン車ではあるが、外面になにか特殊な仕様を施しているのだろうか。バズーカ砲を放ったかのような爆鳴を響かせると、車は高速道路の側方を守る壁に大穴を開け、高架下の一般道路に落下した。
「ショートカット、というやつですよ。ICで降りるよりこちらの方がずっと効率的だ」
「だとしても力技過ぎるでしょ……」
口では呆れながら、カナは回収屋に狂気を感じた。いや、狂気はすでに感じていたが、まさかここほどとは思わなかった。こんな命がけの行動を取るくらいに、彼が住む世界は荒廃しきっているのだろう。そんな男が、自分に手を貸す理由とは?
いいや、考えるのはやめよう。どうせ無駄なことなんだ。『最終目標』である父親が収監されている拘置所は、目と鼻の先に迫っている。ヤツの命を奪えば、私はもう……。
カナはフンヌのと一体化を解き、黒く焦げたバックドアをどうにかこうにかして閉めて後部座席に戻る。
「おつかれ、フンヌ」
「君もね。さっきのはいい炎だったよ。ぼくもゾクゾクした」
カナはふふふ、と妖しく笑い、それからふと気になって街の景色に視線を向けた。
背の低い太陽に照らされたT市。路上には通行人がチラホラ。彼らの視線は、猪突猛進の勢いで走るこの車に向けられている。なぜ他の車が走っていないのか不思議に思ったが、その疑問はすぐさま解決した。
つまるところ、拘置所に近いこの近辺にも警察が根回しをしているのだろう。自動車メーカーのマザーコンピューターがどうとかこうとか、回収屋が言っていた。だから車は直進を続けている。なりふり構わず直進、直進、直進……。その時――
路上に人影。
一人の人間。
不幸な、民間人。
減速している時間がもったいない。回収屋は残酷な音程で言い放った。車は止まらない。止まらない。止まらないまま、道路に屹立するその人に突っ込んでいって……。
次の瞬間、音がした。けれどそれは人を跳ね飛ばした音ではない。ボンネットが凹んだ音ではない。この車に付いているなにかがスパンと斬られた音だった。
フロントガラス向こうに人の姿は認められない。どこだ? 轢かれていないのなら、あの人はいったいどこに消えたのだ? 脳の理解が現実に追いつかないまま、事象は次のフェーズに移り変わる。
斬られた対象が四つのタイヤ全てだと分かったのは、車体全体が地面に沈み込み、アスファルトに密着したエンジン部分から尋常ではない摩擦音が聞こえてきたときだった。走行能力を剥奪された回収屋の車は0㎞/hの無能さを体現する。こんな異常事態でも回収屋はあくまで冷静だった。降りましょう、と一声かけると自分はささっと路上に出て行ってしまった。
カナもフンヌを抱えてあとに続く。斬られて半月状になったタイヤがすぐに目についた。斬り取られたもう半分のタイヤたちは路側帯に転がっている。訳のわからないまま、カナは奇妙な攻撃を仕掛けた張本人を目で探す。
発見。煙を上げる車の後方。背の高い、女の人。
「――あなた何者?」
その背格好は間違いなく、路上に突っ立っていたあの人影だった。女は握っている刀の切っ先をこちらに向け、険しい表情とともに啖呵を切る。
「草彅サヤカ。てめぇらをとっ捕まえる刑事だよ」
女の持つ刀が西日に照らされキラリと光った。




