第七話 憎火④
木造二階建て。22世紀の現代日本でも人気の日本家屋。この家の住人も、まさか自宅が戦場になるとは思っていなかっただろう。
はっきり言ってこの家の無事は保障できない。燃えないよう、壊れないよう気を配りたいが難しいところだ。『復元光線』があったらなあ、なんて叶わないこと考えていると。
「避難させたんだね」
どこからともなく篠田の声。
どこだ? どの部屋に入った? 床に着いた足の形の焼け跡は居間の中央で消えている。一体化を一度解除してから、どこかの部屋に飛び込んだのだ。
「そうだよね。命は普通、大事なものだもんね」
あっちか? こっちか? 僕は顔をあちらこちらに振り回しながら、篠田の居場所を探す。
「でもね、大事にされない命もあるの。人として扱われない命もあるの」
反論、できない。それが真実でもあるから。
「私の過去、知ってるでしょ? 父親は人殺し。戦後すぐのことだったかな。私を育てる金がなくて小さな病院を襲ったの。草彅って夫婦を殺して金を奪った。もちろんすぐ捕まった」
篠田ツカサ。死刑の執行を待つ身。大事にされない命、そのもの。
「優しかった母親は豹変した。宗教にハマって献金、献金、献金の連続。ああ、説明しなくても知ってるよね」
君は警察側の人間だもんね。
刹那、左方から炎の拳。急いで『壁』を生成する。両者のアイデンティティ、激突。白い靄と赤い炎。白は十分な体勢をとらないまま攻撃を受けた。優勢なのは、赤。爆発的な推進力は『壁』ごと白を民家の壁に押しのける。
『壁』と壁に、白は挟まれた。
「私は警察が嫌い。いや、『大人』が嫌い」
「何が言いたい」
「〝結果〟の話。肝心な時に手を差し伸べてくれないんだもん。警察も、母親も、担任も……」
脳裡に浮かぶ、担任の顔。
「だから菊池先生を撃ったのか」
そうよ、と篠田。そして、「回収屋さんが銃をくれたの」。
『壁』はひび一つ入っていない。けれども壁には限界が来た。ゴゴゴゴゴと音を立て、漆喰は大きな瓦礫と化す。物理的にできた背後の空間。僕は急いで飛びのいて、篠田との距離を取る。
「一縷の望みにかけて、いじめられていることを菊池に相談した。こういうことがあってつらい、こういうことをされて傷ついた。そしたらアイツ、なんて言ったと思う?」
「…………」
「ははっ、分かんないよね。『生きてりゃそんなこともあるぞ』。アイツは私にそう言ったの。――あり得ないでしょ⁉ 私の事情を知ってるくせに、試験に通ったさぞかし優秀な公務員のくせに! いじめを、看過したんだよアイツは!」
篠田の憤怒が頂点を超える。ネガティブな赤色はどこかやるせない温度に達し、より活発に、より悪意を増し、なおかつ彼女の精神性をより露出させ始めた。
炎は一瞬にして民家を覆った。床が、机が、テレビが天井が家族写真が、赤の他人が住む普通の民家が、憎火によってその秩序を奪われる。――普通の、焼失。もしくは消失。ああ、この民家は、普通に過ごせなかった彼女と同化してしまった。焼け、そして朽ち果てる哀しい炎となってしまった。
「もういいよ。私の世界は赤色だけでじゅうぶんだ。黒も白もグレーさえも焼き尽くす、赤色だけでじゅうぶんなんだ。君は知らないと思うけど、どうしようもない人間ってやっぱりいるの。対話したってだめ。結局、一定以上の悪は殺されることでしか罪を償えない」
「それは違う。ぜったい違う。殺人は最果ての罪だ。そして死刑は最果ての罰だ。人が正しく死に至るには筋道が必要なはずだ。その筋道なしに人が死ぬなら、それはただの殺戮だ。戦争と同じ、あってはいけない事柄なんだ」
「じゃあ聞くけど、もしあなたが独裁国家に住んでいて、苦しみながら生活していて、もう死のうかと思っていた時、その国の独裁者が暗殺されたらどうするの? 人を殺すのはいけないことだ、筋道がないじゃないかって嘯くの? 元凶が死んで平和な世間になったのに、あなたは偽善を貫くの?」
それは……。僕は『壁』に手を添えたまま口ごもる。
何秒かの沈黙。僕の心中に存在する青い正義感が揺れ動く。
篠田はにやける口元を隠しながら、「ほらね、答えられない」
業火に包まれた民家。脱出する二人のレセプター。戦闘は次の段階に移行する――、はずだった。
「そこまでにしておきましょう、カナさん」
住宅の屋根の上。男の声。奇妙な風体、痩せぎすの人物。
回収屋は僕ら二人を俯瞰していた。年不相応のステッキを持って。戦闘はおのずと中断される。
「待って、回収屋さん。まだ富下が生きている! このまま引き下がれないよ!」
「私がガレージに向かったときには富下さんの姿はありませんでした。警察に保護されてしまった、と見るのが妥当でしょう」
「そんな……」
篠田はこちらを気にする様子もなく項垂れる。
僕は攻撃を仕掛けたい、という思いに駆られた。しかし回収屋というアンノウンの周囲に漂う、生生しい獣のオーラがその欲求を押さえつけた。
動けば狩られる。回収屋はそれだけの器量を持ち合わせている。そしてヤツが今ここにいるということは、夏廻さんはおそらく……。
クソッタレ。はやく、夏廻さんのもとへ向かわなければ。はやく、この状況をクリアーせねば。
回収屋が切りだす。「あなたにはまだやるべきことが残っているはずだ。奪い返せるか分からない富下を採るより、『すべきこと』のほうを採るほうが有益ではありませんか?」
「違う、違うよ! 私は『全部』を焼きたいんだ。一つの漏れも許されない!」
「おやおや、これはいけない。『憤怒』に支配されてしまっている」
水が流れるような手つきで回収屋はステッキを体の前に差しだす。湾曲した取っ手を銃のトリガーを握るように持ち直し、先端を篠田に向ける。
僕の網膜がその一連の動作を認めた瞬間、パシュっと乾いた銃声。
回収屋の所持するステッキは事実、一種の鉄砲だったのだ。種も仕掛けもないはずの先端部分から、何かしらの弾丸が篠田に向けて放たれた。
それは分離させる弾丸だった。人とモナドを強制的に分離させる、奇妙奇天烈な弾丸だった。
弾丸を受けた瞬間、篠田の体は後ろに大きくのけぞって痙攣した。白目を剥き、口を大きく開き、けれども声は一つも出さず、燃える体は徐々に鎮火し、炎の下からは甘栗色の頭髪と小さな丸顔、華奢な体を包む唐木高等学校の制服が現れた。
『憤怒のモナド』と思われる赤い球体は、炎が消えるのと同時に外界にはじき出された。篠田と同様意識を失っているらしく、ぶよぶよとした体はだらしなく地面をバウンドし、道の端に転がった。
次は、僕の番だ。
本能で感じ取った僕は、ほとんど無意識に『壁』を作成した。刹那、弾丸と『壁』の衝突音。コンマ一秒の攻防。
回収屋は屋根から飛び降りる。今の今まで銃砲だったステッキは――変な表現だが実際そうなのだ
――再び本来の用途を変化させ、今度は一振りの「仕込み刀」となった。恐るべき速度で僕との距離を詰め、さっき展開した『壁』を避けつつ、僕に斬撃をかまそうとする。
けれど腐っても僕はレセプター。反応速度は常人より早い。すぐさま二枚目の『壁』を展開し、必殺の斬撃を阻止する。
――いや待て。音は出たか? 『壁』と刃が交錯する音は、出たか?
信じられないことに、回収屋は仕込み刀を『壁』の前で寸止めさせ、余計な筋力を使わないことに成功していた。『壁』が展開されることを見越した上で、わざと攻撃を当てようとしていたのだ。
その神業が意味することはなにか。そう、それは。
「君の負けだ、島崎ショウ」
回収屋の次の手はすぐだった。瞬時に『壁』が防御していない僕の背中に回り、一振り、二振り、三振り、と斬撃を入れる。
間髪を入れず、また乾いた銃声。弾丸は僕の白い体に衝突した。
傾く視界、薄れる意識、痙攣する体、それでも背中はどくどくと胎動する。
地面に転がったキョゼの姿を目の端で捉える。それを最後に、僕の意識は遥か彼方へ飛んでいった。
序盤の戦闘は「僕のヒーローアカデミア」30巻収録の、お茶子vsトガヒミコのシーンを参考にしました。ちなみに作者の一押しキャラは相澤先生。




