第一話 西暦2112年9月3日、ドラえもんは生まれなかった。
ほんとうに唐突だけれど、あなたは『ドラえもん』という漫画を知っているだろうか。
勉強、運動、何をやってもダメダメな小学五年生・野比のび太と、22世紀からやってきたネコ型ロボット・ドラえもんが繰り広げる日常生活を描いた作品。それが『ドラえもん』。頭のてっぺんに取り付けるだけで空を飛べる『タケコプター』や、扉を開ければ世界のありとあらゆる場所に行ける『どこでもドア』など、多種多様で心躍る「ひみつ道具」が魅力的だ。
かつての日本では国民的な人気があり、作品が誕生してから140年以上が経った今でも熱烈なファンによって支持されている。
かく言う僕、島崎ショウもそのファンの内の一人だ。電子書籍が主流となったこの時代に単行本と大長編を全巻揃えている学生は、たぶん僕だけじゃないかな? それを自負しているくらい、僕は熱狂的なドラえもんファンなのだ。
つくづく思う。この2112年の現代日本にドラえもんがいたらなぁ、て。だって空を自由に飛べるんだよ? 世界旅行に行けるんだよ? 絶対楽しいに決まってる。絶対面白いに決まってる。
でもまあ、そんな空想をいくつ並べたところで、結局夢物語に変わりはないのだけれど。
今日は2112年9月3日。物語のなかでドラえもんの誕生日とされる日だ。そんなおめでたい日なのに、世間はちっとも関心を寄せていない。ニュースで報じられるのは専らどこかの政治家が脱税しただとか、夫婦殺しの○○の死刑が確定しただとか、そういった泥水みたいなものばかりだ。暗い報道も時には大切だけれど、もうちょっと気持ちのよい朝を迎えさせてくれてもいいんじゃないかとは思う。
画面が切り替わり、次のニュースに移る。アナウンサーは神妙な面持ちで口を開いた。
「第三次世界大戦の終結から十年を迎える今年の十二月に向けて、都内では有識者による平和シンポジウムが開かれ……」
僕の思考は一瞬にして切り替わった。そうか、あと三ヶ月で十年になるのか。あのどす黒い殺し合いが終わってから、十年……。
米国による欧州侵略が発端となって始まった第三次世界大戦では、高度に発達した科学技術がふんだんに使用された。銃を搭載した自律性ドローン、人工知能を組み込んだアンドロイドの兵隊、人を腐らせるナノマシンを撒き散らす新型の毒ガス兵器……。例を挙げたらキリがない。こうした化学兵器は何千、何万という命を奪い去った。
悲しい歴史を二度と繰り返さないように、終戦後、世界の主要各国は軍縮ならぬ〝科学縮〟を推し進めた。人工知能の開発は政府の許可が必要になったし、日常生活向けに造られたロボットも軍事転用できる可能性が少しでもあれば政府が主体となって回収される。そんな『科学に厳しい世界』になったからドラえもんが造られる日も、遠い遠い未来の話となったのだ。
〝科学縮〟については、今でも賛成派と反対派の間で議論がされているけれど、僕は必要なことだったと思っている。そうすることで人々は安心を得られ、平和な世の中を暮らせるのだから。大切な人を、理不尽に失うことがなくなるのだから……。
「あ、まずい。そろそろ時間だ」
画面左上の7:50という数列に気がついた僕は、部屋の隅に鎮座していた通学カバンを手繰り寄せ、中をざっと見渡した。学校用のタブレット、板書を書き写す教科ごとのノート。ちょっとしたプリントを挟むファイル、財布、スマホ、一番大事なルームキー、空き時間に読む推理小説、その他もろもろの必携道具……。うん、忘れ物はない。テレビを消し、クシャクシャになった身なりを整え自室から出ていく。いってきます、と言える同居人はいない。なにせ高校の寮だもの。
部屋から出てまず目に入るのは、僕と同じように自室から出てきた寮生の大群だ。がやがや、わいわい。整列もクソもないおしくらまんじゅう状態。津波のように運ぶ流れに身を任せ、機械的な登校が始まった。
群衆に飲み込まれながら多摩川沿いを十五分ほど歩くと、僕の通う私立唐木高等学校の質素な校門が見えてきた。生徒の群れは、一人も漏れることなく幅一メートルもないその門に吸い込まれてゆく。
下駄箱で靴を脱ぎ、上履きに履き替える。端っこに設置された寮生専用のカードリーダーにルームキーをかざして出席確認を行うと、階段を上がって1-Bの教室に入る。席に着き、始業のベルが鳴るまで本を読もうかとカバンの中に手を突っ込んだ瞬間、「キーンコーンカーンコーン」。
覇気のない担任が目をショボショボさせながら、教室に入ってくる。生徒はみな静かになり、日直の篠田さんが号令をかける。
「起立、気をつけ、礼!」
こうして僕の2112年9月3日が始まった。
まさかこの日が僕の運命を大きく変えることになるなんて、夢に思おうにも思えなかった。