第一話 人の意思
ぐうーん、ぐんぐん……。タイヤのゴムがこすれる音。その谺。
ぴーぽー、ぴーぽー……。赤色灯が回転する音。その谺。
ぴた、ぴた、ぴた。前を行く一般車両が停車する擬音。草彅にはそれさえも谺して聞こえた。
「大丈夫?」
ハンドルを握る夏廻が聞いてくる。あまり人と話したい気分ではなかったので、まあね、と生返事をしておいた。
草彅は顎に手を当てたまま、車窓の奥をぼうっと眺めていた。右から左に流れる景色を、ただぼうっと眺めていた。彼女の精神はそういった一時の安らぎを求めていた。
「連絡はちゃんと見た?」
夏廻がふたたび問う。草彅は今度も生返事で対応する。
連絡というのは今朝がた二係の全員に通達された、とある事件の概要だった。
現場はO市にある私立唐木高等学校。午前八時半ごろ、同校の教諭から一年生の教室が燃えていると119番通報があった。消防による消火活動が行われたのち、焼け跡から八人の遺体が見つかる。事件発生時教室にいた生徒の証言によると、そのクラスに在籍する女子生徒が拳銃のような銃器で担任を銃撃し、その後怪物のような姿に変身して、教室に火を放ったという。
女子生徒は怪物に変身する直前に、教室に侵入した男が連れてきた丸い小動物と会話をしていた。一部の生徒は、女子生徒がその小動物と合体した、と話しているそうだ。
小動物。そして変身……。事情を知る者であれば、否応なしに一つの可能性が思い浮かぶ。
そう、この事件には十中八九モナドが関係しているのだ。そしてモナドが関わっているとあれば、すなわち二係が出動しなければならない事態でもあるのだ。
(でもまさか……)
まさかその女子生徒が、あの篠田の娘だとは思わなかった。思わなかったし、信じたくなかった。自分はどれだけ『篠田』に人生を振り回されればならないのか。そんなやるせなさに憤激しそうになった。怒り狂いそうになった。けれども、ぐっと我慢した。
容疑者である篠田カナの経歴は、件の連絡に添付してあった。そこには彼女の父親が起こした事件のあらましも記されていた。その事件の被害者の名前は伏せられていたが、別の資料を探ればすぐに見つけられるだろう。
もしかしたら夏廻は知ってしまったのかもしれない。知ってしまった上で、あえて気をつかって『そのこと』を話題にしないのかもしれない。まあ、それはそれでありがたいけれど……。
「ナギちゃん、着いたよ」
ふと、我に返った。乗っている捜査車両は、ぴたりと駐車場に停まっていた。横着して駐車スペースにツッコむようなことはせず、バックできちんと、停まっている。
二人は車から出、現場に向かう。
「先輩って運転うまいんスね」
「だれに言ってるの? 元機動捜査隊だよ、僕は」
「機捜かー。あーやっぱいつ聞いても羨ましいですわ。私なんて異動前は交番勤務ですよ、交番勤務。近所のガキどもを魅了する、美人婦警だったわけだ。そんな八割パンピーみたいな女が、まさか国家機密と戦うことになるなんて……。まったく、ウエポンを恨みたいね」
草彅はポケットの中の鉄板――〈アマノムラクモ〉をデコピンした。
そもそも警視庁公安部特殊対策課第二係は、軍事施設襲撃事件後に新設された部署だ。
『シャーデンフロイデ』を始めとしたモナドに関連する事件の捜査を行うが、その構成員には国の所有するウエポンに適正のある警官が選ばれている。
ウエポンの使用者に選ばれた警官は、例え交番勤務だろうが、機動捜査隊だろうか、どんな部署に在籍していようが二係に異動することを命じられた。
「我らが嘱託捜査官、島崎ショウさまは例外として、係長は組対。モモさんはサイバー対。大熊さんは捜査一課……。みんな二係に引き抜かれちまった。事情を知らない他の部署から二係がなんて呼ばれているか知ってます?」
「大根部隊、でしょ? あっちゃこっちゃから人間を引き抜いたから」
「そーですわ。だからそこにいる一課の刑事は、きっと今からこーゆうでしょうね。大根部隊がなんのようだ、て」
「おいこら! 大根部隊がなんのようだ!」
草彅はほらね、と言わんばかりのニヒルな視線を夏廻に送った。対する夏廻も、失笑まぎれに唇を微妙な角度に歪ませた。
叫んだ刑事は黒焦げになった教室から出て来ると、二人の前に仁王立ちした。
「おいお前ら、俺は『なんのようだ』と質問をしている。さっさと返事をしたらどうだ」
「それができたら楽なんだけどね。結局のところアンタらと同じく『捜査しにきた』、としか言いようがない。それ以上でもそれ以下でもないわけですわ。分かったらそこ退いて下さい。規制線の中に入れない」
草彅は年上の刑事に向けて指を指す。刑事の片眉がピクリと動いた。
「ほう、お前は警察学校で礼儀を学ばなかったようだな。ずいぶん甘い思考の持ち主だ。これだから戦中派の人間は……」
「はッ! 戦中っちゃ戦中だけど、開戦時私は五歳ですぜ。そんでもって『十二月条約』が結ばれたのが十歳の時。戦中派としてくくるには、ちと若すぎる気がしますがね」
「ちょっとナギちゃん、落ち着いて」
夏廻は諫めたが、スイッチが入った草彅は止まらなかった。語気をさらに強めて目の前の刑事に食い下がる。
「そもそも私は、戦前派だとか戦中派だとか、そういう戦争を基準にした分け方が大嫌いだ。第三次大戦はみんな機械の奴隷だった。機械が殺せと言ったから殺したし、戦えと言ったから戦った。意思という人間の基本機能がないがしろにされ、その結果たくさんの人間が死んだんだ。それなのに、戦前派? 戦中派? 馬鹿馬鹿しいことこの上ない。集団としてくくる前にそもそも意思がないじゃないか。そんな空っぽの言葉に踊らされているようじゃ、刑事は務まらないと思うけどね」
「俺は礼儀について話していたんだ。論点を逸らすな」
「逸らしてねぇよ。なあ、アンタが言う戦前派の人間はどうだったんだ? 機械の言うことは完璧で絶対のものだと信じ切り、自分の意思を無視していたんじゃないか? その結果たくさんの人間を不幸に巻き込んだ。そうだろ? そんな人形みたいなヤツが――、礼儀がどうとか言える筋合いあんのか?」
刑事は押し黙る。長い沈黙が訪れる前に、草彅は相手に引導を渡す。
「おいオッサン、私は『筋合いあんのか』って質問してんだ。さっさと返事をしたらどうだ」
夏廻が表情を崩し、「ナギちゃん、これ以上は……」
言い終わる前に第三者の野太い声がした。「サヤカ。そこまでにしなさい」
草彅は背後を振り返り、声の主を確認する。角ばった顔。的を射抜く矢のように鋭い目つき。広い肩幅。文字通りの巨躯。二係のメンバー、大熊セイイチロウ、その人。
大熊は元々捜査一課にいた人間だ。今しがた口論になった刑事とも面識があったらしい。通してくれ、と大熊が一言放っただけで潔くその場から離れてくれた。草彅は少し、驚いた。
「ありがとう、大熊さん」
「ああ。あんまり揉めごと起こすなよ」
ご両親が悲しむぞ。大熊はそう付け加えると、後は何も言わずに教室の中に入っていった。
草彅もそれ以上は言葉を発さず、その大きな背中の後ろについていった。




