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プロローグ ~篠田カナ~

 篠田(しのだ)カナの日常は、まずクラスメートの女子に睨まれることから始まる。


 続きを記す前に、まず日常の定義をしなくてはならない。この場合の日常というのは、朝、目覚めた瞬間から開始されるものではない。はたまた、人でごった返している改札口にICカードをかざしてから始動するものでもない。学校の昇降口から始まる一連の機械的な動作をクリアし、1ーBの扉を開け、中に入ってから始まるものがカナの〝日常〟なのだ。


 ただし睨まれる、と言ってもそれは怒りを含んだものではない。侮蔑と優越感をはらんだ汚らしい眼差しである。


 睨む女子は四人いる。入学当初は仲のよかった富下(とみした)、グループのリーダーに当たる峯川(みねかわ)。他の二人の名前は忘れた。覚えていたところでなんの利益にもならないからだ。


 そうされるのはいつものことなのでカナは気にせず自分の席に向かう。板書用のノートどころかタブレットすらも入っていない通学カバンを机の脇にかけ、それらの代わりに〝冷たい黒〟を取り出して引き出しに滑り込ませる。あとは担任が来るのを待つだけだ。カナは頬杖を付いて正面をぼうっと眺めた。


 ふと、電子黒板の端に記された『日直・島崎』の文字が目に入った。


 このクラスで島崎といえば、この一週間姿を見せていない島崎ショウのことだ。彼は一身上の都合でしばらくのあいだ休学することになったらしい。交友関係が広い人間ではなかったから、その情報が共有されたクラスに衝撃が走るようなことはなかった。みんな、ああそうなのか、と一応の同情を空気に乗せるだけだった。ただカナはショウと同じ環境委員だったこともあり、それなりに会話する仲ではあった。だからその時、ちょっと、ほんのちょっとだけ動揺してしまった。


(でもまあ、)


 今日この教室にいないのは、正解かもしれないな。


 カナは心の中でそう思った。


「ねーえ、篠田」


 ねっとりとした声が頭上に聞えた。峯川だ。カナは視線を前に向けたまま対応する。


「……。なに」


 四人の女子がカナの机の周囲を囲む。素っ気ない反応をしたカナがおかしかったのか、四人は互いの顔をのぞき合ってクスクス笑っている。


「なにか用」


「べつにぃ」


「そう」


 カナは時計を一瞥(いちべつ)すると、「チャイム、もうすぐ鳴るよ」


 先生にバレて困るのは、あなたたちのほうだよ。


 カナはそう言った。


 四人は何も言わず、ただただ嘲笑する。チャイムが鳴った。四人はおのおのの席に戻る。四人は視界から消えた。でもきっと四人はお互いにアイコンタクトを取りながらにたにたと笑っている。四人は私を笑っている。四人は私を嗤っている。笑っている、嗤っている。四人は、四人は、いつまでも、私を一人の人間として認めず、ただただわらって……。


 教室の扉が開く。担任の菊池(きくち)が無精髭を手で掻きながら入ってきた。


「おはよぉう。日直は……、ああ島崎だった。だれか、代わりにやってくれる人ー」


 チャンスだ、と思ったカナはのっそりと挙手した。臨時の日直に選ばれると、カナは号令をかける。


「起立、気を付け、礼」


 一拍開けて着席、と声を掛けつつも、カナ自身は席につかない。直立したまま菊池の目をじっと見つめている。場の空気を、我が物にしている。


「篠田、なにをし……」


 菊池の厚い唇が半分くらい開いたところで、教室後方の扉が開く音がした。ようやくカナは目線を菊池から離し、教室に入ってきた人物の姿を認める。


 日に焼けた健康的な肌。道化師のようにひょろりと細長い体躯(たいく)。そしてそこに(まと)うのはチェック柄のカッターシャツと少し(たる)んだサスペンダー。深緑をしたハンチング帽のつばに右手をかざすと、どーも、と言って軽く会釈する。


 左手には犬や猫を入れるようなキャリーケースが握られていた。ケースの中からわずかに見えるのは、間違いなくあの子の眼光で……。


 その人物――〝()()()〟は後方のロッカーの上に腰を下ろすと、隣に置いたキャリーケースをポンポン、と優しく叩いた。


 ああ、よかった。この人は私を裏切らなかった。私を、一人の人間として認めてくれた。肩を、持ってくれた。


 心の底から安堵したのと同時に、カナは確固たる意志を持って、引き出しから〝冷たい黒〟を取り出した。


 教室のざわめきは、悲鳴に変わった。菊池の顔つきは、不可解から恐怖に変わった。


 カナが握り締めているのは、黒々と輝く拳銃だったのだ。そしてその銃口は教壇に立つ菊池をまっすぐ捉えている。


「なにを、しているんだ、篠田……」


「この状況で分かんないんですか? あなたを撃とうとしてるんです。あなたは私を助けてくれなかった。助けを求めたのに、手を差し伸べようともしなかった。だからあなたは死ぬんです。だからあなたは殺されるんです。丁寧に理由まで説明しました。もういいでしょう?」 


 さようなら、菊池先生。


 カナは戸惑うことなくトリガーを引いた。射撃音の零点(れいコンマ)一秒後には、菊池の胸に赤い彼岸花が咲いていた。


 教室は、パニックに陥る。叫ぶ者、逃げ出す者、放心してその場から動けぬ者……。文字通りの三者三様……。カナはそのいずれにも関心を示さず、くるりと身を翻して回収屋に話しかける。


「回収屋さん、これが私の『覚悟』だよ」


 回収屋は頷きながら、「ええ、しかと見届けました」


 今のあなたになら、安心してこの子を託せる……。言いながら回収屋は、キャリーケースのロックを解除する。


 中から飛び出したのは、()()()()。大きな目と、大きな口、そして猫のような三角の耳を(たずさ)えた、ひとつの生命。


 その名はモナド。――個体名、『()()()()()()』。


 解き放たれた『憤怒』はカナに近づき、高い声でこう問いかける。


「力を、望む? 『呪縛』を、受け入れる?」


 カナは力強く頷いた。その身に宿る、ありとあらゆる魂から肯定した。すると『憤怒』にかざした両手から、赤い閃光が漏れ出した。


『憤怒』のボディがカナの肉体に溶け込んでゆく。ショートカットの髪は朱色に染まり、太腿のあたりの長さにまで伸長した。肉体は制服ごと燃え盛る炎に変貌(へんぼう)した。体内は今まで感じたことのないくらい情熱的なエネルギーで満たされている。そういった一つ一つの変化に興奮していたカナは、自らの物になったモナドの力を、どうしても今使ってみたくなった。


「うーん、だれにしようかなー。君はだめだし、君もだめ。君は……、ちょっとやせすぎ。うーん困ったなあ……。富下は……、ああ、逃げちゃったか。だれか……。だれか……。ちょうどいい実験体が、い、な、い、か、な」


 そんなことを(うそぶ)きながらも、カナの体はちゃんと峯川の正面にあった。正面に立って、床にうずくまる峯川を見下ろしていた。


 カナは処刑対象に容赦しない。右手に煌々とした炎を灯らせると、峯川の顔面を握り締め、そのまま地面に突っ伏した。


「ねえ峯川。自分がやってきたこと、思い返してみてごらん? 私の悪口をネットに書いた。私の持ち物をいろんな場所に隠した。それだけじゃないよね? 隠し撮りした私の下着姿を女子グループの間に拡散させた。『犯罪者の娘の裸w』って幼稚な言葉を添えてたよね? そんなことされて傷つかない人間がいる思う? そんなことされて(いか)らない人間がいると思う? そんなことされた人間が――」


 復讐しないとでも思った? 


 カナは首を傾げながら告げる。「だから、こうなるんだよ」


 峯川は涙を浮かべながら激しく抵抗した。憐れで惨めなその姿に嗜虐心が芽生えたカナは、炎の温度を一気に上げ峯川の体をひと思いに焼きつくした。


 カナは数秒前まで峯川だった黒い物体から手を離す。


「ははは……。殺しちゃった。人を、一人、殺しちゃった。一人、殺したら……」


 何人殺しても、おなじだね。


 カナはありとあらゆる方向に爆炎を噴射した。腰の抜けたクラスメートも、教室中の備品も、そしてもちろん撃ち殺した菊池の死体も、全部、焼いた。


 回収屋はいつの間にか姿を消していた。炎の教室で息をする生命はカナしか存在しなかった。その状況を、カナは面白おかしく感じてしまった。


 笑った。声高らかにカナは笑った。腹の底から大笑いした。


 それは、火炎(あか)い怪物の産声でもあった。


◆◆◆◆


第一章「(はな)(ほむら)」開幕


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