第十話『二係』
ガソリン車の馬力を馬鹿にしていたかもしれない。気が付けば車は千代田区に入っていた。皇居の外堀をなぞるように走行し、やがて有楽町2丁目12ー45に到着する。
警視庁も頑丈なものだ。霞が関の旧庁舎から移り変わってからすぐに戦争が始まったというのに、建物には傷一つ入っていない。ここら一帯は何度も爆撃されたと聞くけれど、そんな暗い過去は感じられない。それだけ丈夫なつくりをしているのだろう。
地下駐車場へ下る。バックで車が停まる。助手席の黒スーツが降り、僕が座る後部座席のドアを開ける。偉い人になったみたいでちょっとくすぐったい。
庁舎への入り口へ向かう。人が二人立っている。係長と草彅さんだ。
「おはよーさん。いや、こんにちは、かな」
「もう十二時近いですね。こんにちは、島崎君。体調はどうですか」
「こんにちは。体調は万全です。お気遣いありがとうございます。それとキョゼのことも……」
「いえいえ、礼には及びません。キョゼくん元気でしたよ。サンドイッチを嘔吐した時は驚きましたが……」
係長の目線が明後日の方へ飛んでいく。ああ、やったんだな、あの球体め。あとで説教しないと。
聞けば係長は二係の部屋に泊まってキョゼの世話をしてくれていたらしい。まあキョゼを独房に封じ込めたら僕が反乱を起こすだろうと政府が踏んだから、この判断を下したんだろうけど、それでもありがたいことだ。感謝してもしきれない。僕はもう一度お礼を言った。
「ほんじゃ行こうぜ」
そんなことはお構いなしに草彅さんが急かす。僕が首を倒す前に彼女は背を向けて行ってしまった。
なぜだろう。どうしても彼女の後ろを歩きたくない。いつその放屁を浴びせられるか分からないからだ。でも道が分からないから追い越すわけにはいかない。目まぐるしく思考を回転させた僕だったが、結局ラフレシア草彅から距離を置いて歩くことにした。
地下から一階まではエスカレーターで移動する。目の前のでかいケツに怯えながら、段が上がりきるのを待った。一階に着く。人が行き交うエントランスを横切ってすぐさまエレベーターへ。係長が八階のボタンを押した。扉が開く。鉄のかごは僕らを天高くに連れていった。
チロン、と到着の合図。三人で降りる。病院地下のときのような緊張感はない。だけど楽な気持ちでもなかった。狭い廊下を左に右に何度も曲がってとある部屋の前に着く。係長が胸ポケットから鮮やかな色のパスキーを取り出し、ドアノブ辺りにかざす。かちっとロックが外れる音がした。
どうぞ、と係長が先を促す。
「皆さん、待ちかねてますよ」
「……はい」
この先は新天地。ここにいる二人以外の二係の人が待っている。
スーツは間に合わなかったから制服を着てきた。いつもぼさぼさな髪だけど、今日は念入りに梳いてきた。だから大丈夫なはずだ。うん、うん、よし。僕は意を決して一歩踏み出す。
「こ、こんにち……」言い終わる前に、
「ショーーーウ!!」
キョゼが跳ね寄ってくる。そのままの勢いで大きく跳躍すると、僕の胸に飛び込んできた。僕はすかさずキョゼの体をキャッチする。
「久しぶり、キョゼ。元気だった?」
「おう! それはもう、バリバリよ! こいつらがいたから退屈もしなかった!」
体ごとぐるりと捩じってキョゼは部屋の中に視線を移す。自然と僕もそちらのほうに目をやった。
窓際に佇んでいる男の人の存在感が圧倒的だった。広い肩幅。高い上背。鍛え上げられた筋肉……。その人は熊みたいな体つきをしていたのだ。
四角い顔に乗っかった仏頂面こちらを向く。目つきからしても「デカ」って感じの人物。その人が手に握っているものが目に入る。むむ、イチゴミルクオレ? あら可愛い。これがギャップってやつか。ぜんぜん怖い人じゃなさそうだ。
その可愛い彼のすぐ手前のデスクには、地面に着いてしまいそうなくらい長い髪をぶら下げた女の人が座っていた。画面を睨みながらキーボードを打っている。あ、こっちを向いた。ふむふむ。血色の悪さを見る限り、電子的な捜査を担当しているのだろうか。机の上にはオロナミンCの空瓶がたくさん放置されているし。いやいや決めつけはよくない。でも社交性を持ち合わせているのは確からしく、僕と目が合うと笑顔になってひらひらと手を振ってきた。うん、この女性もいい人そうで安心した。
「やあ、はじめまして。といっても、僕が君の姿を見るのはこれで二度目なんだけどね」
そう言って手を差し出してきた男性は、ナツメと名乗った。夏が廻る、と書いてナツメって読むんだ、とわざわざ解説してくれた。頼れるお兄さん、と言い表したらしっくりくるかな。長身でさっぱりとした顔つきをしている。人当たりもよさそうだった。
どうやら夏廻は草彅さんと一緒にあの廃工場に臨場していたらしい。僕が叩きのめしたあの悪党どもは彼が逮捕したそうだ。もちろん、キョゼと一体化中の僕=「白い怪物」の報告も行った。もろもろの事後処理がとてつもなく大変だったという。僕はなんだか申し訳なくなってきた。
「ごめんなさい。僕が未熟なばっかりに……」
「え。あっ、こちらこそごめん。グチを吐くつもりはなかったんだ。ほんとうなんだ。ごめんよー」
「わあ、先輩が新入りいじめたー。パワハラでモラハラだあ。係長にチクろっかなあ」
「チクるも何も、私はここにいますが」
係長の冷静なツッコミはきれいに華麗に無視された。夏廻は笑いながら怒るという高等技術で草彅さんの煽りに対抗する。
「いつもオナラハラスメントをやってるナギちゃんに言われたくはないかなあ。ねえ、君はここで何回屁をこいたかな?」
「五十三回。すかしっぺ含めたら七十回以上ですわ」
「ですわ、じゃないよ。お嬢様風に言っても無駄なんだよ。そして呆れたよ。なんで屁の回数をいちいち覚えてるんだよ。意味不明だよ」
「意味不明は一周まわって理解可能らしいですよ。ねえ、モモさん」
「なーんで私に会話を振るの。そしてそれはあの鳥の台詞。次言ったら、いくらナギちゃんでも半殺しにするよー」
精神的に、と『モモさん』は付け加える。僕は『モモさん』に手招きされているのに気が付いたので、キョゼを抱えたまま彼女のもとに向かった。
「ごめんね、ショウ君。あの二人いっつもああなんだ。許してやってくれい」
「え、あ、はい……」
「むむむ。ツレない反応をキャーッチ。ああ、自己紹介がまだだったね。私は百川モモ。情報系の捜査を担当してる。皆からはモモさんって呼ばれてるよ。ちなみに果物のイントネーションで『桃』って呼んだら半殺しにするから注意されたし。そしてこっちは」
百川は大柄の男性に主導権を譲る。男性はよりかかっていた窓の縁からのっそりと体を起こすと、
「大熊セイイチロウ。これからよろしく」
とだけ言って、まだ窓の縁によりかかりイチゴミルクオレを口に持っていった。
「うん。大熊の旦那はこれが平常運転なんだ。慣れるまでには時間がかかるけど、慣れたら気にならなくなる。それが大熊セイイチロウの魅力なのよ。分かったかね? ちなみに、係長のフルネームは知ってる?」
「いえ。係長どころか草彅さんの下の名前も知りません。夏廻さんも今会ったばかりだから」
「分かんないよね。ふむふむ。ならば教えてしんぜよう。係長は佐々城ミツヒコ。ナギちゃんは草彅サヤカ。そしてあのイケメンは夏廻ソウマ。ディッヂュウアンダスタンド?」
「イエス・アイ・ディド」英語が得意でよかったと思った。
「オーケーオーケー。今紹介した三人に私と旦那、そしてショウ君を加えた六名が……。んにゃ、違うね」
百川はよいしょと言って立ち上がると、僕に抱えられたキョゼを包むように優しくなでた。
「キョゼちゃんも数に入れないとね」
「そうだぜ! おれも〝ニガカリ〟のメンバーなんだ!」
だよな、とキョゼは僕を覗き見る。もちろん、と僕は元気に返事した。
「ごめんごめん、訂正する。ショウ君とキョゼちゃんを加えた七名がこれからの二係。警視庁公安部特殊対策課第二係なわけよ。どうぞ、よろぴくネ」
百川はピースをした二本の指をぴくぴくと前後に倒した。
世界中のどの人間がどの角度からどう見ても個性的だと言わざるをえない人たちが集結した警察組織。それが二係。
けれど彼ら彼女らは、国家機密と戦っている。逃げ出したモナドを、施設を襲撃したテロ組織を血眼になりながら追っている。平和と秩序を守るべく、身を粉にして奮闘している。それを忘れてはいけない。
僕も頑張るんだ。キョゼと一緒に、ここのみんなと胸を張って並べるように……。
固く固く、決意した瞬間だった。




