第九話 引越しって大変だよね
大事をとってもう一日だけ入院した。もろもろの手続きを済ませるために、さらに一日を費やした。だから今日は2112年9月7日。十一時にやって来る引っ越し業者のために、僕は自室に置いたありとあらゆる物体をかたっぱしから段ボールに詰めていた。
ありとあらゆる物体、といってもほとんどが書籍だ。小説や漫画といった、今では街で見かけることも少なくなった紙の本。死んだ父親の遺品でもある。困ったことにウチの父親は興味と嗜好が偏っていたらしく、所蔵していた書籍の六割が推理小説で三割が少年マンガの単行本なのだ。ちなみに残りの一割は『ドラえもん』の全巻である。
父親の記憶はほとんどない。僕が三歳のときに行方不明になったからだ。
次に会えたのは五歳のときだ。ただし父親は頭蓋骨だった。それも全部ではなく、手のひらくらいのサイズ。父は戦時中ひどい戦火に見舞われたA地区を訪れた可能性が高いらしく、空襲に巻き込まれて死亡したと推測されている。そういった生前の行動予測やDNA鑑定は全部〝戦没者慰安局〟という機関が行った。一縷の望みにかけて政府に関わりのない第三者機関にDNA鑑定を求めたが、結果は同じ。提出された頭蓋骨の一部は99.99%の確率で僕と僕の母のDNAと一致した。頭をやられていたらさすがに生きてないだろうと、僕と母は父の生存を諦めた。いや、諦めざるをえなかった。
だからこうやって『ドラえもん』の第0巻を手に取ってみても父の記憶は何一つ想起されないわけで……。と、そのとき部屋の戸がノックされた。覗き窓から外を確かめる。黒一色のスーツに黒いサングラスをかけた男が数人立っていた。僕は戸に顔を近づけ、九から七、と外の男たちに聞えるように言った。すると一番先頭に立つ男が戸に顔を近づけ、七から五、と返答する。
暗号は完璧だ。時間は十一時ぴったり。この人たちは政府の関係者。そしてこの段ボールを運んでくれる引っ越し業者でもある。僕は戸を開け、男たちを部屋のなかに入れた。
「島崎ショウさま。お荷物を運びに参りました」
「はい、よろしくおねがいします」
授業中だから寮内に生徒はいない。引っ越し作業は人目につかないはずだ。そしてつまるところ、僕は今日学校をサボった。サボったどころか母親に内緒で休学届けを出したのだ。これもキョゼの自由のため、そしてモナドの脅威を排除するためだ。友達はほとんどいないから教室から去るのに未練はない。あるとしたら、同じ環境委員の篠田さん(第一話と第二話で日直をしてた子だよ)に仕事を押し付けることになる、という点のみだ。
まあ環境委員ってのは仕事があるようでない、空気みたいな委員会だからそこまで懸念する必要はない。
だから、未練はない。
黒スーツが部屋を入っては出てを繰り返す。みんな同じ服装で、同じガタイをしているから誰が誰だか判然としない。とにかく僕は、そのうちの一人からこう言われた。
「車の準備はできております。先に乗られて警視庁に移動されますか」
「そうですね。質問に質問で返すのもアレですけど、キョゼはどうしていますか?」
「ああ、そのことでしたら特対二係の者が……失礼。島崎さまも二係の方でしたね。ともかく『拒絶のモナド』は警視庁内で別の者が見守っております。ご安心を」
「そうですか。じゃあ移動しましょう。荷物、よろしくお願いします」
段ボールは一足早くセーフハウスに移される。僕は作業をする黒スーツたちにペコリとお辞儀し、五ヶ月過ごした自室に別れをつげた。
人気のない寮を、人目の付きにくいルートを選んで外に出る。入り口の前に黒塗りの高級車が停まっていた。なんだか僕が浮いて見えるな。申し訳程度に寝ぐせを手櫛で直してから後部座席に乗り込む。僕に話しかけてきた黒スーツは助手席に身を収めた。
運転手は一応いるが、ハンドルは握らない。車に搭載されたシステムが呼びかけ一つで発進してくれるからだ。運転手は準備完了、と車に言う。機械が喋ったあと、ぶるるるると、エンジンが震える音。この時代にしては珍しいガソリンを使うタイプの車だった。そういえば、こういった公用車はハッキングされないようにオフラインのガソリン車を採用していると聞いたことがある。ガソリン車に乗るのは初めてなので楽しみだ。
ほどなくして車は学校の敷地内から出た。それからくねくねとした細道を走り市街地へ。車窓から多摩川が見える。あ、あの橋は。
「キョゼ……」
あの橋の下で、僕とキョゼは出会ったのだ。見逃すはずがない。
病院地下での一件があってから、キョゼの身は一時的に佐々城係長が預かった。僕のコンディションが整うまでのあいだ、責任を持って面倒を見てくれたそうだ。係長には感謝してもしきれない。あとでしっかりお礼を言わなくては。
「…………」
右から左に流れる景色をぼう、と眺めている。呆けるためだけの時間に訪れたのは、幻影のごときフラッシュバック。それも自分が見たものではなく、一体化した際に見たキョゼの記憶だ。
液体で満たされたカプセル内での目覚めから始まり、その後も何回か目を覚ましている。五回目の目覚め。その次の記憶が襲撃された軍事施設から逃げ惑う光景だ。ただし逃げ出した瞬間の記憶はない。燃え盛る施設を逃げる記憶のみが存在する。
キョゼは街に出た。衆人環境を避けるために裏路地や河原、草むらを選んで逃げていたらしい。脱走の期間は実に五ヶ月。僕が寮生活しているあいだずっとキョゼは逃げ回っていたことになる。ほんとうに、頑張ったんだな。
逃げて、逃げて、逃げ回って。そして景色はあの橋の下に移る。ああ、僕が姿を見せた。サンドイッチを差しだしている。うん、このあとはゲロが映るな。思い返すのはこのくらいにしておこう。
そういえば。
キョゼの記憶にあるのは『見た景色』だけではない。キョゼ自身が覚えていることも含まれている。具体的に言えばモナドが人間にもたらす力についての詳細だ。
まず、モナドは十体存在する。それぞれ『拒絶』・『憤怒』・『飛翔』といった具合に名前がつけられており、おのおのが兵器としての特殊能力を有しているのだが、どうもモナド単体ではその能力を行使できないらしい。能力を使うにはモナドを受容するための人間が必要だというのだ。その人間のことを便宜上『レセプター』と呼ぶことにする。
レセプターはモナドと一体化することでその特殊能力を使えるようになる。レセプターの中でのモナドは、言い方が悪いが傀儡も同然で、能力行使の権限はあくまでレセプターにあり、モナドは体内にいるだけの生命となる。
肝心なのはここからだ。一体化する際、レセプターとモナドの間にはある種の『呪縛』が生まれる。『呪縛』はモナドに入力されたプログラムのようなもので、モナドは一度レセプターを選ぶとそのレセプターが死亡するまで他の人間とは一体化できない。そしてレセプターが命じた一体化の命令、および一体化解除の命令には拒否できないように造られているらしい。
まさしく『呪縛』。どちらにとってもデメリットしかない。何を伝えたいのかというと、僕とキョゼは運命を共にする間柄になった、というわけだ。
(注)
オフラインのガソリン車、という矛盾に満ち満ちた表現がありますが、この車は『電子的な動作が車体内で完結し、燃料にガソリンを使用しているもの』、と認識していただければ結構です。
え? 結局なにが言いたいのか分かんない、だって?
ははは、そう思ったあなたは鋭い。
なにせこの欄が作者にとって都合のいい、ただの弁解コーナーであることに気づいたのだから……。




