プロローグ
タクシーが空を飛ぼうとも、パチ屋のアドバルーンが3Dで映っていようとも、どんな時代になろうとも上司からの電話はクソだ。
都内のとあるビルの屋上で女刑事、草彅サヤカはそう思った。
「よーするに、派手にドンパチやらなきゃいいんだろ? 私は二十歳だ。立派な社会人だ。そのくらいの分別はついてるよ」
「ついていないからこうやって電話をしているんです。それに、分別ついてる人は独断専行なんてしませんよ。いいですか、もう一度言いますよ? 戦闘区域をくれぐれも市街地まで広げないように。それと、」
「目標を発見次第、すぐに報告、だろ? 五万回きいたわ。もう理解してる。じゃ、切るから」
「ちょちょちょっと! ほんとによろしくお願いしますよ! 〝アレ〟は機密中の機密なんです。万一一般社会に影響が及んだら……」
「おかけ頂いた電話番号は現在使われておりませーん」
草彅は自分の口でそう言うと、『係長』と表示された電話の画面を雑に閉じた。断末魔に似た素っ頓狂な叫び声が聞こえてきたが、きっと幻聴だろう。うん、幻聴なのだ。幻聴ということにしておいたほうが、あとで言い訳ができる。
幻聴、幻聴、と呟きながら草彅はスマホをポケットにしまった。
「それにしても」
ビルの屋上から夜の東京を展望する。さっきのタクシーは空の彼方に消えていき、パチ屋のアドバルーンは性懲りもなく客を集めていた。
今やプログラマーが公務員とみなされる時代だ。こういった一つ一つの状況が、人の努力の結晶であり、同時に国の発展として評価されるわけだけれど……。
「眩しい」
そうだ。とにもかくにも眩しすぎるのだ。
立体的に動く企業の広告はキラキラ・チカチカ・テカテカの三拍子で鬱陶しいし、そういった技術的な見せ物ではなくても、そこらじゅうのビルの明かりが過剰なくらいのワット数で日本の夜を跳ね除けようとしている。
やりすぎじゃないのか? 暗いのがそんなに嫌なのか? あの激動的で真っ暗な戦争を経験したから、みんな『光』に飢えているのか?
「いずれにせよ」
東京は機械仕掛けなのだ。ガキの頃に見た焼野原の首都は、きれいさっぱり復興されたのだ。そして人々は、ようやく訪れた平和を噛みしめるように生きているのだ。
この世界の汚い裏側を見ているのは、〝私たち〟だけでいい。
そう強く決心すると、草彅はくるりと踵を返し、ビルの中へと続く薄暗い階段を下っていった。
カツン、コツン、カツン、コツン。乾いた革靴がリズムを取る。
カチャン、ザワザワ、カチャン、ザワザワ。階下で聞こえるのは異常を察知し、戦う準備を整える音。
草彅はふう、と一度息を吐き出すと、尻ポケットに手を突っ込んで、黒くて厚い鉄板のような物体を取り出した。
「アクセスコード・000」
張り詰めた草彅の声に鉄板が呼応する。
『コード確認。声紋一致。ユーザー名・草彅サヤカ』
『状況確認。〈アマノムラクモ〉、ショックモードで起動します』
キィーン、グオーン、カチカチ、シャキン! これは鉄板が奏でるプレリュード。いや、『鉄板だったもの』が奏でたプレリュードだ。先刻の喋る鉄板は煌々と輝きながら変形し、珍妙怪奇なカラクリ刀へと変化したのだ。
「安心しな、おっさん。このモードじゃあ、物は斬れない。もちろん人もね。感電させて、気を失わせるのが関の山だ。だけどまあ、正直に喋ってくれなきゃあ、この武器も本気を出すかもしれないな」
「き、貴様ッ。どこから入ってきた!」
「屋上だよ」
「は?」
「だから隣のビルから飛び移って、屋上から入ったんだってば。置いてった上司から電話かかって足止めされたけど、それまではスムーズに進んでたんだぜ?」
ビル。正確には犯罪組織の巣窟となっていた廃ビルのワンフロアに、武器を携えたツラの悪い男たちが続々と集結する。二、四、六、ハ……。人数は報告どおりの十一人。ちょっと多いが、捌けない人数でもない。きっとなんとかなるだろう。
「私が聞きたいことはただ一つ。〝モ……」
「部外者に語ることなんかねぇよ! やっちまえ、お前ら!」
早々と号令がかかった。一味の内の三人が草彅に銃口を向ける。憎たらしい闖入者を葬り去る、悪意の引き金が引かれるその瞬間。
「話し合い終了」
草彅の乾いた声が、銃を持った三人を襲った。刀から放たれる黄色い稲光は、弾丸が放たれるよりも速く、敵を感電させたのだ。
頭領と思わしき人物が引き攣った声を上げる。「くうぅぅ! かかれ、かかれ、かかれぇぇぇぇ!!」
「サインは牢屋で書いてやるからよぉ――」
草彅は柄を両手で握り締め、刀を地面と水平に保つ。足を上下いっぱいに広げてバランスを取り、腰を可動域限界まで捻ると、飛びかかって来る男たちに向けて渾身の一閃を放った。
「まずは大人しく捕まってくれや」
ほとばしる電撃。野太い悲鳴。男たちはその圧倒的な電圧に耐えられず、一人また一人と息を吹きかけたドミノのように倒れていく。大の大人が床に散らばるその光景は、笑ってしまうくらい滑稽だった。
草彅は無作為に選んだ男の頬をぺちぺちと叩きながら、遊び半分で話しかけた。
「なあなあ、今どんな気分だ? ええ? 『小娘一人にやられて悔しいです!』、だって? そりゃ可哀想に。心の底から同情してやるよ。まあ、やったの私だけどさ。あー、でもなあ…………」
(勝った気しないんだよなあ)
そうだ。これは完全な勝利ではない。組織が持つ情報を何一つ得られていないのだ。組織のメンバーから話を聞くには、彼らの意識が戻るのを待たなければならない。意識が戻ったとしても、簡単には口を割らないだろう。
どちらにしろ、真相究明には膨大な時間がかかるのだ。いや、待てよ。もしかすると意外と近くに〝いる〟かもしれない。いやいや、そんなはずがあるワケないか……。それなら警察いらないし……。でもひょっとすると? もしかすると? うーん、やっぱりあり得ないよな。
草彅は虚空に呟く。
「なあ、一体どこに隠れているんだ……? 〝モナド〟……」
物語は、まだ始まってすらいないのである。