結婚破棄? 残念でしたわね、あなたがいま話している”それ”はわたくしの分身ですの!
顔は、確かにいいわね。
サラサラの白い髪に、王家特有の赤い瞳。
ディオン様の良さを強いてあげるなら、多分それくらいね。
「メルティ・シスレリナ伯爵令嬢。無能で平凡で、料理も下手で、家事も大してできないような君は、はっきり言ってこの僕の妻には相応しくない」
多くの貴族で賑わう王城の広場。
華やかな音楽が城内に響くパーティーの最中だった。
わたくしの婚約者であり、このアストル王国の第三王子ディオンがこちらを睨みながらそう叫んだ。
笑顔だった貴族たちもディオン様の大きな声に反応し、一様に怪訝な表情を浮かべてこちらへ視線を注目させている。
そんな雰囲気に一切呑まれることなく、王子はわたくしの目を睨んで罵倒の追い討ちをさらに続けた。
婚約を交わして過ごした三年間に一切の未練もないらしい。
もちろんわたくしも全くないけれど。
「君にはもう再三呆れた。この三年間、僕は君のために色々と尽くし、全てを捧げてきた。それなのに、この仕打ち…おかしいだろう?」
はて。仕打ちとはなんでしょう。わたくしが何かしたのかしら?
あるいは何もしてなかったと文句を言っているの?
まったく、このアホ王子は何を言っているのかしら。
逆にこいつが、わたくしに何を尽くして、何を捧げたの?
もしかして、わたくしの記憶が全て消えているんですの!?
なんて考えていると、頬を苛立ちでピクピクと震わせながらディオン様は言う。
「おい、いま婚約破棄をしたのだぞ。何か喋れないのか? この無能令嬢め」
わたくしの無反応に、ディオン王子の表情は段々と苛立ちが隠せなくなっているご様子だ。
もっと怒らせて、貴族の前でアホ面の醜態を晒させたいところではありますけど、どちらかといえば現状わたくしが責められていますものね?
一応弁明の意も込めてここは謹んで、返事をしてあげますわ。
「もしや、ディオン様は気付いてないんですの?」
「はぁ? いきなり何を?」
「まぁ、この一年わたくしのことは何も見てこなかったですものね。仕方ないですわ」
正直、このアホ王子がわたくしから離れたいというのはずっと前から気付いていましたわ。
いつかこうなる未来も、もちろん見えてたわ。
だから、わたくしは独学で”錬金術”を学びましたの。
「あなたが今話しているわたくしはメルティ・シスレリナ……の、土人形ですの。この声も、この動きも、この返事も、全て。視覚共有を使って、遠い遠い場所から遠隔で操作してましたの」
わたくしの言葉に、ディオン様は絵に描いたような顔で驚く。
そして小さく「は?」と漏らしたディオン王子は数秒ほどわたくしの言葉を頭で反芻して、何度もわたくしの身体を色んな方向から見て。
アホ王子はようやく理解した。
「いつ、からだ……?」
「補完程度の幻覚魔術も覚えてからになりますので、ざっと一年前にはすり替えは終わっていましたわ」
このアホ面を見るために必死に学んだ魔術。
こうして一年間騙せたなら成功と言えるでしょうか?
「じ、じゃあ! お前は今どこにいるんだ?」
「本来であればわたくしの返事次第で婚約破棄が成立しますので言う必要はないのですけど。他の方も気になっていらっしゃるようなので、お答えしてあげますわディオン様——わたくしは今ルイン帝国、その辺境の村に住んでますの」
視覚を共有している土人形——錬金術師の中の正式名称ではゴーレムと呼ばれる物体の双眸から周囲を見渡すと、まだわたくしのことを”本物”かどうかの疑いの目を向ける貴族たちがいた。
その中にはアホ王子にいつも同調して、わたくしを影で馬鹿にしていた貴族もいる。
わたくしは成功を噛み締め、この瞬間に至るまでの記憶を思い出す。
まずはこのアホ王子と婚約を交わした三年前。
最初の印象こそお互い悪くなかったが、今となってお互い体裁を気遣っていただけで本音は違っていた。
一ヶ月後にはディオン様はわたくしに対して見下したような発言が目立ち始めた。
その頃は身分の差を自覚していたので、毎日毎日我慢をして、文句も言わず料理も家事も、全てやっていた。
ディオン様は気に入ってないらしいけど、自分の中では料理は上手だと自負している。
まぁそこから一年は平穏に…正確には穏便に過ごした。
錬金術というものを知ったのは、街に買い出しに行ったついでに寄り道した魔導具店。
本来貴族がいくような場所ではないけど、初めて行ったその日に店主であるアーノルドさんと意気投合。色々魔術の話を聞いている間に、気付けば街に買い出し度に寄り道するほどハマっていた。
わたくしでももしかしたらできるかも? なんて思ったのは魔導具店に通って半年が経った頃だった。
アーノルドさんがわたくしの魔力を測定して、初めてその『資格』があると知った。
そこからはアーノルドさんの店から魔導書を買い占めて猛勉強した。
誰にも頼らず、誰にも縋らず。
わたくしはわたくしの力だけでディオン様…否、あのアホ王子をぎゃふんと言わせようと志した。
そして初めてゴーレムを生み出せたのは学び始めて一ヶ月後だった。
アーノルドさんも、その成長速度には苦笑いを浮かべていた。
そこからそのゴーレムを基礎に、視覚共有や人間の動きに寄せた自然な動作の伝達など。
錬金術師の中でも至難の業だと言われているゴーレムの遠隔操作の勉強に注力した。
結果、またまた一ヶ月でそれはほぼ完璧なまでに習得した。
あとはゴーレムの容姿をできるだけわたくしに近付けるだけ。あくまで幻覚魔術は多くの人間を騙すための保険で覚えた。
でそんなおまけ程度の幻覚魔術は、正直ゴーレムよりも覚えるのに時間がかかった。
半年後。わたくしの容姿を完璧に模したゴーレムが完成した。
洗練された遠隔操作はまるで本物の人間を思わせる自然な動作を生み出し、ゴーレムにつけた魔導具で作られた宝石のような綺麗な瞳から映し出される視覚共有は、本物の景色同然だった。
「お、俺はゴーレムとずっと……」
その真実を知ってか、あるいはその羞恥すべき事実を他の貴族に見られているせいか。
ディオン様はその場に膝を落とした。
「やっと…やっと自由になれますわぁああああ!」
ゴーレムの操作も疲れますのよ。
魔力の消費も激しいし、気付かれるリスクなどもないわけではなかったんですもの。
でも、成功した。
わたくしは、これで自由になれますわね。
「婚約破棄を受け入れますわ、ディオン様。ティーナ子爵令嬢様との末永いお付き合いを、お祈り申し上げますわ」
「なっ、なぜそれを!」
「わたくしはこの目で、全て見ていましたもの」
その言葉の意味をすぐに理解して、ディオン様は絶望した。
絶望すればいい。わたくしを徹底的に見下し、罵倒し、散々こき使って。
他の貴族の前で、その無様な姿と事実を晒せばいい。
もうわたくしには、全て関係ないことかしら。
「ふぅ、やっと…終わりましたわ」
ディオン王子の絶望に歪んだ表情に満足したところで、遠隔操作を終了して”現実”の視覚に戻ってきた。
もう用無しとなったゴーレムは、魔力の伝達が途絶えると数日で砂となる。
「お疲れ様、メルティ」
わたくしの言葉に、後ろから優しい声が労わってくれた。
わたくしはその言葉に満面の笑みを浮かべて、応える。
「わたくしの傍にいてくれる事、心より感謝してますわ、アーノルド」
こうしてわたくしの一年間の努力はハッピーエンドに終わったのだった。