(2)愛のない家
ハナ・ロスチャイルドは孫娘を連れて寝室を出た。
いくつかのわざとらしい鳴き声が背中で聞こえた。
1番大きな声で泣いているのは、長男ナサニエル(ナット)の嫁にちがいない。
ナットがロンドン・ロスチャイルド家の後継者であるが、無能なせいでロスチャイルド家を没落させる危険性があることをハナは知っていた。
ジェイコブには4人の子どもがあり、上の3人が女性で末っ子のナットが長男だった。
金融帝国も利権も親族らに奪い取られるのだ。
裏社会は奪い合いと騙し合いの世界だとハナは思い、深いため息をついた。
「さっきのおじいさまの目、怖かった。なにか、蛇みたいだった」
孫娘がハナのロングドレスを引っ張った。
2階バルコニーに出ると冬の陽射しが心地よく、遠くを見ながらキラキラとした光に目を細めた。
400万坪近い広大な敷地(皇居の9倍)には丘があり森があり、川があって、孫娘はそれらの眺望に目を輝かせた。
「うわぁ! 気持ちがいい」
孫娘は両手を広げてクルクルと回った。
7歳の孫娘を眺めながらハナは、これくらいの年が一番幸せかもしれないと思った。
大きくなると専属の家庭教師がつけられ、家のために猛勉強させられ、適齢期になったら政略結婚、そして愛のない家族を作る。そんな人生になんの意味があるのだろう。
ただ、この世界から逃げ出すことはできない。
裏ぎり者は消される運命だ。ダイアナ妃のようにね。この裏社会と縁を切ろうと何度思ったことだろう。そのたびにダイアナ妃の惨劇を思い出してとどまった。
そんな私が、なぜ、いま、世界支配の道を突き走るようになったのか?
ハナは、昔、父親のジェイコブから受けた過酷な試練を思い出し、わが身の不運を呪った。
「ねぇ、おばあさま。昔、私たちユダヤ人は差別され迫害されたんでしょ? そんなどん底から、はいあがって、こんな広い土地と、こんな広いお屋敷に住めるようになったのよね」
と孫娘が、大人っぽい口調で言って、遠くを見つめた。
「私たちの祖先のマイヤー・ロスチャイルドさんが、200年近く前に大成功してから、わが一族はずっと繁栄しているんだよ」
ハナも遠くを見つめたまま言った。
「でも、どうして、こんなにも繁栄したんでしょう?」
「それはね」ハナはしばらく黙って、少し考えたあと、こう言った。「悪魔と手を組んだからよ」
「え? 悪魔?」
孫娘が驚いたように、顔を向ける。
「悪魔は、私たちの願いをなんでもかなえてくれるんだよ」
「え? そうなの? でも、魂をとられるんでしょ」
「そうね。ハハハッ」
そう言ってハナは笑い、森の木の輝きに目を向けた。
2匹の小鳥がせわしなく木々の海に飛び込んだり飛び出したりしていた。
小鳥の鳴き声が冬の青空にとけていった。






