第3話-2 京浜大震災後、玉川へ
軍議レベルの大事な話は、些細な会話からでも起こりうる。それが、後に生死を分ける話になることもある。
ユウナの話を聞くため、乾パンの缶にある蓋を開ける手が止まっていた。
食べながらでいいよ、とユウナは話を続けた。
よく訓練された俺たちは、食事を始める。
ユウナは俺の本心をつくけど、俺の質問返しもユウナにとって厳しいところをついていると思う。
俺の妹の良さは、自己受容が出来た上、自己肯定感が高い。他人に優しくないと言われるけど、他人の戯言では自分の軸がぶれない。
「過去や他人は変わらない。残念だけど、家族であっても自分以外は他人だし、今が1秒でも過ぎれば過去になる。じゃあ、逆の視点にしよう。自分自身が未来に向かって歩くことは出来る。つまり、自分や未来はいくらでも変えようがある」
「真理だけど、冷め過ぎじゃないか?」
「うーん、そうかな。ちょっと厳しい言い方するよ。お兄ちゃんは、過去を見過ぎている。昨日、叔父さんを怒った私は、もう変えられない。でも、昨日の私はその場ですぐ許すって言ったし、今日の私もそれで良かったよ、と思っている」
「それはどういう視点なんだい?」
「視点は今の私から動いていないよ。今、あの一瞬を受け入れただけ」
過去や他人は、今さら変わらない。今から、自分や未来を変えられる。
変えられるものを選べば行動できると、さっきの俺たちは選んでいた。
横に視線を移すと、キールは上の空で乾パンをただ食べている。
彼の食事は、ボケーっとする空想の時間らしい。オンオフがしっかり出来るのは彼の良さだ。
そうなら、2人に比べて、俺の良さってなんだろう。いつも気持ちが揺れる俺の良さってあるのかな。
1人分の乾パンを食べ尽くしても、俺の中で答えは出なかった。
この地下鉄の構内にお別れだ。立ち上がって、おのおの準備をする。
金髪の青年キールは、装備を手早くして軍人モードになる。妹のユウナは、こんなときでも丁寧に黒髪ツインテールを結い直している。
やることがなかった俺は、食べ終えた空き缶やゴミを集めて、すみっこにまとめておいた。
いつになるか分からないけど、都市復興が始まるときまで、このゴミは放置だろう。
それでも、散らかったゴミの始末をしたのは、ただ気分で俺がやりやかっただけだ。
さて、本日の移動が始まる。
『同期開始』。
ボソッと一言だ。
ユウナの灰色の瞳は、赤く光る。じーっと、地下鉄の現在位置から先の地点を見ている。
結論、俺たち3人は、地下道を歩くことを諦めて、地上の道から川崎方面を目指すことにした。
ユウナが、その理由を話す。
「玉川までは、ここから地下道で行けない。崩落している場所がある」
「へぇ、便利な覚醒能力。それ、何って言うんだっけ」
「この能力に名前なんて付けていないけど、『絶対空間認識能力』とでも言おうかな」
空元気にキールは尋ねてくれた。
とりあえず、他人の話に合いの手を入れるのが、彼の性格らしい。
マイナス気分でも、彼のお喋りの口は動く。
ユウナの覚醒能力は、物理現象でいうベクトルという矢印で空間を見ているようだ。
ベクトルの矢印が小さかったり、もしくは方向がずれていたり。
その些細な変化を読み、障害物や生物がいると分かるらしい。
彼女はうれしそうに話し続ける。
「生物の場合は、相手の行動予期も出来るかな。クリーチャーくらいの鈍さだと、もう相手の動きは完全に把握できる。もう少し鍛錬すれば、人間でも行動予測が可能かもね」
「地図より正確に空間を把握し、生き物の行動予測まで出来る。ゲームなら、チートキャラだろ」
「覚醒能力の、当たりですぅー。ズルはしていませんー。あ、お兄ちゃん、そこ段差だよ」
話しながら、2人は地上へ向かう階段を上っている。
悶々としながら、俺は2人の後を歩いていた。
そして、俺は階段を踏み外す。ユウナの注意はごもっともだ。
だけど、それくらいは普通の人でもわかる。考え事で不注意だ。
おかげ様で俺の目は覚めた。キールのお喋りがしつこい。
「イツキ、寝ぼけているのか。もう穴に落ちても助けねぇから、気を付けて行こうぜ」
「うるせぇ、もう落ちねぇよ。ユウナ、道案内を頼む」
「私が言うことじゃないけど、2人とも仲良くね。じゃあ、行こう」
陰鬱な朝。
地下鉄入口に立つ。川崎方面へ向かいユウナを先頭に、俺たちは歩き出す。
今日も灰色の空には、太陽は昇らない。見渡す限り、静かすぎる世界が続いていた。