第5話-1 京浜大震災後、東央大学附属川崎第6研究所
『同期開始』
銀瞳の俺は自ら率先して、高層ビルの壁を走って登った。
川崎市の大企業のビル屋上から、俺は等々力にある川崎第6研究所を眺めていた。
被災して水没する地区とは、対照的に綺麗な浮島が見えた。
すぐに、俺が設置したロープを使って、ユウナが登ってきた。ということは、キールは面倒くさいと言っていたので、ビルの下で待っているらしい。
茶色い泥水の海に浮かぶ陸の孤島となった研究所を、妹の赤い瞳が見ている。そこまでどうやって行こうかと、彼女は道を探しているようだ。
彼女の口調は冷めている。これから起こる困難に対して、感情表現が無駄と分かっているからだ。
俺は能力の無駄遣いを誤った。
「泥中を行くしかなさそう」
「ごめん。登らなくても分かっていたよね」
「謝らなくていいよ、お兄ちゃん。おかげで、1つ分かったことがある」
「え、何」
「お父さんの研究所、多摩川の傍なのに全く被害がなさそうってこと」
ユウナのしかめっ面で、その事実が喜ばしいことでないと、俺は分かった。
研究所が被災を免れることは不可能だろうと、俺は思いこんでいたから、馬鹿正直に喜んでしまっていた。
だけどユウナの話を聞いて、それが異様な光景ではないかと、俺は改めて考え直した。
多摩川の氾濫は、綺麗に親父の研究所を避けている。それどころか、敷地内に被災した建物が見当たらない。
まるで研究所だけ守られているような。もしくは、まるで時空が違う場所になったような。
あの場所へ行くのは、俺たちの身に危険があると思うのが妥当だろう。
俺たちはビルの下へ降りる。
兄妹の浮かない顔を見て、キールは困ったような笑みになる。
「良かったじゃないか。東雲博士は真っ黒な悪い奴、確定だ」
「お父さんは、私にお兄ちゃんを助けるようにしか言っていない。思い出そうとしても、その伝言だけしか、私、記憶にない」
「ふーん、どういう伝言だ」
「東京にイツキが来るらしい。ユウナ、道案内してあげなさい、だっけ」
「東京を案内してやれとも解釈できるし、研究所まで連れてこいとも解釈できる。おう、お兄ちゃんはどう思うよ?」
笑顔の仮面で冷静を装うキールが、俺に感想を尋ねる。
高崎で叔父さんの静止を振り切って、ユウナや親父の安否を確認しに東京へ向かってきた。
ただ、叔父さんが親父に連絡すると、俺は思わない。この非常事態下で、軍人は被災者の救護を優先するだろう。そんな暇はない。
だから、違和感が残った。
東雲家を無視し続けているのにもかかわらず、俺のことを親父が知り過ぎている。
動揺しない方がおかしい。俺も親父を黒幕だと思い至った。
「叔父さんにしか、俺が東京に行こうとしていのは分からなかったはずだ。それに、俺は親父に連絡していないんだよ」
「ほらほら、ユウナちゃんよー。お兄ちゃんはお父さんを黒だって言うぜぇ?」
「キール、何を楽しんでいるんだよ! 一応、俺の親父……だぞ……」
「他人事じゃなくなって、2人とも怖くなったんだろう。当事者3人で解決する方法は単純さ。泥中を越えて研究所に突入し博士の口を割らせる。以上!」
キールのお喋りが、悪い方へ俺たちを扇動しているように感じる。
ユウナが恨めしそうにキールを見る。俺も強がったけど、正直、怖かった。
心の弱さを掴まれた俺たちは、否定の言葉を奪われた。
泥中を越えて研究所に入り、親父に会いに行くしか選べなかった。