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9.草原の花

「奥様、こちらの方とお知り合いですか?」


 私とシャルロッテを交互に見て、ララはそう尋ねた。


「……私のお姉様ですわ」

「シャルロッテと申しますわ。よろしくお願いいたします」

「はい。アンゼリカ様にお仕えしているララと申します」


 ララがにこやかに挨拶をするが、姉の興味は私が抱き抱えている幼子に移っていた。


「あら、可愛らしい子。あなたの子……ではないわよね?」


 値踏みするような視線だ。嫌なものを感じて、私は護衛の一人にネージュを託した。


「この子を連れて、馬車に戻っていてちょうだい」

「……おかあさま?」

「少し待っててね。私もすぐに行くから」

「うん!」


 ネージュが馬車に乗るのを見届けてから、私は先ほどの質問に答えた。


「ネージュはシラー様と前妻様のご息女ですわ」

「あれが悪食伯爵の娘? よほど母親に似たのね……」


 シャルロッテが馬車を見ながらしみじみとした口調で言う。申し訳ないけれど、結構父親に似てますわ。


「お姉様は何故こちらにいらっしゃるのですか?」

「新しいドレスを買いに来たのよ。レイオン様が好きなだけ買っていいと仰ってくださったの。……あらやだ、あなたの前で言うことじゃなかったわね」

「いいえ。お幸せそうで何よりでございます」

「そうね。誰かさんのせいで、我が家もおしまいだと思っていたけれど」

「……その節は大変ご迷惑をおかけました」


 感情的にならないように、当たり障りのない相槌を打っていると、シャルロッテは取り出した扇で口元を隠した。


「あなたのような女が義母になるなんて、伯爵様のご息女も可哀想にね」

「それは……私も申し訳なく感じておりますわ」


 しおらしい態度を取り続ける。下手に反抗したら、この場で余計なことを言い出しそうだもの。そうなれば伯爵家にも迷惑がかかる。


「……ふぅん。せいぜい伯爵様に捨てられないように頑張りなさいな」


 やがて私をいじることに飽きたのか、シャルロッテは傍に控えていた使用人を連れて、近くの服飾店へ入って行った。


「何ですか、あの方。よく分かりませんが、奥様を悪く言ってましたよね?」


 ララが不快感を露わにする。


「いつもあの調子なのよ。いちいち気にしていられないわ」

「ですが……」

「大丈夫よ。罵られるのは慣れてるから」


 殴られるよりはましだと思って、受け流しておけばいいのよ。

 馬車に戻ると、ネージュが私の膝に乗ってきた。


「おかえりなさい、おかあさま!」

「ただいま。いい子にして待ってた?」

「まってた!」


 ああ、癒されるわ。ネージュセラピーを堪能していると、向かい側に座ったララが思い詰めた表情で口を開く。


「奥様! 屋敷に戻る前に、一ヶ所立ち寄らせてください!」

「べ、別にいいけど……」


 そう頷いたものの、街を抜けた馬車は何故か森の方向へと進んでいく。ちょ、ちょっと、どこに連れて行かれるの?


「……草原?」


 ようやく馬車が停まり、ネージュを抱えて降りると、緑の絨毯に覆われた大地が広がっていた。草や土の、穏やかな匂いが鼻腔をくすぐる。


「あぁ……」


 何故かララががっくりと肩を落としている。


「どうしたの?」

「この草原では毎年今頃になると、スミレの花がたくさん咲いているんです。ですが、少し時季が早かったようでして……」


 あらら、残念。だけど、多分私を慰めようとしてくれていたのよね。


「また今度見に来ればいいじゃない。楽しみが少し先に延びただけよ」

「奥様……」

「ありがとう、ララ」


 にっこりと笑って礼を述べる。

 と、ネージュが私の顔をじっと見上げていることに気付く。


「おはな、いっぱいみたいの?」

「ええ。だけど今日はそろそろ帰りましょうか」

「ううん、いまみせてあげる!」

「へ?」


 ネージュがゆっくりと瞼を閉じると、小さな体が緑色に光り始める。


「えーいっ!」


 可愛いかけ声の直後、辺り一面が紫色で埋め尽くされた。まだ蕾の状態だったスミレが、一瞬で咲き誇ったのだ。


「これって……ネージュが咲かせたの!?」

「そ、そのようです!」


 可愛くて手先も器用で魔法も使えるって、パーフェクト天使じゃないの!


「ありがとう、すごく綺麗よ! ……ネージュ?」


 返事がない。視線を下ろすと、ネージュは真っ赤な顔で気を失っていた。やだ、すごい熱だわ!


「急いで屋敷に戻るわよ!」

「はい!」


 慌ただしく馬車へ乗り込む。早く医者に診せてあげなくちゃ……!




 慌てて駆け付けた医者によると、ネージュは魔力切れを起こしてしまったということだ。


「一度に大量の魔力を消耗しますと、極度の疲労状態に陥るのです。体調を崩される直前に、魔法をお使いになりましたか?」

「……ええ。草原中の花を咲かせましたわ」

「草原中の!? ……いえ、失礼しました。恐らくそれが原因でしょうね」


 医者が合点がいった様子で頷く。


「ですが、ご安心ください。数日間安静にしていれば、魔力も元に戻るでしょう。念のために解熱剤もお出ししておきますね」

「ありがとうございます、先生。急にお呼びして申し訳ありませんでしたわ」

「いえ、とんでもございません。では私は、これで失礼いたします」


 医者が恭しくお辞儀をして退室すると、ララは今にも泣き出しそうな顔で、勢いよく私に頭を下げた。


「申し訳ありませんでした! あのような場所へお連れした私の責任です……!」

「いいえ。ネージュを止めなかった私のせいよ」


 こんこんと眠り続けるネージュの頭を優しく撫でる。


 魔力切れ。そういえば、主人公のリリアナが魔法を使い過ぎて倒れてしまうイベントがあった。

 娘の魔力を把握するどころか、ここまで無理をさせてしまうなんて母親失格ね。

 自分の不甲斐なさに落ち込んでいると、ネージュの睫毛がぴくりと震えた。


「……おかあさま? ララ?」

「どこか痛いところはある?」

「あたまくらくらするの……」

「大丈夫よ。少しおねんねしたら治るからね」

「うん……あのね、おかあさま」

「なぁに?」


 優しい声で問いかける。


「ネジュのおはな、きれいだった?」


 その言葉に、じんと目頭が熱くなる。


「……とっても綺麗だったわ。ありがとう、ネージュ」

「うん。よかったぁ……」


 安心したのか、ネージュは再び寝入ってしまった。

 穏やかな寝顔を見詰め、私は指で目元を押さえた。

 いつまでも後悔なんてしていられない。今はこの子の看病が先だ。

 水で濡らしたタオルをネージュの額にのせる。熱のせいでタオルの冷却具合はすぐになくなる。それを洗面器に張った水に再び浸す。

 それを繰り返しているうちに、顔の赤みが少しずつ引いてきた。この様子なら、解熱剤も飲ませなくて大丈夫ですと、ララが教えてくれた。


「やけに詳しいのね……」


 私は感心してそう言った。


「昔、近所の子供たちの世話を任されておりました」


 なるほど、確かにネージュって、ララによく懐いているのよね。ララが呼び掛けると、ぽてぽてと嬉しそうに近寄ってくるし。

 さて夕食は、私が厨房で作ったパン粥。胃腸の調子は悪くないようなので、牛乳でくつくつと煮込んだ。

 私が作ったものなら無条件で食べられるらしく、ペロリと平らげてくれた。


「ふぁ……」


 おっと、欠伸が出てしまった。壁の時計を見れば、もう夜中の十二時になろうとしている。

 眠気を覚まそうとかぶりを振っていると、ドアが開く音がした。


「何だ、まだ起きていたのか?」


 来訪者はシラーだった。呆れたような表情で部屋に入ってくる。

 あら? 今日は仕事が立て込んでいるから、ずっと執務室に籠っているってアルセーヌが言っていたのに。流石に娘の様子が気になったのね。


「ララが思い詰めた様子で、辞表を提出してね。いや、参ったよ」

「ま、まさか受理なさったのですか!?」

「辞めないように、二時間かけて説得したさ。それでも本人が罰を望むから、とりあえず一ヶ月減給でカタをつけておいた」


 ララってば責任を感じすぎよ!


「彼女を責めないでください。ネージュに魔法を使わせたのは、私ですわ」

「幼児の魔力切れは、よくあることだ。気にしなくていい」


 そう言いながら、ネージュの寝顔をじっと見下ろしている。


「お仕事は大丈夫ですの?」

「キリのいいところまでは片付けた。まあ、明け方までには終わるだろう」


 明け方って。よく見れば、シラーの目の下はうっすらと青黒い。社畜サラリーマンの顔だわ……。

 と、私たちの話し声に気付いて、ネージュが目を覚ましてしまった。


「おとうさま……?」


 ぼんやりとした表情で見上げてくる娘に、シラーは無表情で固まっていた。あらやだ、この人緊張してる?

 二人の仲を取り持つべく、私は夫に耳打ちをした。


「シラー様、頭を撫でてあげてください」

「……どのくらいの強さで?」

「優しくですわよ。ほら!」


 ええい、焦れったいな! シラーの腕を掴んで、小さな頭へと導いてやる。


「…………」


 なでなで。ぎこちない手付きで撫で続けている。

 ……何も言わずに。

 うちの旦那、好意の表し方がド下手くそなのでは?

 本人の前だと素直になれないというか。小さな子供相手にツンデレはまずいわよ。

 だけどネージュはぱちぱちと瞬きをしてから、


「おとうさま、ありがと」


 そう礼を述べて、ふにゃりと微笑んだ。天使かな?


「……ああ」


 そしてシラーは瞼を閉じ、静かに感極まっていた。




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