78.嘘と嘘
室内に重苦しい空気が漂い始めた時、部屋の扉を叩く音がした。
「リラ、部屋に戻っているのか?」
扉の向こうから聞こえたのはレグリス殿下の声だった。ラヴォント殿下は兵士たちに口止めをしていたが、どこからか話が洩れてしまったようだ。
「ま、まずい父上が来た……!」
「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ!」
ラヴォント殿下と写し狐が手を取り合って、くるくる回っている。踊ってる場合か!
というか、レグリス殿下にもリラ殿下のことは内緒にしているのね。
仕方ない、ここは二人のために一肌脱ぐわよ!
「まあ、レグリス殿下。どうかなさいましたか?」
「ギャーッ、何をしておるのだナイトレイ伯爵夫人!」
私がにこやかに扉を開けた瞬間、ラヴォント殿下から絶望の叫びが上がった。
一方、我が家のフライパンは写し狐を掬い上げてベッドの下に運び込むと、誰かが眠っているように見せかけるために素早く天蓋のカーテンを引いた。私の意図を察してくれてありがとう……!
「ん? 妻が魔物に襲われたと聞いてやって来たのだが……何故そなたがここにいるのだ?」
レグリス殿下が怪訝そうに私の顔を見る。
「リラ殿下の付き添いでついて参りました。殿下でしたらお休みでございますわ」
「ほう、いつの間にリラとそこまで親しくなったのだ?」
「えっ。まあ、同じ席でお茶をいただき、語り合ううちに自然と心が通じ合ったと言いますか……」
そこを突っ込まれるとは思わず、しどろもどろになりながら答える。すると、ラヴォント殿下も私のでまかせに乗っかってきた。
「そうだな。今や母上とナイトレイ伯爵夫人は、もう親友と言ってしまっても差し支えないだろう。今度、二人きりで茶を飲む約束まで交わしたそうだ」
それはちょっと過言なのでは?
しかし、息子からの追加情報によって疑念が晴れたのか、レグリス殿下は表情を緩ませた。
「そうか。妻に友人ができるなど何年ぶりだろうな。これからもリラと仲良くしてやってくれ」
「はい、もちろんですわ」
バレたら不敬罪に処される恐怖より、妻を案じる夫を騙した罪悪感の方が強いが、真実なんて口が裂けても言えるはずがない。堂々と嘘を貫き通して、私は恭しく頭を下げた。
「では、私はこれで失礼する。妻をよろしく頼んだぞ」
レグリス殿下が立ち去り、扉が閉まる音を聞くと同時に、私とラヴォント殿下はぐったりと脱力して深く息を吐いた。
「お、恩に着るぞナイトレイ伯爵夫人」
「いえ……無事にこの窮地を乗り越えることができて何よりですわ」
私とラヴォント殿下、二人の絆が深まった瞬間だった。
「えんぎはってなぁに? ララがおかあさまのことそういってるの!」
ネージュの頭の上では、ララが気まずそうに明後日の方向を見ている。こらっ、小さな子供に変な言葉を教えるんじゃありません!
とまあ、それはさておき。
「今、リラ王太子妃はどちらにいらっしゃいますの……?」
危機が去ったところで、先ほどから抱えていた疑問をぶつけてみる。
その問いかけに、ラヴォント殿下は即答せず窓の外へと視線を向けた。
「……この国の聖地である霊峰エスキスだ」




