8.三人でお出かけ
初対面であれだけ素っ気なくしておいて娘との仲を取り持って欲しいとか、うちの旦那面が厚すぎだろ!
とは言え、ネージュのことを考えると無下には出来ない。
今のうちに親子の絆を修復しておかないと、手遅れになる。滅亡エンドの回避に繋がるかもしれないし。
「ただし、反乱はどうしようもないわよねぇ……」
「何か仰いましたか?」
「何でもないわ、ララ。さ、お部屋に戻りましょう」
ルミノ男爵家に生まれた私は、国政や歴史のことに関してはちんぷんかんぷんだ。前世で得たゲームの知識も、どこまで役に立つのやら。
いつか起こるであろう反乱を阻止するため、まずは自国やナイトレイ領のことをもっと知ろうと思う。
「奥様は勤勉家でございますね」
私がナイトレイ伯爵家へ嫁いで早二週間。
書庫から借りてきた歴史書を読む私を見て、ララは感心している様子だった。
「ふふん。知識というものは、いくら頭に詰め込んでも無駄にはならないのよ」
「ですが、貴族女性の識字率は高くありません。奥様のように、ご自分で本を読まれる方は珍しいです」
貴族なのに字の読み書きが出来ないってどういうことだ。いや貴族だからこそ、そういう面倒なことは、姉のように使用人たちへ丸投げするのが常識なのだろう。
私は何故か物心がついた頃には、既にエクラタン語をマスターしていた。『Magic To Love』をプレイしていた影響かもしれない。
えーと、なになに。
エクラタン王国は、今から五百年前に建設された魔導国家である。
建国に大きく貢献した人々は精霊から祝福を授かり、火を起こしたり風を巻き起こしたりと、人智を超える力を身に付けた。これが魔法の始まり。
そして祝福を授かった者たちは、高い地位をも手に入れた。
高位貴族だけが魔法を使えるのは、そういうことなのね。ゲームではそんな説明はなかったから、勉強になるわ。
「ネージュは木の魔法が使えるんだっけ……」
「え? 私、奥様にご説明しましたか?」
「あら、先日話してくれたじゃない」
ここは適当に誤魔化しておこうっと。
「し、失礼しました」
いや、こちらこそ謝らせちゃってごめんなさい……。
「あの子、魔法はどの程度使えるの?」
「花を咲かせたり萎びた植物を元気にさせたり、初歩的なものは使えます。それにネージュ様のおかげで、うちの庭園は世話を必要としていないんです」
「どういうこと?」
「ネージュ様に懐いている木の精霊が、代わりに植物の手入れを行っているのです」
使用人が少ないのに、庭園の管理が行き届いている謎が解けた。
ジョアンナと結託していた使用人は、全員処罰されている。それ以来、シラーは料理人以外の使用人を雇おうとしないらしい。
新人の料理人が調理する際も、必ず見張りを付けさせたのだとか。その扱いに嫌気が差して自ら辞めていった者も多いと、シラーが淡々と語っていた。
……横領犯の私を娶ったのって、かなりリスク高かったんじゃない? どんだけ追い詰められてたのよ。
「おかあさま!」
歴史書を半分まで読み終えた頃、本日のお勉強を終えたネージュが部屋にやって来た。
「ネージュ、今日もお勉強頑張ったわね」
「ううん。とってもたのしかったの!」
よしよしと頭を撫でてあげると、「きゃー」とほっぺに両手を当てながら喜んでいる。天使だ、天使!
体重も順調に増えつつあって、以前よりも顔の血色もいい。
あれからもネージュにはパン生地をこねたり卵液を掻き混ぜたりと、簡単なお手伝いをさせていた。すると「これは自分が作ったものだ」と思い込んで、食べてくれるのだ。
この調子で、食事そのものに抵抗がなくなってくれればいいのだけど。
「あのね、おかあさま。あのね……」
ネージュがドレスの裾をぎゅっと掴み、何かを言おうとしている。
その姿に暫し癒やされていると、
「ネジュとおでかけしてほしーの」
「お出かけ?」
「……だめ?」
「ダメじゃないわ!!」
思わず声に力が入ってしまった。
勢いで頷いてしまったけど、勝手に外出していいのかしら? 許可書みたいなのが必要だったりして。
ネージュを抱き締めたまま考え込んでいると、ララが察して話しかけてきた。
「私や護衛も同行させていただけるのなら、問題ございません」
「本当ですの?」
「はい。ただし、ナイトレイ領内に限りますが」
「全然構いませんわ!」
嬉しい! ずっと屋敷と庭園を行ったり来たりの生活だったもの!
年甲斐もなくはしゃぐ私は、この時まだ知らずにいた。
とある人物との再会が待ち受けていることを。
伯爵家の紋章がトレードマークの馬車に乗り、街へと向かう。
南部の国境に隣するナイトレイ領は、要塞都市なんて厳つい異名がついている。だから殺風景な町並みが広がっているかと思いきや、実際はその真逆だった。
道路は綺麗に舗装され、その脇には街路樹や鮮やかな花が植栽されている。
ナイトレイ領は農業も盛んなようで、広大な畑では農民たちが作物を収穫している最中だった。
郊外を抜けると、いよいよ都市部に差し掛かった。
「すごい……!」
窓の向こうに広がるお洒落な町並みに、私は感嘆の声を漏らす。
木や煉瓦の家々が立ち並び、ベランダや花壇には彩り豊かな花が飾られている。
市場は大勢の客で賑わい、飲食店や屋台には長蛇の列が出来ていた。
「あっ。にゃんにゃん!」
ネージュが指差す先では、一匹の猫が塀の上で日向ぼっこをしていた。普段から街の人に世話をしてもらっているのか、ふっくらとしていて毛並みも綺麗だ。
人々の笑顔とたくさんのお花に囲まれた美しい街。私はそんな印象を受けた。ネージュも街にやって来たのは初めてらしく、外の景色を食い入るようにじーっと眺めている。
「どこか立ち寄れるお店はないかしら? 出来れば飲食店以外がいいのだけれど……」
ネージュには、外食はまだハードルが高過ぎるものね。
「そうですね。でしたら、おもちゃ屋は如何でしょうか? この近くにあるんです」
ララが店までの道順を御者に説明する。やけに詳しいなと思ったら、この街で生まれ育ったそうだ。
噴水広場を抜けて暫く走ると、二階建ての煉瓦造りの建物が見えてきた。……って人だかりがすごいわね。
「そんなに人気のお店なの?」
「この街で子供向け製品を取り扱っているのは、ここだけですからね」
ララと護衛とともに連れて、馬車を降りる。
「ネージュ様、こちらへどうぞ」
「いいわ、私に任せなさい」
護衛ではなく、私がネージュを抱き上げた。この年頃の子なら楽々抱っこ出来る。体力勝負だった元料理番の腕力を舐めないでいただこう。
早速おもちゃ屋に入ると、店内には幼児たちの楽しそうな声が響き渡っていた。
「いらっしゃいませ。……おや、ララじゃないか」
人のよさそうなおばあさんが、私たちを出迎えてくれた。
「こちらはナイトレイ伯爵のご伴侶のアンゼリカ様よ」
「えっ!?」
ララがまるで友人であるかのようなフランクな口調で私を紹介すると、おばあさんはぎょっと目を見開いた。そして俊敏な動きで、店の奥に走って行く。
「あんた、伯爵の奥様がお越しになったよ! 早く挨拶しな!」
「お、おう!」
おばあさんに引きずられるようにして、店主のおじいさんがやって来た。私を見るなり、慌てて深々とお辞儀をする。
「ほ、本日はようこそお越しくださいました」
店にいたお客さんたちも、動揺した様子で頭を下げてくる。
めっちゃ気まずくて、買い物どころじゃないんだが?
「あっ、あれネジュがだいすきなのーっ!」
と、ネージュが棚に陳列されたパステルカラーの積み木を指差した。他には猫や花などの可愛い絵柄のパズルや、ぬいぐるみが置いてある。
見渡してみれば、ネージュがいつも遊んでいるおもちゃばかりだわ。全てこの店の商品だったのね。
さて、何を買おう。前世でも今世でもおもちゃなんて買ってもらったことがないから、よく分からん……
「こちらは如何でしょうか?」
頭を抱えていると、ララがクレヨンのセットと画用紙を持ってきた。
「こちらのクレヨンは先月発売されたばかりの新商品で、従来のものより発色がよくプロの画家も注目しているそうなんです!」
「そ、そうなの……?」
「しかも、原材料は蜜蝋や野菜なので、万が一口に入れても安全なのですよ!」
めっちゃ真剣な顔でプレゼンしてくるな。
まあネージュも「ネジュね、おえかきだいすきなの」と言っているし、これに決まりね。ちょっと高いけど、シラーも許してくれるでしょ。
会計もララに任せることに。
「これ、ララ。主相手にゴリ押しはいかんじゃろ」
「おじいちゃん、しーっ!」
なるほど、ご家族のお店でしたか。今のは聞かなかったことにしよう。
無事に買い物も済ませて店を出る。そして馬車に乗り込もうとした時、
「あなた……もしかしてアンゼリカ?」
背後からの声に、私はピタリと足を止めた。
頭の片隅に押し込めていた忌まわしい記憶が、一気に溢れ出す。
ゆっくりと振り返ると、金髪の美女が艶やかな笑みを浮かべている。
「やっぱりそうだわ。ふふ、久しぶりね?」
姉よ、何故こんなところにいる!?