75.見ちゃった
「そっちはどうだ?」
「いや、城内にもいらっしゃらなかった」
「とすると、やはりこの庭園のどこかにリラ殿下が……」
兵士たちが緊迫した面持ちで話す声が聞こえてくる。
楽しかった(子供たちにとっては)お茶会が一転、庭園ではリラ王太子妃の大捜索が行われていた。
「そもそも、何故リラ殿下は急に茶会を抜け出したんだ?」
「どうもプレアディス公爵の怒りを買ったらしい。さっきの火柱見ただろ?」
「あの炎熱公爵を敵に回したのか!? まったく怖いもの知らずのお妃様だな」
違う違う、そうじゃない!
兵士たちの間で、間違った情報が共有されようとしている。
カトリーヌが殺意の波動に目覚めた相手は他のママさんたちで、王太子妃は完全なる無実だ。
しかも会話の内容は、どんどん良くない方向に傾いていく。
「何を言ってるんだ。結局、怖気づいてお逃げになってるじゃないか」
「それもそうだな。あのお方にも、恐ろしいと思うものがあるなんて驚きだ」
小馬鹿にするようにニヤニヤと笑っている。
そんな彼らは鬼が忍び寄っていることに、気付いていなかった。
「おい、貴様ら……」
地底から響くような低い声だった。
兵士たちがはっと息を呑むが、時すでに遅し。
二人の背後では、カトリーヌが鋭い眼光を放っていた。
「無駄口を叩いている暇があったら、一刻も早くリラ殿下を探し出せ」
「は、はいぃぃぃっ!」
情けない声で返事をして、一目散に走り去る。
どうやら義姉は、王城の兵士たちから畏怖の対象として見られているようだ。分かるよ、いい人ではあるんだけど何から何まで怖いもん。
でも、今のはこんな時におしゃべりをしていた彼らが悪い。
「まったく……兵士として規律がなっていないな。あれで王城の警備を担っているとは笑わせる。うちの新人の足元にも及ばんぞ」
カトリーヌからも厳しいご指摘。
確かにあの緩さじゃ、ナイトレイ家の門番の方が全然しっかりしてるわ。
「……だが、奴らが軽口を叩く気持ちも分からなくはない。リラ殿下を快く思っていない兵士は多いと聞くからな」
カトリーヌがぽつりと呟く。その横顔は少し寂しそうだ。
「カトリヌおばちゃま、おーたいしひさまとなかよしなの?」
ネージュが首をこてんと傾げる。子供ってこういう時、一切の躊躇いもなく聞けちゃうのよね。
「ああ。昔からナイトレイ家は王家と親交が深く、レグリス殿下やリラ殿下とは、お二人が婚姻なさるずっと以前からの付き合いだった」
「そういえば、シラー様とカトリーヌ様は王太子殿下の研究についてご存じでしたものね」
「あの方は生粋の研究者気質で、よくシラーを実験に巻き込んだものだ。死にかけたことも一度や二度ではない」
さらっと恐ろしいことを言ってる……
醤油をくれた恩人とは言え、やっぱりあの王太子結構危ない人なのでは?
「そんな時、いつもレグリス殿下の暴走を止めていたのがリラ殿下だ。周囲からは冷淡な女性に思われていたが、実際は誰よりも情深く王妃に相応しい方だった。それが五年ほど前から徐々に様子がおかしくなり、今ではすっかりあのような性格になってしまった」
「五年前から……」
「今、リラ殿下の周りにいるのは、王家に食い込もうとする連中ばかりだ。彼女の不興を買う危険を冒してまで、娘をラヴォント殿下の婚約者に、息子を将来の要職に就かせようと躍起になっている」
「それは私も、ビンビンに感じ取っていましたわ!」
リラ王太子妃も明らかにお怒りの様子だったし、私とネージュも虫除けとして招待したのかも。
実際にママ軍団を圧倒していたのは、私が勝手に連れてきたカトリーヌだったけど。
それはさておき。
「リラ殿下……どこにもいらっしゃいませんわね」
私たちも庭園をぐるりと一周したけれど、何の成果も得られませんでした。
兵士の皆さんの顔にも、いよいよ焦りの色が見え始める。
まさか、庭園を抜け出したところで何者かに誘拐されたとか……!?
「チュー!」
「ララ?」
我が家のフライパンに乗ったララが飛んできた。すっかり精霊具をタクシー感覚で使ってるな。
「チュ、チュチュ!」
短い前脚でどこかを指し示すような仕草をしている。
「ん? もしかしてリラ殿下がどこにいるのか分かるの?」
「チュウゥ」
私の問いかけに、ララはニヤリと笑った。
あ、そっか。ネズミだから匂いで分かるんだ。げっ歯類恐るべし……!
「チューッ!」
ララの掛け声に合わせてフライパンが急発進する。私たちも遅れないように追いかけていくと、赤薔薇がたくさん咲いているエリアに辿り着いた。上品で凛とした香りが鼻腔を擽る。
「ここはさっきも探しに来たんだけど……」
「チュ」
ララが茂みに向かって前脚を突き出す。
半信半疑になりながらも、どれどれと近付いてみると草の影に黒い何かが隠れているのが見えた。
地面にしゃがみ込み、小刻みに震えているリラ王太子妃だった。
「やっぱりあの人怖いよぉ……見付かったら焼き殺されちゃう……」
めっちゃ怯えまくってるわ。
だけど、このまま放っておくわけにもいかないので、恐る恐る話しかけてみる。
「あ、あのー、リラ殿下?」
「ひぃっ! ア……アンゼリカさん!」
青ざめた顔のリラ王太子妃と目が合った。
……アンゼリカさん?
この人、こんなキャラでしたっけ。邪悪さが欠片も見当たらないような。これがマジラブ最凶の女だと……?
首を傾げていると、リラ王太子妃の動きが突然止まった。
お気付きになってしまったのだろう。
私の背後にカトリーヌが立っていることに。
「ヒギャアァァッ!!」
情けない悲鳴が庭園に響き渡ると同時に、リラ王太子妃の体を真っ白な煙が包み込む。
やがて煙が晴れると、そこに彼女の姿はなかった。
「え」
その代わり、真っ黒な毛並みを持つ狐がちょこんと座っていた。
「えええええっ!?」
今度は私が叫ぶ番だった。




