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あなた方の元に戻るつもりはございません!【書籍化】  作者: 火野村志紀


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74.運命

授名の儀は43話で登場しております。

 庭園で王太子妃主催の茶会が開かれている頃。王城のある一室では、二人の男が向かい合ってティーカップを傾けていた。


「白葡萄のような洗練された香りに、爽快かつ上品な渋み。貴殿の領地では良質な茶葉が採れるようだな、ナイトレイ伯」


 均整の取れた長身に白衣を纏った美丈夫は、満足げに口元を緩めた。

 星々の煌めきを宿した切れ長の瞳と、神秘性を感じさせるラベンダー色の髪。

 エクラタン王国王太子レグリスその人である。

 この国の次期君主と茶を共にしているのは、黒衣を纏った男だった。レグリスから賞賛を受け、「お褒めいただき、光栄でございます」と深く頭を下げる。

 しかし、その表情筋は一ミリたりとも動いていない。代わりに王太子が詰まらなそうに眉を寄せる。


「相変わらずの鉄仮面ぶりだな。褒められた時ぐらい、笑顔の一つでも見せたらどうだ」

「『お前の笑った顔はちょっと怖い』と仰ったのは殿下ですが」


 レグリスに苦言を呈されても、シラーの表情には一切の変化も見られない。一方、思い当たる節のあった王太子は「何のことか分からんな」と答えつつ、そっと視線を逸らした。

 開け放たれた窓から心地よい風とともに、無邪気なはしゃぎ声が聞こえてくる。


「そういえば、今日の茶会は子供も同席するとリラが言っていたな。退屈していないか気になっていたが、案外楽しんでいるようで何よりだ」


 レグリスの表情がふっと柔らかくなった。

 すると、窓の方をちらりと見て小さな声で呟いた。


「私の妻と娘と……姉も参加しているとのことです」

「えっ」


 レグリスが手にしているカップが大きく揺れて、紅茶が少しこぼれる。


「あんなコミュ障に茶会とか荷が重すぎるだろう。他の夫人と目が合った瞬間、火柱を上げたらどうするのだ」

「いえ、アンゼリカで経験値を積んでいるので大丈夫でしょう」


 シラーが冷静な口調で言い切った直後だった。

 窓の外に猛烈な火柱が天に向かって立ち昇り、二人の視界を一瞬で焼き付けた。


「……経験値が何だって?」


 レグリスが真顔で窓辺を指差す。シラーがすかさず席を立った。


「今すぐ回収して参ります」

「構わん構わん。大人はともかく子供たちは盛り上がっているようだしな。カトリーヌも彼らに火の粉が飛んでくるような真似はせんだろう」


 レグリスの言葉通り、庭園からは子供たちの甲高い歓声が響いてくる。


「ですが、本日はラヴォント殿下の婚約者を選ぶ席ではなかったのですか?」


 再び席についたものの、シラーの眉間には皺が寄ったままだ。


「そのようなこと誰が言った」

「文官や侍女が噂しておりました。そのためにリラ王太子妃は子供たちを同伴させるように命じたのだろうと……」

「逆だ、逆」


 的外れな推測を一蹴するように、レグリスは軽く手を振った。


「あの偏愛ぶりを見ろ。婚約者選びなど有り得ん」

「しかし……」

「本日娘を同伴させている夫人たちの家は、以前からしつこくラヴォントとの縁談を迫ってきていてな。時期尚早だと説明しても通じず、いい加減辟易していたのだ。そこでお前の娘も同席させ、ラヴォントと仲睦まじい様子をあえて見せつけることで、奴らを諦めさせる算段なのだろうよ」

「……そう簡単にいくでしょうか」


 シラーの眉間の皺が深くなった。


「なに。ナイトレイ家の名前を聞いただけで、大抵の者たちは大人しく引き下がるさ。それに……」

「それに?」

「あくまで個人的な希望だが、息子の将来を考えるなら、ネージュ嬢以上の相手はいないと俺は思う。二人とも気が合うようだし、本気で検討してはくれないか?」


 突然告げられた申し出に、シラーは小さく息をついた。


「その話をするためにこうして茶を誘ったのですか?」

「それだけじゃない」


 レグリスが語気を強めて否定する。その銀色の瞳は旧友を真っ直ぐ見つめていた。いつも軽薄さの抜け切れない王太子らしからぬ真剣な面持ちに、シラーは僅かに目を細める。


「何かあったのか」

「お前だけには話しておきたい」


 一人の友人として問いかけるシラーに、レグリスは内緒話をするように声を潜めた。


「授名の儀のことだ。覚えてるよな?」

「王家及び高位貴族の新生児に限り、生後速やかに王都の神殿で行われる儀式」

「ああ。俺もお前もそうして名を与えられた。だが、その名前が遥か昔に決定されていたとしたら、どうする?」

「どういう意味だ? もっと分かりやすいように、はっきり言え。お前らしくもない」

「そして」


 シラーの言葉を無視して、レグリスは自身の胸に手を当てて話を続けた。


「俺たちの存在そのものが初めから何者かに定められた運命の上にあるとしたら、お前は抗うことができると思うか?」

「は?」


 シラーが気の抜けた声を漏らした時だった。扉を力強くノックする音が室内に響き渡った。


「む? どうした?」


 張り詰めていた空気を緩め、レグリスが軽い調子で声をかけると、血相を変えた侍女が顔を覗かせた。


「リラ殿下は、こちらにいらっしゃいませんか?」

「いや。庭園にいると思うが」


 侍女は首を小さく振る。


「それが……先ほど突然茶会の会場からお姿を消したようで」


 不安げな声で告げられた知らせに、シラーとレグリスは互いに顔を見合わせた。



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