68.大事件その2
「おっ、おぉっ、お久しぶりです、王太子妃様。ご機嫌麗しゅうございますわ」
オットセイのような声を出しつつ、何とかカーテシーを決める私。恐怖と緊張でドレスの裾を掴む手が、ガッタガタに震えている。
「あら。そんなに怯えなくても、取って食べたりしないから安心なさいな」
無茶言うんじゃねぇ!
大体、この不法侵入者にお茶出したの誰よ。部屋の中に黒子的なのが潜んでるの?
室内をキョロキョロ見回していると、何故かベッドの上でフライパンが裏返しになっていた。
それと、先ほどからララの姿が見当たらない。
引っくり返ったフライパンと、行方不明のララ。そこから導き出される解答はただ一つ。
突然王太子妃がやって来て、めっちゃ怖かったでしょうね……。
「おかあさま、このひとだぁれ?」
ネージュがこてんと首を傾げる。
そういえば図書館でリラと遭遇した時、ネージュは寝ていたんだっけ。
つまり、これが最強にして最恐の女との初対面というわけだ。
「ネージュ、こちらの方はリラ王太子妃様。ラヴォント殿下のお母様よ」
「でんかのおかあさまっ!」
ネージュは表情を明るくすると、私の腕からぴょんと飛び降りた。
そして、リラに向かって丁寧にカーテシーをした。
「おはつにおめにかかります、おーたいしひさま。ナイトレイはくしゃくけのネジュ……ネージュともうします!」
「母親と違って無駄に怖がらない賢い子ね。それに、とっても綺麗な琥珀色の瞳……どんな味がするのかしら」
ネージュを見据えるリラの目が妖しく光った。
うちの娘が(物理的に)食われる! 私は反射的にネージュを再び抱き上げた。
「む、娘を褒めてくださり、ありがとうございます。それで本日は私にどのようなご用件でしょうか?」
この際、勝手に人の部屋で一服していることには目を瞑ろう。さっさと用件を済ませて帰って欲しい。
私が愛想笑いで尋ねると、リラは静かにカップをソーサーに戻した。
「今日はあなたにお願いがあってきたの。できれば、できれば聞いてくれると嬉しいのだけれど」
「お願いですか?」
人にモノを頼む態度じゃないのよね。
「そう。いつも私が王宮の庭園で茶会を催すのはご存じかしら?」
「え、ええ」
シラー曰く、リラは月に一度茶会を開いているらしい。招待客は王家と親交の深い家のお嬢様やご婦人方。
だから茶会がある日は、絶対に庭園に近づくなと釘を刺されていた。まあ、ライオンの群れに突っ込んでいくようなものだしね。いのちだいじに。
「それでね、次回の茶会にアンゼリカさんを特別ゲストとして招待したいと思っているの。もちろん、その子も一緒に」
「……はい?」
ライオン側から、群れに突っ込んで来いと言い出した。しかも、ネージュも一緒ですと?
目を点にして固まっている私をよそに、リラは勝手に語り続ける。
「いつも同じ人たちとばかりお茶を飲んでいたら、飽きてしまうでしょう? だから今回は趣向を凝らして、子供たちにも参加してもらうことにしたの。社交の場での振る舞いを学ぶ機会にもなるでしょうし」
「な、なるほど。それで何故私たちを……?」
「実はね、ラヴォントがあなたたちが来てくれないなら茶会には行かないって、駄々を捏ねているのよ」
ラヴォント殿下……お気持ちは分かるけれど、私たちを巻き込まないで欲しかった。
「王太子妃様、お誘いいただきありがとうございます。ですが、私たちがお茶会に伺うのは何とも畏れ多いと申しますか……」
「夢幻の鏡」
「うっ」
「あなた方には王家の精霊具を特別に貸してあげたのよ? だったら、私のワガママも聞いてくれたっていいんじゃないかしら」
「うぅっ」
痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。これはもう覚悟を決めるしかなさそうだ。
「おかあさま、ちゃかいってなーに?」
「えっと……みんなでお茶を飲んだりお菓子を食べたり、おしゃべりをするパーティーのことよ」
「ほんとっ? たのしそーなのー!」
そうね、とっても楽しい集まりなのよ。
茶会の主がラスボスじゃなければ。
「……ん?」
そういえば、私って今まで誰かの茶会に参加したことがないような。
ということは、リラの茶会がまさかの初陣!?




