7.過去の悲劇
「だっ、旦那様」
ララや料理人たちの顔がみるみるうちに青ざめていく。
ちょっと怯えすぎじゃない? え、やっぱり私厨房に立っちゃダメだったの!?
「あっ、おとうひゃま」
ネージュが口をもごもごさせながら、父親に視線を向ける。
張り詰めた空気の中、シラーは厨房へと脚を踏み入れた。間違いない。あれはかなり怒っている。
「ネージュ」
「ひゃいっ」
父親に名前を呼ばれて、ネージュがうっかりフォークを落としてしまった。
「それは何を食べていたんだ?」
「えっと……ぎょーじゃ」
「うん?」
初めて聞く料理名に、シラーが怪訝な顔で首を傾げる。
「ララ、ギョージャとは何だい?」
「ギョーザ、でございます。伝説の料理人が作った料理とのことです」
「ほお。作ったのは?」
「ええと……」
「おかあさまとネジュがつくったの」
ネージュがシラーの問いに答えた。正直なのはいいことだけど、今だけはお口にチャックして欲しかった。ほら、シラーが滅茶苦茶怖い顔で私を見てくる!
「アンゼリカ、少し君と話がしたい。僕の部屋に来てもらえるかい?」
「はい……」
こりゃ実家に返品ルートだわ。ネージュとの餃子作りが、最初で最後の思い出になってしまった。
悄然としながら執務室に入ると、シラーは椅子に腰掛けてから一言。
「ネージュがあんなに美味しそうに食べるのを見たのは一年ぶりだ」
「あら、そうでしたのね」
「君はどうやってあの子の心を開いた? 王宮の料理人が作った料理でさえ、あの子は口を付けようとしなかったんだぞ」
「ほんの少し料理を手伝ってもらっただけですわ。その方がネージュも安心して食べられると思い付きましたの」
私が正直に答えると、シラーの表情が険しくなった。
「……ジョアンナのことを誰から聞いたのかな」
「いいえ。食事を怖がっているとお聞きしただけですわ。それで、以前食事に何かを混ぜられたのかもしれないと考えました」
「何だ、随分と察しがいいんだな」
「……昔、私もその被害に遭いましたから」
前世で、両親が選んだ結婚相手と喫茶店に行った時のこと。
私がトイレに行っている隙に、飲み物に睡眠薬を混入されたのだ。
私は強烈な眠気に襲われ、奴に無理矢理ホテルへ連れ込まれそうになった。
運よく近くを通りかかった人に助けてもらったものの、病室へ駆けつけた両親たちの言葉が今でも忘れられない。
「どうして抵抗したんだ」と怒鳴られたのだ。
「誰だ」
「はい?」
何故かシラーの目付きが鋭くなった。
「誰にやられた? そいつは警察に突き出したのか?」
何でそんなに詳しく聞いてくるんだ。
「大事には至りませんでしたから、どうぞお気になさらずに。ですが、やはりその口振りですとネージュは……」
「一年前に毒を盛られた。助かったのは奇跡のようなものだよ」
「……もしや犯人はジョアンナという方ですか?」
「ああ。僕の前妻であり、ネージュの母親だ」
何ですって?
「我が子を手に掛けようとしましたの? 信じられませんわ……!」
「いや、狙いは僕だった。下位貴族の男と不貞を働いていたジョアンナは、僕を亡き者にしてナイトレイ伯爵家を乗っ取ろうとしていたのさ。そして使用人と共謀して、軽食に毒を混入したんだ。……ちょうどその時、傍にネージュがいてね。食べたいとねだる娘に、僕は何を知らずに与えてしまった」
「……ジョアンナ様はどうなりましたの?」
「自分の娘は愛していたからね。遺書を残して、自ら命を絶ったよ。ネージュも毒の後遺症で、母親に関する記憶を失った」
だから母親のことを覚えていないのね。
そりゃ料理人たちも、私に厨房を使わせたがらないわけだ。
「それ以来ネージュは、食べ物を受け付けなくなった。体が無意識に拒絶するようになってしまったんだ。あらゆる料理人を雇ったが、無駄だったよ」
料理人を頻繁に入れ替えていたのも、ネージュのためか。
ん? ちょっと待った。
「……あなた、偏食家だの浮気男だの、巷じゃ散々な言われようですわよ」
「若くして辺境伯の地位に就いた僕を妬んでいるだけさ。好きに言わせておけばいい」
鋼メンタルか?
「……だが、彼らの気持ちが少し分かった気がするよ。今、僕は君に嫉妬している」
「私、何もしてませんわよ」
「何を言ってるんだ。ネージュは僕より君に懐いているじゃないか」
「はぁぁぁ?」
なんちゅう心の狭さだ。私が冷めた視線を送ると、シラーはぷいっと顔を背けた。
「僕なんて怯えられているんだぞ。笑顔を向けられることなど滅多にない」
「コミュニケーション不足ではありませんの? 叱るだけじゃなくて、ちゃんと褒めたり遊んだりしてます?」
「…………」
こりゃしてないな。そう悟って、私は言葉を続けた。
「多分あの子も、シラー様との接し方が分からないだけですわ」
シラーのことが嫌いか質問したら、首を横に振っていたもの。
「では、私はこれで失礼いたします。ララたちも心配しているでしょうし」
「待ちたまえ」
「まだ何かありますの?」
焦れたように尋ねると、ギロリと睨まれる。まずい、怒らせちゃったかな。
「僕はこの通り多忙の身だ」
「そのようですわね」
現に、彼の執務机には大量の書類が重なっている。
「それに、娘に好かれる方法など使用人に聞くわけにもいかない。だが君は、名義上は僕の妻だ」
「そうですわね」
「頼む。僕とネージュの仲を取り持ってくれ」
私を巻き込むな!