59.緊張
シラーからあの子たちについて詳しい説明がされたのは、ネージュが眠りに就いた後。
その時点で、幼児には聞かせられない話だと予想はしていた。
マティス伯爵領で民衆による反乱が起きている最中、その各地で子供が攫われる事件が多発していたらしい。犯人は他の領地からやってきた奴隷商。
そして先ほどの子供たちが、その被害者ということだった。彼らは二週間もの間、謎のドームに囲まれた兵舎で過ごしていたという。
「そんな大変な時に、子供を攫うなんて……とんでもない奴らですわ!」
怒りのあまり、私はテーブルに拳を叩きつけた。カップに入っていた紅茶が少しだけ零れてしまった。あつっ!
「そんな大変な時だからこそ、攫うんだ。ああいう連中は、動乱に乗じて商品の仕入れをすることが多いんだよ」
「旦那様。もし犯人が捕まりましたら、是非面会させてくださいまし」
「別にいいが、どうするつもりだ?」
「そいつらの顔をひっぱたいてやりますわ」
拳を握り締めながら宣言すると、シラーからは小さな溜め息が返ってきた。
「君の気持ちはよく分かった。だがその願いは叶いそうにないな」
「え? どういうことですの?」
「兵舎の近くで、魔物に喰い散らかされた男性たちの遺体が発見された。恐らく、その奴隷商で間違いないだろう」
「……はい?」
怒りと興奮が一瞬で鎮まった。何か今、すごく物騒なワードが出てきませんでした?
「子供たちの証言によると、奴らは騎士団の兵舎を根城にしようとしていたらしい。だが馬車で兵舎に向かっている最中に、魔物の襲撃を受けたそうだ。荷台に載せられていた子供たちは、何とか逃げ延びたが……」
「もういいですわ」
「先ほど君は顔を叩くと言っていたが、全員頭部をもがれていたらしい」
「だからもういいって言ってますわよね!? そんなグロ情報いりませんわ!」
私は腕をクロスして猛抗議した。あーもー、ちょっと想像しちゃったじゃない。
だけど、これで子供たちがあんな場所にいた謎が解けた。あの子たちにとっては、魔物が襲ってきてラッキー……とは言えなくもない、のかしら?
「子供たちは兵舎に避難した後、備蓄されていた保存食を食べて過ごしていたそうだ。水も地下の井戸から汲んでいたと言っていた」
「地下の?」
「彼らの中に、兵舎の設備に詳しい子供がいたんだ。その子が保存食の在処や、地下井戸の場所を覚えていたらしい」
地下に井戸があるなんて初耳だ。そこまで設備に詳しいということは、騎士団の身内だろうか。それも結構上の階級の。
あ、それともう一つ疑問がある。
「ですけど、例のバリケードは誰が作りましたの?」
話を聞く限り、間違いなく魔法によって築かれたものだ。つまりあの場に、高位貴族がいたということになる。
「それについては不明のままだ。子供たちもいつの間にか出来ていたと証言している」
バリケードを作るだけ作って、どこかに行ってしまったのかしら。ちょっと無責任なのでは?
「私だ。入るぞ」
ドアを数回ノックした後、カトリーヌが部屋に入ってきた。眉間に皺を寄せている。先ほど城内の料理人を集めていたが、何かあったのだろうか。
「アンゼリカ」
「ヒッ」
カトリーヌに両肩をガシッと掴まれた。思わず引き攣った声を漏れた。
「ハンバーグ、グラタン、オムレツ」
カトリーヌは料理名をポンポン挙げ、最後に「お前はどう思う?」と聞いてきた。
「うーん……どれも美味しそうですわよね。それから、子供が喜ぶメニューだと思いますわ」
「料理人たちもそう考えて作ったのだが、何故か皆ほとんど口をつけようとしないのだ」
あの子たちのごはんだったのね。でも全然食べてくれないのか……
「多分、緊張してるのだと思います」
「どういうことだ?」
「ええ。突然お城でごはんを食べることになって、ストレスで食欲がなくなってしまったのかもしれませんわ。私もお城での食事に、初めはすごく緊張しましたし」
「緊張で……食欲がなくなる……?」
カトリーヌがものすごく不思議そうに聞いてる。世の中には鋼メンタルの猛者もいるけど、カトリーヌもそういうタイプなのかしら。そもそもこの義姉って、今までに緊張したことあるの……?
「姉上は緊張すると、逆に食欲が増すタイプだからな」
シラーがぼそりと呟く。そういう人には見えないから、ちょっと意外だわ。
「で、ですから、まずは緊張をほぐしてあげることが大事だと思いますの」
「……アンゼリカ、何か妙案はないか」
鬼のような形相で睨みつけられる。そ、そんなこと急に言われましても!
食事そのものにトラウマを抱えていたネージュとは異なるケースだ。私の頭の中のグーグル先生も、白旗を上げている。
子供たちの緊張をほぐす方法か……
「……伏せろアンゼリカ!」
突如シラーが叫んだ。その直後、私の後頭部を強烈な痛みと衝撃が襲った。
「あだっ!?」
ズキズキと痛む頭を押さえながら振り向くと、我が家のフライパンがふわふわと浮かんでいた。ゆっくり休ませたおかげで、完全復活してる。
ところで、何で私殴られたの? ついにうちの精霊具にも、反抗期がきてしまったのか!?
突然の暴力にショックを受ける私に向かって、フライパンは赤い核をピカピカと点滅させた。
「……どうしたの?」
核どころかフライパン全体を真っ赤に光らせながら、私に体を押し付けてくる。まるで何かをアピールしているような。その姿を見て、ふと閃いた。
「……そうだわ!」
一筋の光明が私の脳裏に差し込む。上手くいくか分からないけれど、試してみる価値はあるでしょ!
意図が伝わったことを喜んでいるのか、フライパンを纏う光が赤々と燃え上がる炎と化す。アチチチ、焼き殺す気か。




