58.偏食王太子妃
お城のごはんは美味しい。もちろん伯爵邸の料理人たちが作るメニューも絶品だけれど、国内随一の料理番が作るフルコースはレベルが違う。
今夜のメインディッシュは、牛ヒレのステーキだ。ナイフを軽く入れただけで、すっと切れてしまうくらい肉質が柔らかい。
口に含んで噛み締めれば、じゅわっとあふれ出す肉汁と濃厚な旨味。少し酸味のあるワインソースとも相性ぴったり。付け合わせの人参のグラッセとアスパラガスのソテーも、美味しくいただく。
「ナイトレイ伯爵夫人、お味はいかがでしょうか?」
料理長が味の感想を求めてくる。
「私、もうここの子になりますわ」
「はい?」
あ、すみません。今のなしで。
「……コホン。本日の料理も、素晴らしいお味ですわ。特にこちらのステーキ。絶妙な焼き加減やソースの味付けによって、お肉の美味しさが限界まで引き出されていますわね」
軽く咳払いをして、長文のコメントを述べる。ふふん、伊達に貴族ライフを送っていないわよ。
「にんじんさん、もぐもぐ」
ネージュはお肉そっちのけで、グラッセに夢中になっていた。お肉より野菜が好きな子だものね。
「チューッ」
ネージュの傍らでは、ララが南瓜の種をカリカリと齧っている。一人だけお肉に大興奮してるのが、何だか恥ずかしくなってきた。
食事を終えると、デザートが運ばれてきた。透明な器に盛りつけられた白桃のシャーベットだ。すっきりとした甘さが、口の中をさっぱりさせてくれる。
「今晩もとっても素晴らしい食事でしたわ。ありがとうございます」
シャーベットも綺麗に完食し、私は感謝の言葉を述べた。
「そう仰っていただけると、料理人冥利に尽きます。ですが……」
料理長は嬉しそうに微笑んだかと思うと、何故か表情を硬くした。
「単刀直入にお伺いします。私の料理に何か足りないものはございますか?」
私は今夜のメニューを思い返す。料理の味付けはもちろん、栄養バランスもしっかりと考えられた食事だった。これでケチなんて付けたら、罰が当たると思う。
「そんなのありませんわ。ねぇ、ネージュ?」
「おいしかったのーっ!」
ネージュは目をキラキラと輝かせながら返事をした。
「……そうでございますか」
ありゃ、何だか微妙な反応をされてしまった。ダメ出しして欲しかったのかな。
「う、うぅ……ぐずっ」
あれっ、泣いてる?
「私、何か失礼なことを言ってしまいました?」
「いえ、ただ嬉しくて……実はここ数年、リラ殿下からお褒めの言葉を賜ったことがないのです」
そうなの!?
「それどころかお食事も、ほとんど召し上がらなくなりまして……あれほどお好きだったビーフシチューも、『獣臭い』と一切口になさらなくなりました」
「なんてことを……!」
まさかビーフシチューが嫌い人間が、この世に存在するとは。
「でしたらリラ殿下は、普段何を召し上がっていますの?」
「豆類や根菜が入った麦粥やサラダ、フルーツなどを好まれております。体調を崩されているご様子もないので、ずっとこの食生活を続けられていらっしゃいますが……」
それってつまり。
「リラ殿下は、ベジタリアンじゃありませんの?」
「ベジ……?」
料理長が訝しそうに聞き返してくる。
この世界にベジタリアンという言葉はないのか。
だけど、リラって普通にお肉食べてなかったっけ。特に血が滴るような赤身のステーキが好物だった気がする。ラヴォントの婚約者の暗殺を企てているシーンで、美味しそうに食べてたし。
まあ、何もかもゲームの世界と同じってわけではないのかな。
それに偏食の度合いなら、うちの旦那のほうがレベルが高いと思う。
恐らく、他人の料理が食べられない体質なのだ。だから人前では殆ど食事を摂らないし、兵舎の献立のチェックもカトリーヌに任せている。
デリケートな問題だと思うし、特に詮索するつもりはないけれど。
「チュッ」
ララがぴくんっと耳を立てて立ち上がる。その直後、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼する」
「おとうさまっ」
シラーを見るなり、ネージュがぴょんっと椅子から飛び降りた。
「ただいま、ネージュ」
「おとうさま、おかえりなのーっ!」
満面の笑みで駆け寄っていくネージュ。シラーもその場にしゃがみ込み、両手を広げて娘を抱き留めようとする。
「気持ちは分かるが、着替えてからにしろ」
カトリーヌが両者の間に割り込み、二人の抱擁を妨害した。シラーがすごい顔で睨んでいるが、知らんぷりだ。
確かによく見ると、二人とも土埃で汚れている。……数日前からマティス伯領領に行ってたのよね?
「貴殿がこの城の料理長だな?」
「えっ? あ、はいっ!」
突然カトリーヌに呼ばれ、料理長は背筋をピンと伸ばした。
「早急に頼みたいことがある。城内の料理人たちを招集してくれ」
「か、かしこまりました!」
料理長が慌ただしく部屋を飛び出していった。それを追いかけるように、カトリーヌも部屋を後にする。
そして入れ替わるような形で、小さな子供たちがわらわらと部屋の中に入ってきた。だ、誰この子たち!?
「あっ、こら! ここには入るなと言ったろう!」
「君たちの部屋はあっちだ、あっち!」
「ナイトレイ伯爵夫人、大変失礼いたしました!」
兵士たちがペコペコと頭を下げながら、彼らを廊下に連れ出していき、最後の一人がいなくなったところで、ドアが閉められた。
「旦那様、今の子たちは……」
「マティス騎士団の兵舎に避難していたのは子供たちだ。一時保護することになった」
「おしろにすむの?」
シラーの言葉に、ネージュがどこかワクワクした様子で尋ねる。お友達が出来る! と思っているのかもしれない。
「ああ、もし見かけたら仲良くしてやってくれないか?」
「うんっ!」
この様子だと、自分からあの子たちに会いに行きそうね。
だけど騎士団の兵舎にいたというのが、少し引っかかる。
「旦那様、どなたか大人はいませんでしたの?」
「いや、舎内をくまなく探してみたが、彼らしかいなかった。何か気になることでもあるのか」
「確かあの兵舎は、人里から離れた場所にあったと思いますわ。市街地から馬車を使っても、二時間はかかる距離ですもの。あんな小さな子たちだけで辿り着けるとは、ちょっと考えにくいですわ」
私が疑問を呈すると、シラーは哀れむような眼差しを向けてきた。
「そういえば君、以前あそこで働いていたな……」
ええ、馬車馬の如く働かされた挙げ句、横領の濡れ衣を着せられましたわよ。




