書籍版発売記念SS・ネージュのお悩み(後)
シラーは三日前から王都に出向いていた。新たに打ち出す国策について、国王陛下が国内の高位貴族を招集して会談を開いていたのだ。
で、そのお土産でシラーが選んだのは、王室御用達の高級菓子店の一番人気であるフリュイ・コンフィ。シロップに漬け込んだフルーツを糖衣で覆ったお菓子で、一口食べれば果実の風味と甘さが口いっぱいに広がる。お茶のお供に最高の一品で、私はベリー系、ネージュはピーチがお気に入りの味だ。
シラーが王都に行くと必ず買ってきてくれるお土産で、今回も密かに楽しみにしていたのだけど……
「僕が持っている箱に気付いた途端、突然泣き出したんだ。酷い、酷いと」
「えぇ……?」
何とか落ち着きを取り戻したシラーから事情を聞き、私は首を捻った。その口振りだと、泣き出した原因はお菓子にあるようだ。
「君、何か心当たりはないのか?」
「そんなのさっぱりですわ。前回旦那様が買ってきてくださった時も、美味しそうに食べてましたもの。……ですけど、ここ数日間ネージュの様子がおかしいのですわ。ご飯をあまり食べなくなってしまいましたの」
「なんだって?」
シラーの顔つきがさっと変わる。毒を盛られた時のトラウマが再発したと思っているのかもしれない。
安心させるように、私はすかさず言葉を継ぐ。
「スープ系の料理や柔らかいものは食べてくれますわ。ですから今朝も、パン粥を作ってましたの」
「柔らかいものは……食べる……?」
私の言葉に、シラーの眉間に皺が寄った。そして口元に手を当てて黙り込んでしまう。な、何ですか、その反応は。
室内に暫し流れる沈黙。いい加減痺れを切らして、私が口を開こうとした時だった。
「は」
シラーは私の顔をじっと見据えて、ぽつりと言った。
……は? 発言の意図が分からず、目を瞬かせる。するとシラーは自分の頬を指差しながら、自らの推論を述べた。
「……歯が痛いんじゃないか?」
そう言われて、私はハッとした。言われてみれば近頃のネージュは、しきりに自分のほっぺをムニュムニュさせているような。可愛いと思って和んでいたけど、あれは歯痛を気にしてたのか。
シラーが買ってきたお菓子を見て号泣したのも、「歯が痛くてお菓子が食べられないのに、買ってくるなんて酷い!」って意味だったのかもしれない。
だけど、ちょっと待てよ?
「もし虫歯なら、スープやジュースも歯にしみて飲めないと思いますわよ。それに診察してもらった時も、歯に異常はないと説明されましたし」
「それ以外の原因があるんじゃないか? たとえば、食べ物のカスが歯に挟まったままだとか」
なるほど。大人でも、歯磨きだけで汚れや歯垢を取り切るのは難しいものね。だけどネージュの歯は、私とララが日替わりで磨いていた。磨き残しでネージュに辛い思いをさせていたなんて、ちょっといや、ものすごくショックだ。
この世の終わりのような顔で凹む私に、シラーがフォローの言葉をかける。
「子供は歯が痛いことを隠したがるからね。こればかりは仕方ない」
「だけど、旦那様は歯が原因だとお考えになりましたの?」
「……前例があったんだ。昔、うちの姉も突然食事を摂らなくなったことがあってね。歯茎が炎症していると判明したんだ。歯科院に連れて行こうとしたら、突然暴れ出した。僕は顔面に肘鉄を食らい、父は二階の窓から投げ飛ばされ、屋敷の一部が燃やされ……どうにか姉上の捕獲に成功したんだ」
猛獣かな? 動物病院に連れて行かれると分かり、大暴れする犬や猫のイメージ画が脳裏に浮かぶ。あのクールで凛々しい女公爵にそんな過去があったなんて……よっぽど怖かったんだろうな。
「……ちょっとお聞きしたいのですけど、この世界では虫歯ってどのように治療しますの?」
「この世界?」
「い、いえ。高位貴族の方々は、どうされているのか気になりまして……」
「そんなものに、貴族の階級なんて関係あるか。男爵家だろうが公爵家だろうが、虫歯が見付かったらすぐに抜くだけだよ。だから虫歯が出来ないように、歯のケアはきっちり行っている」
「ヒェッ」
薄々そんな予感はしていたけど、やっぱり問答無用に抜歯か。この世界の医療レベル、恐るべし。子供たちにとっては、恐怖の対象でしかないだろう。そりゃネージュも歯が痛いことを隠すし、カトリーヌも死にものぐるいで抵抗するわ。
だけど、このまま放っておくわけにもいかない。
「旦那様、ネージュを歯医者に連れて行きますわよ!」
「…………」
「旦那様!」
「……分かった」
先ほど泣かれたのがトラウマになっているのだろう。シラーは私に急かされて、渋々頷いた。私だって辛いんだから、一人だけ逃げないの!
「……というわけで、多分虫歯じゃないから! だから歯医者さんに行きましょう、ね?」
「たぶん……なの?」
「多分じゃないっ! ネージュは虫歯なんかじゃないわ!」
まだ確定したわけじゃないのに、私は声高らかに宣言した。ここでネージュが怖がったら、今までの苦労が台無しだもの。
シラーが「歯が痛いなら、歯医者に行こう」と言うと、予想通りネージュは激しく抵抗した。魔法で生み出した植物の蔦で自分以外を全員部屋から追い出し、その蔦でドアをぴっちり固定して籠城すること約二時間。何とか私だけ部屋に入れてもらい、説得すること三十分。長かったわ……
「……うん。ネジュ、がんばって『はいちゃ』さんにいく!」
「ほんとっ? ネージュえらーいっ!」
達成感で半泣きになりながら、私は娘を褒めちぎった。
その後、ネージュはララのかかりつけの歯科院で診察を受け、シラーの見立て通り歯と歯の間に食べ物の残骸が挟まっていることが判明。それを取ってもらった。
「ももさん、おいしいのーっ!」
幸せそうな表情で、桃の砂糖漬けを食べるネージュ。その笑顔を再び見ることが出来て、お母様は嬉しいです。
「ネージュ様、また食べられるようになってよかったですね」
ララがほっと胸を撫で下ろす。その横顔を見ながら、私は年老いた歯科医の言葉を思い返していた。
──ララさんは元気にしていますか? ええ、あの患者さんのことはよく覚えていますよ。歯を抜かれると勘違いして診察台から逃げ出した拍子に転んで、足を捻挫しちゃったんですよ。今から二年くらい前でしたかな。
歯医者のお世話にならないよう、くれぐれも歯のケアは怠らないようにしよう。私は胸のうちで、そう誓ったのだった。
次回から本編に戻ります!




