5.ネージュの食事
翌日、ララに起こされて居間に行くと、既にネージュが椅子にちょこんと腰掛けていた。私と目が合った途端、ぱぁっと表情を明るくする。
「おかあさま、おはようございます!」
「ええ。おはよう、ネージュ」
一瞬元気がなさそうに見えたけれど、気のせいかしら。笑顔で挨拶を交わすと、私もネージュの隣に座る。
「シラー様は、いらっしゃらないの?」
「旦那様は、いつも自室でお食事を済ませております」
ララが私の疑問に答える。
「自室でって……いつもそうなの?」
「はい。お仕事がお忙しいとのことで……」
ララは気まずそうに視線を逸らす。しまった、表情や声に苛立ちが出てしまったか。可愛い娘の前だし、スマイルスマイルっと。
ただし、一言物申しておきたい。
「分かりましたわ。ですが、たまには私たちもご一緒させていただけると嬉しいのですけれど。ネージュもお父様と仲良くお食事したいでしょう?」
私はあんな旦那と関わりたくないけれど、ネージュにとっては父親だものね。
しかしネージュは、何故か困ったような表情で首を横に振った。
「んっと……よくわかんない」
「……ネージュはお父様が好きではないの?」
そう尋ねると、今度は大きくかぶりを振る。だけど、やっぱり複雑そうな顔だ。
自分の気持ちを言葉で伝えることが上手く出来ないのかも。
「お食事の用意が出来ました」
メイドたちが私たちの前に朝食を並べていく。
ほかほかと湯気を立てる美味しそうな料理たち。だがネージュの皿を見た私は、食事を運んできたメイドを呼び止めた。
「……お待ちなさい。この子の分はこれだけなの?」
「は、はい」
「……確か昨晩も同じメニューでしたわよね? それに、幼児が食べる量だとしても少な過ぎるわ」
小さくスライスしてイチゴジャムを塗ったパンと、野菜の細切れが少しだけ入ったスープ。社畜の限界飯じゃないんだぞ。
ネージュが普通の幼児より痩せている理由が判明して、私の脳裏に「虐待」の二文字が浮かんだ。
「あなた方、まさか……」
「ち、違います。ネージュ様はこれしか召し上がることが出来ないのです」
私の懸念を察したララが慌てて弁解する。
「好き嫌いが激しいということ?」
「それは……」
ララが言葉を詰まらせる中、ネージュがスプーンを手に取ってスープを食べ始めた。しかし一口二口で、手を止めてしまう。
「……もういらないの」
そして今にも泣きそう顔でそう呟くと、椅子から降りて居間を飛び出した。ええええっ、全然食べてないじゃない!
「ま、待って……っ!」
「ネージュ様のことは私たちに任せていただいて、奥様はお食事をなさってください」
咄嗟に追いかけようとすると、メイドたちに止められて、そう促される。
だが、その後もネージュが居間に戻ってくることはなく、食事を終えた私は自室に戻った。
「特に用事もないから、他の仕事に就いていいわよ」
「いいえ。常に奥様のお傍にいるようにと、旦那様から言い付かっているのです。……何かその、申し訳ありません」
ララが気まずそうな顔で頭を下げる。そりゃ私は犯罪者だし、監視ぐらいつけるか。
「シラー様のお気持ちは分かりますわ。ですから、あまりお気になさらないで」
「え? ジョアンナ様のことをご存知なのですか?」
「はい?」
そんなキャラいたっけ。私が首を傾げると、ララははっとした様子で自分の口を手で覆った。え、何? うっかり言っちゃった感じ?
と、廊下から女性の叫び声が聞こえてきた。
「ネージュ様、お待ちください!」
ララを伴って様子を見に行くと、ネージュがメイドの腕の中でじたばたと暴れていた。シラーは険しい表情でその様子を見詰めている。
「また食事を残したそうだな」
「う……」
父の問いかけに、小さな体がびくっと震えた。
「出されたものは全部食べるようにと、あれほど言ったじゃないか。このままではまた栄養失調で倒れるぞ」
「たべたくないもん……」
「……我が儘を言ってメイドたちを困らせるな」
シラーが溜め息をついて、娘へと手を伸ばそうとした時だ。甲高い泣き声が廊下に響き渡る。
「うわぁぁぁんっ! おとうさまのばかばか!」
「…………」
わんわんと泣き叫びながら、ネージュはメイドの胸に顔を埋めてしまった。シラーも無言で手を引っ込めて、その場から離れていく。
修羅場だ……
廊下の曲がり角から一部始終を覗いていた私は、呆然と立ち尽くしていた。
ネージュの拒食はかなり深刻らしい。だからと言って、理由も聞かずに圧をかけるような言い方をしたら、逆効果じゃなかろうか。ファミレスでバイトをしていた時、あのような親子を見たことがある。
「そろそろお部屋に戻りましょう。……奥様?」
そう促してきたララに、私は疑問を口にしてみた。
「ねえ。ネージュはどうしてご飯を食べてくれないのかしら」
「……お医者様が仰っていましたが、食事に対して恐怖心をお持ちのようです」
「恐怖心って……何かあったの?」
私の問いかけに、ララは押し黙ってしまった。一番肝心なところでだんまりかい。
「……要するに、安心してご飯が食べられる環境を作ってあげればいいのね」
「何か方法があるんですか!?」
「それを今から考えるの! あなたも協力なさいね」
部屋に戻り、早速話し合いを始める。
しかし子育ての経験ゼロの私では、何も思い付かなった。ララも右に同じ。
今までも子供が好んで食べそうな様々な料理を作ったり、環境が関係しているのではとネージュの部屋で食べさせたりもしたそうだが、特に効果はなかったという。アレルギーのような症状もなし。
せめて怖がっている理由が分かればいいんだけどな。ここは一つ、自分に置き換えて考えてみよう。
私だったら、食事の時に何が怖いと感じるかな。
自分の分を勝手に食べられること。それから……
「……ララ、何か書くものをちょうだい」
「こちらをお使いください」
「ありがとう。ええと……」
思い付いた食材を次々と書き連ねていき、そのメモをララに差し出した。
「ここに書いてあるものを用意してちょうだい」
「かしこまりました。ですが、これで何を作ってもらうおつもりですか?」
「料理人たちに頼むつもりはないわよ。これは私たちが作るの」
私がそう告げると、ララは「へ?」と目を点にした。