49.不貞寝
「チューッ!」
ララが本の上に飛び乗って、喜びの舞を踊る。
「夫人! こんなところにいらっしゃいましたか……!」
護衛兵が慌ただしく駆け寄ってくる。ほんの少し目を離した隙に私がいなくなっていて、必死に探していたらしい。ごめん、すっかり存在を忘れてた。
だけど結局、あの太っちょさんにハンカチを渡しそびれちゃったな。とりあえず落とし物コーナーに届けておきますか。そうすれば、後で気付いて取りにくるかもしれない。
「先ほどハンカチを拾ったのですけれど」
カウンターに座っている司書に、ハンカチを手渡そうとする。
「……あら?」
「どうなさいました?」
「えっと、ちょっとお待ちになって」
ドレスのポケットに入れておいたはずなのに、いつの間にかなくなっている。まずい、どこかに落としてきたのかも。人様の落とし物を!?
「どっ、どうしましょう!?」
「まあ、運良く持ち主の方が拾っているかもしれませんから」
慌てふためく私に、司書が落ち着いた口調で言う。
「ちなみにどのようなハンカチでしたか?」
「確か花柄の……あら?」
おかしいな。どんな色だったのか、全然思い出せない。花柄ってことだけは覚えてるんだけど……!。私がうんうん唸っていると、司書は「ああ」と何かに納得するように頷いた。
「恐らくお客様が見かけたのは、精霊ですね」
「せ、精霊?」
「はい。この図書館では、精霊が人間の振りをして本を読みにくることがあるんですよ」
何でもありだな、国立図書館!
だけど、もしかして困ってる私を見て、助けてくれたのかも。
「夫人。こっちだ、こっち」
読書スペースを訪れると、先にやってきていたラヴォントに声をかけられた。
「おかあさま、おかえりなの!」
ラヴォントの膝の上で、ちょこんと大人しくしているネージュ。絶世の美青年とキュートな美少女のセットは、破壊力抜群だわ。キラキラとしたオーラを感じる。
それはいいんだけど。
「で、殿下、そちらの本は……?」
テーブルに三十冊ほど絵本が積み上がっている。
「うむ。どれにするか決められなかったので、手当たり次第持ってきたぞ!」
「えほん、いっぱーい!」
豪快というか雑というか。でもまあ、ネージュが喜んでるからいいか。
「で、探し物は見付かったのか?」
「ふっふっふ。もちろんですわ」
「チュッチュッチュッ」
「おかあさまとララ、うれしそうなの」
そりゃそうよ。数々の死闘を経て、ようやく見つけ出したんだから。私は意気揚々と、『魔法の使い方から解き方まで! 誰でも分かる変化魔法のすべて』を掲げた。
途端、その場の空気が凍り付いた。
「め、珍しいものを調べているのだな」
「でんか? なんにもみえないのー!」
「しっ! そなたは見ないほうがいい!」
ラヴォントは素早くネージュの両目を塞いだ。護衛兵たちも怪訝そうにこちらを見てくる。
「チュチュウッ!?」
表紙を見たララが、ぴょんっと飛び跳ねる。
そういえば、さっきと本のカバーの色が違う。私は本の表を見て、度肝を抜かれた。
「『エクラタン拷問史』!?」
物騒なタイトルの下に、水責めに遭っている男のイラストが描かれている。
「違います! 誤解です! 私が見付けたのは、この本じゃありません!」
私は全力で首を横に振った。
その直後、エクラタン拷問史がまばゆい光を放つ。閉じかけていた瞼を開くと、私の手の中には例の魔導書が収まっていた。
「なるほど、これは変化魔法だな」
ラヴォントが魔導書をまじまじと観察しながら、言葉を続ける。
「長い年月この図書館に保管されていた影響で、本そのものに強い魔力が宿ったのだろう。今のように、様々な本に変化することが出来るようだ」
だからあの棚に、雷帝新書が二冊置いてあったわけか。見た目が変わってるんだもの。道理で私がいくら探しても、見付け出せないわけだ。
大きな謎が解けたところで、早速読んでみましょうか。
「チュッ、チュッ♪」
ようやく見付けた手がかりに、陽気なネズミソングを歌うララ。
「チューなのっ!」
私の膝の上に乗り、ニコニコとララを眺めているネージュ。
和やかな雰囲気の中、私は魔導書のページを開いた。ラヴォントや護衛兵たちも、興味津々な様子で私の背後から覗き込んでくる。
「「「………………」」」
何とも言えない沈黙が流れる。自分でも眉間に皺が寄っているのが分かった。
「…………何て書いてあるのだ?」
ラヴォントがぽつりと零した。
そう、どのページもミミズが這ったような文字が綴られており、全く読むことが出来ないのだ。護衛兵たちも全員お手上げ。「うちの子供のほうが字が上手い」と言い出す人もいる。
「おかあさまっ、ララがまるくなっちゃったの!」
ネージュの手のひらの上で、ララが丸まって不貞寝を決め込んでいる。唯一の手がかりがこれなんだもの。今はそっとしておいてあげましょう。
とはいえ、変化魔法に関する書物はこの一冊だけ。とりあえず一ヶ月ほど借りることにした。ネージュの絵本と一緒に台車に載せて、検問所へ向かう。
「で、殿下。そこまでしてくださらなくても大丈夫ですから……!」
「遠慮するな。今日の私は、ネージュの兄なのだからな!」
すやすやと眠るネージュを抱っこしながら、ラヴォントが得意げに笑う。一人っ子なので、妹が出来たようで嬉しいのかもしれない。
検問所のドアを開けると、司書や兵士たちが一斉にこちらを見た。心なしか、表情が引き攣っている。
「どうしたのだお前たち」
すぐに異変に気付いたラヴォントが怪訝そうに問う。
「い、いえ、その……」
言葉を濁しながら、彼らはちらりと部屋の奥に目を向ける。黒衣を纏った妖艶な美女がソファーに座り、優雅に読書を楽しんでいた。その背後には、屈強な兵士たちが、ずらりと並んでいる。
「ふふ、ふふふ。おかえりなさい、ラヴォント。あなたが戻ってくるのを、ずっと待っていたのよ」
ねっとりと絡み付くような女性の声。私は一瞬心臓が止まりそうになった。いや、多分止まったと思う。
「あら、そこにいる不細工は誰かしら?」
呆然と立ち尽くす私を見て、彼女は黒いリップが塗られた唇を吊り上げた。
「もしかして、私の息子に手を出そうとしている泥棒猫ちゃん?」
マジラブの中で最も危険な女、リラ王太子妃だった。