48.夢幻の鏡
「むっ、突然驚かせてしまってすまない。まだ鏡のことを説明していなかったな」
ラヴォントが手にしていたのは、黄金細工で縁取られた手鏡だった。
「これは『夢幻の鏡』と呼ばれる精霊具で、鏡に向かって念じると自分の望む姿に変身することが出来るのだ。この布の下に、核が埋め込まれている」
そう説明しながら、黒い布が巻かれた取っ手の部分を指差す。
「そんな精霊具があるなんて、初めて知りましたわ……」
私の記憶が確かなら、マジラブにも登場していなかった。
「王家には存在が秘匿されている精霊具がいくつかある。これは有事の際、王族の人間が安全に退避する時に使われるものなのだ。だがまあ、平時ではこうして変装に用いている」
世を忍ぶ仮のお姿というわけね。イケメンすぎて、忍べていないような気もするけど。女性職員が顔を真っ赤にして、ラヴォントを凝視している。
「さあ、夫人も使ってみよ」
「え、えぇっ?」
妙案って、このことだったのか。でも王家の精霊具をお借りするのは、流石におこがましいというか……!
「遠慮はいらぬ。そなたには、サインの礼をしなくてはならないと思っていたからな」
「あ、無事に届きましたのね」
「先ほど、祖父の従者が部屋にやってきて、色紙を詰めた木箱を置いて行ったのだ」
嬉しそうにラヴォントが語る。それにしても、あんなに大量のサインをどうするつもりなのだろう。まさか全部部屋に飾るってことはないわよね? 一抹の不安が脳裏をよぎる。
「というわけで、今回だけの特別サービスだ!」
「そ、そういうことでしたら」
ぐいぐいと迫ってくるラヴォントに根負けして、私は恐る恐る鏡を覗き込んだ。
だけど、自分が望む姿と言われても、すぐには思い付かない。まずは髪型を変えてみるとか? 後は眼鏡をかけてみるとか……
鏡に映る自分と睨めっこしていると、突然鏡が白く光った。
そして光が止んだ後、そこに映っていたのは黒縁眼鏡をかけた黒髪の女性だった。
「これが……私!?」
私は両手でフレームを動かしながら、鏡に自分の顔を近付けた。ちなみに伊達眼鏡なので、レンズに度は入っていない。
「おかあさま、くろくなっちゃった……!」
ネージュが目を丸くして固まっている。
「チュッ……チュウ、チュチュウッ!」
ララが慌てた様子で、私の頬をぺしぺしと叩く。そうだ、この鏡があればララたちを元の姿に戻せるかもしれない!
「ちなみに、精霊具の効果は一時的なものだ。二時間ほどで、元の姿に戻ってしまうから注意するのだぞ」
ラヴォントの説明を聞き、ララはがっくりと肩を落とした。ド、ドンマイ!
「ネージュ嬢も鏡を使うといい」
「はーいっ」
元気よく返事をしたララに、ラヴォントが鏡を向ける。ネージュはどんな姿をイメージしたのだろう。ララやフライパンとともに、固唾を呑んで見守る。
しかしいくら待っても、一向に鏡が光らない。
「故障か? いや、反抗期か?」
精霊具に反抗期ってあるの!? いやでも、うちのフライパンや水差し丸も結構モチベに左右されるわ……。
「ふわふわさん、おやすみしてるの!」
「ふわふわさん?」
謎の呼称に、ラヴォントの頭の上に疑問符が浮かぶ。
「殿下、ネージュには精霊の姿が見えますの」
「見える? 精霊が?」
「ふわふわさんというのは、多分その鏡に宿る精霊のことですわ」
「そうか、面白い目を持っているな。しかし寝てしまったとなると……仕方がない。これらを使うか」
ラヴォントが鉄製の戸棚を開けると、ウィッグや帽子、眼鏡などが出てきた。
「ネージュ嬢なら、金髪も似合うかもしれんな」
「でんか! ネジュ、これがいいの!」
「それは付け髭だ。そなたには似合わん」
ノリノリでネージュに明るい金髪のウィッグを装着させるラヴォント。それだけじゃ足りないと思ったのか、丸い伊達眼鏡やフリル付きのカチューシャも着けさせる。
「殿下、手慣れていますわね……」
「鏡が使えない時に備え、王族たちは変装術も身に付けているのだ。特にお祖父様は女装の達人だ。若い頃は町娘に変装して、よく王都へ繰り出していたらしい。そして町民たちのトラブルに首を突っ込み、解決していったそうだ」
いかにも時代劇でありそうなシチュエーションだ。あのおじいちゃん、昔は本当に自由奔放だったんだろうな。
ネージュの変装も完了したところで、事務室の奥にある木製のドアを開き、いよいよ館内に足を踏み入れる。
「すごーい……!」
ネージュは周囲を見回しながら、感嘆の声を上げた。
ドーム状の巨大な建物の中に、ガラス製の透明な本棚がずらりと設置されている。館内を煌々と照らしているのは、天井から吊るされた星飾りだ。館長が夢の中でいた書庫と雰囲気が似ている。
館内の中央は読書スペースになっており、長机や椅子、ソファーが用意されている。食べ物の持ち込みや飲食は厳禁。破ったら、懲役刑が科せられるのだとか。
「飲食はともかく、持ち込みだけで懲役刑ですの?」
ちょっと厳しくありません?
「食べ物の匂いが本についてしまうことがあるそうだ。同様の理由で、香水の使用も禁じられている。夫人は……つけてないな」
ラヴォントが私の耳元に鼻先を近付けて、すんすんと匂いを嗅いだ。私は人工的な香りが苦手なので、日頃から香水を使わないようにしているのだ。
「さて、ネージュ嬢は私に任せて、夫人は目当ての本を探してくるといい。館長が通行証を授けたということは、その本もそなたが来るのを待っているはずだ」
「ありがとうございます、殿下」
「念のために、私の護衛を貸そう」
私服に着替えた兵士が、「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「では行くぞ、ネージュ!」
「はい、でんかっ」
大人サイズになったラヴォントに肩車をしてもらい、ネージュが弾んだ声を上げる。こうして見ると、歳の離れた兄妹のようだ。
それじゃあ、私も魔導書を探しに行きますか。まずは、壁に貼られている見取り図を見てみる。
館内は細かくエリア分けされていて、数学書、語学書、料理本、絵本と様々なジャンルが取り揃えられている。配置の様子を頭に叩き込み、早速魔導書のエリアへ向かう。
魔導書。
魔法や精霊に関する知識を記した書物で、中には恐ろしい魔物が封印されていたり、読んだ者を石に変えてしまったりと、危険なものもある。そういった書物は、人目に触れないように館長が自分の書庫で保管しているそうだ。
よって、館内に所蔵されているのは、比較的安全な書物となる。
「……おやおや?」
数回ほど本棚を確認してから、私は首を傾げた。
変化魔法に関する書物が、一向に発見出来ないのだ。陛下曰く、読みたい本はすぐに見付かるらしいのだけれど。
私の本に対する思いが足りないのか……?
「魔導書ーっ。読みたい、読ませてくださいっ。変化魔法っ」
「チュッ。チュチュッ」
ララも私の真似をして、本棚に向かって祈りを捧げている。何やってるんだろ私たち、と一瞬思いかけたが、正気に戻ったら負けだ。
祈祷を済ませたところで、再度本棚を一番下の段から調べていく。
焔の書、水魔法の全て、雷帝新書、風と魔法と私、木魔法大百科、雷帝新書……ダメだ、目がしょぼしょぼしてきた。あとこの世界の魔導書って、絶妙にネーミングがダサいな。
ここは一旦休憩。近くのソファーにもたれ、深く溜め息をつく。
「大丈夫でございますか?」
大丈夫じゃないです。護衛兵に声をかけられ、私は力なく首を横に振った。
「私の探し方が悪いのかしら……ごめんね、ララ」
「チュウ、チュウ」
ララは首を横に振った。心なしか笑っているような表情に、じんと胸を打たれる。そうだわ、ララたちを助けるためにも落ち込んでいる場合じゃない!
ソファーから立ち上がり、魔導書エリアへ戻ろうとする。すると私の行く手を遮るように、ふくよかな体型の男性が目の前を通り過ぎていった。
「チュウ?」
ララが床を見下ろして鳴く。ハンカチを落としていったのね。私は花柄のそれを拾い、男性に向かって声をかけた。
「そこのあなた、ハンカチを落としていきましたわよ」
あれっ、聞こえなかったのかしら。こちらを振り向きもせず、スタスタと行ってしまう。
「ちょっと、そこの赤い服の方ーっ!」
小走りで追いかけながら、再び声をかけるが無反応。しかも向こうは普通に歩いているはずなのに、何故かみるみるうちに距離が開いていく。何で? 競歩大会の優勝者なの!?
「はぁっ、はぁっ……ま、待ってぇ……!」
「チュウ……」
ララが「もう諦めたほうがいいんじゃないですか」と言いたげに、耳元で小さく鳴いた。やだっ、ここまで頑張ってきたのに、今さらギブアップしたくない!
謎の意地が私を突き動かす。しかし科学書エリアの付近で、ついに男性を見失ってしまった。本棚に挟まれた狭い通路に入ったと思ったら、そこで忽然と姿を消してしまったのである。
無念。私は込み上げてくる悔しさに、手汗で湿ったハンカチを握り締めた。
「ん?」
床に一冊の本が落ちている。さっきの人が落として行ったのだろうか。
雷帝新書? 魔導書の本棚で見かけたタイトルだわ。そういえばこの本だけ、何故か二冊置いてあったっけ。需要が高いから、増刷した?
本を拾い上げると、一瞬だけ白く光った。すると、あら不思議。本のカバーもタイトルも全く別の物に変わっていた。
「『魔法の使い方から解き方まで! 誰でも分かる変化魔法のすべて』……」
タイトルを読み上げた私は、一瞬頭が真っ白になった。変化魔法って! 書いてある!!
「これだわ……っ!」