47.利害関係
銀色の板を挿入し、切れ込みに沿ってスライドさせると、カチャッと鍵が開いたような音がした。目の前の壁が煙のようにスゥゥ……と消え、下へと続く階段が現れる。
「おかあさま、すごい! まほうつかったの!?」
「チューッ!」
使ってない使ってない!!
だけどこの階段、どこに続いているんだろう。階段をじっと見下ろしてから、私はネージュに声をかけた。
「すぐに戻ってくるから、ちょっと待っててね。ララ、ネージュのことをお願い」
「うん!」「チュッ」
護身用のフライパンを握り締め、いざ潜入。階段の幅は人一人が通れるほどの狭さで、天井には等間隔でランタンが吊るされていた。途中でうっかり踏み外してしまわないように、おっかなびっくり下りていく。
階段を下りた先には、巨大な地下通路が広がっていた。どこからか吹いてきた冷たい風が、私の頰をそろりと撫でた。
そろそろ引き返そうかしら。これ以上先に進んで迷子になったら大変だし。
「なぬっ!?」
踵を返そうとすると、いつの間にか階段へ続く道が壁で塞がれていた。こ、このままじゃ帰れない!
「ネ、ネージュ! ララーっ!」
パニックになりながら叫ぶ。すると、何故か背後から「はいっ!」と返事が聞こえた。
「ネージュ!? それにララも……どうしてここにいるの!?」
「チュ、チュゥゥ……」
ネージュの手のひらの上で、ララが申し訳なさそうに俯く。
「えっとね、あのね。へんなおじちゃまがおいで、おいでって」
「おじちゃま?」
夢に出てきたおじいさんがふっと脳裏に浮かんだ。
「ごめんなさいなの……」
「う、ううん。ネージュは何も悪くないわ」
言いつけを破ってしまい、しょんぼりと落ち込む娘の頭を撫でる。深く考えずに、ここまで下りてきた私が迂闊だった。早いところ、脱出する方法を考えないと。
そのためにも、やっぱり先に進むしかなさそうだ。
「チュ?」
ララが耳をぴくっと動かし、キョロキョロと周囲を見回す。暗闇の向こう側から、重い足音が聞こえてくるのだ。それも、一人や二人ではない。
「見付けたぞ、侵入者だっ!」
長い槍を携えた兵士たちが、こちらに向かって駆けてくる。えっ、侵入者って私たち!?
状況を飲み込めないまま、あっという間に兵士たちに取り囲まれてしまう。
「女と子供だと……? 貴様ら、どうやって忍び込んだ」
「お、お待ちください! 私たちは怪しい者ではありませんわ! 客室の隠し階段を見付けて下りてみたら、ここに辿り着いただけで……!」
「隠し階段? もう少しまともな嘘をつけ。そんなもの、この通路に存在するはずがない」
「本当ですわ! その階段が消えてしまって、帰れなくなっていましたの!」
槍の切っ先を突き付けられ、両手を挙げながら身の潔白を訴える。しかし兵士たちは態度を軟化させるどころか、より一層表情を険しくさせた。
「まあいい、詳しい話は後で聞かせてもらおう。おい、この者たちを連れて行け!」
正直に話したのに! 私たちを捕えようと、兵士たちが近づいてくる。
その時、右手に持っていたフライパンが突如燃え上がった。そして私が止める間もなく、彼らに向かって火球を撃ち込んでいく。
「うわぁぁぁっ!」
「この女、魔法の使い手か!?」
待って違うんです。誤解です!
「ヂュゥゥゥ……ッ」
私の足元で、ララが前歯を剝き出しにして兵士たちを威嚇している。どうしよう、こっちも臨戦態勢になっているんですが。
「気を付けろ! あのネズミ……もしや魔物かもしれんぞ!」
困った、事態がどんどん悪化していく。私は為す術なく途方に暮れていた。けれどネージュにドレスの裾を引っ張られ、はっと我に返る。
「だ、大丈夫よ、ネージュ。お母様がついてるからね」
「あのね、あっちからびゅーってきこえるの!」
ネージュが遠くを指差しながら言う。私は瞼を閉じて、じっと耳を澄ませた。喧噪に紛れて、風切り音のようなものが聞こえてくる。そしてそれは、どんどんこちらへと近づいてきていた。
「直ちに武器を収めよ! その者たちは、我らの大事な客人だ!」
幼い少年の声がその場に響き渡る。途端、兵士たちはぴたりと動きを止めた。
通路の奥から、ラヴォント殿下が文字通り飛んでやって来る。そして私たちの目の前に降り立った。
「アンゼリカ夫人、無事か!?」
「は、はい!」
私はこくこくと頷いた。ラヴォントが扱う魔法は風属性。強風や竜巻を発生させて敵を吹き飛ばしたり、真空の刃で攻撃する以外にも、色んなものを浮かせて移動出来たりと多彩な用途で使えるのだ。
「お下がりください、殿下! この者たちは……!」
「武器を収めよと言っただろう! 彼女はナイトレイ伯爵夫人であるぞ!」
ナイトレイの名を聞いた途端、兵士たちが息を呑むのが分かった。警戒を解き、「ご無礼をお許しください」と頭を下げてきた。フライパンとララはまだ怒りが収まらない様子だったが、私が「あなたたちも、ほら」と声をかけると、ようやく落ち着いてくれた。
「しかし、何故そなたたちがここにいるのだ?」
「それが私にもよく分からなくて……目を覚ましたら、こんなものが手元にありましたの」
そう説明しながら銀色の板を見せる。直後、ラヴォントは驚愕の表情を浮かべた。
「それは……そ、そなた、まさか館長に会ったのか!?」
「館長?」
「国立図書館に宿りし精霊のことだ! 普段は、次元の狭間にある書庫に引きこもっていると聞くが……」
あのワンカップおじいさんが? 私は戸惑いながらも、先ほど見た夢や隠し階段のことを説明した。ラヴォントだけではなく、その場にいた兵士たちも真剣な表情で聞き入っている。
「ふむ……ではそなたたちは、館長に導かれてやって来たのだな」
ラヴォントは周囲をぐるりと見渡した。
「この道は、エクラタン王城と国立図書館を繋ぐ地下通路で、本来なら王族以外の利用を禁じられているのだ」
「そ、そうでしたの!? 私たち、早くここから出たほうが……!」
「本来なら、と申したであろう。そなたが手にしている板のようなものは、館長から直々に授かった通行証だ。それさえあれば、審査を受けなくても入館することが可能となるし、この通路の利用も許される」
まさにVIP待遇。そんなにすごいアイテムだったんだ……。
これで図書館に入れるし、魔導書も見付かるかもしれない。
ただし、一つだけ問題がある。うちのバカ姉のことだ。
「夫人? 難しい顔をしてどうしたのだ?」
「ええと……実は私、今はあまり城外に出られないことになってまして」
「ふむ。事情はよく分からぬが……そういうことなら、私に妙案があるぞ!」
小さな王子様は、自信満々な表情で自分の胸を叩いた。
薄暗い地下通路を延々と進み続ける。その道すがら、私はこのフライパンこそが火の精霊具であることを明かした。
「そなたが、あの伝説の『紅蓮の大斧』に封じ込められていた精霊……! なんと神々しい姿だ!」
フライパンを見上げるラヴォントの瞳は、宝石のように輝いていた。祖父の相棒とのご対面で大はしゃぎだ。館長の話をしていた時より、テンションが高い。
「あれが精霊具……」
「ただのフライパンにしか見えないが……」
ラヴォントの護衛兵たちも、興味津々な様子でこちらに視線を向けている。
皆に注目されて照れているのか、フライパンからは白い煙が噴き出していた。卵を割り落としたら、目玉焼きが作れそう。
「おかあさま、としょかんってなぁに?」
そっか。ネージュは図書館に行ったことがないのね。
「色んな本を読んだり借りたりするところよ」
「えほんもある?」
「えっと……」
その質問に私は口ごもった。こちらの世界の図書館って、児童書や絵本は置いてあるのだろうか。
「あそこは絵本の数も豊富だぞ。幼少期、母上がよく読み聞かせてくれたものだ。……よし、私がネージュ嬢にオススメの本を選んでやろう!」
「そ、そんな、殿下のお手を煩わせるわけにはいきませんわ!」
畏れ多いにもほどがあるわ!
「夫人よ、気にするな。これは私のためでもある。私は数日に一度、勉学のために図書館を利用している。その時間を減らすことが出来て、私も好都合なのだ」
ははーん、サボりの口実が欲しいってことか。
チラッと護衛兵たちを見ると、彼らは「私たち、何も見てないし聞いてません」と言いたげに顔を逸らした。この慣れた感じ……さては殿下、常習犯だな?
「でんかも、えほんすき?」
「絵本はよいぞ。絵がたくさん描いてあって、文章も少なくて読みやすい。数学書や語学書と違ってな!」
殿下は胸を張って答えた。言葉の端々から、勉強をしたくないという思いがひしひしと伝わってくる。
ここは殿下のサボタージュに付き合ってあげよう。先ほど助けてくれた恩もある。
「ラヴォント殿下。それでは、よろしくお願いしますわ」
「任せておけ!」
……だけど、このことがリラ王太子妃にバレたらマズいのでは?
「だが、もし母上や家庭教師にバレたら説教を受けてしまう。なので此度の件は……」
「内密に、ですわね」
「頼んだぞ」
互いの利害関係が一致した瞬間である。私とラヴォントは頷き合った。
◆◇◆◇◆
暫く歩いているうちに、突き当たりの階段に辿り着いた。上へ上っていくと、事務室のような場所に出る。ラヴォント曰く、ここは検問所で、数人の職員と見張りの兵が常に目を光らせているらしい。
「通行証はお持ちでございますか?」
「もちろん持っているぞ」
王家と言えども、顔パスは通用しないらしい。
「そちらの方も、通行証をお見せください」
私が銀色の通行証を提示すると、職員たちがざわつき始めた。「本物か?」や「偽物かも……」とヒソヒソと話をしている。
まあ疑われるのも無理ないか。気まずい空気が流れる中、私は引き攣った笑みを浮かべていた。
ふと壁に飾られている肖像画が目に留まった。あれはワンカップおじいさ……館長?
その時、突然館長の顔がゆっくりと動き出した。そして私のほうに視線を向け、カッ!! と両目を光らせる。滅茶苦茶怖いんだけど!
「か、館長の絵が……!」
「間違いない、この通行証は本物だ!」
よく分からないけれど、信じてもらえたらしい。何はともあれ、これで入館出来る。
あ、大事なことを忘れてた。
「殿下。そういえば先ほど仰っていた妙案というのは……」
私の言葉は最後まで続かなかった。
……殿下、さっきより背が高くなってません? 子供特有のふっくらとした頬も随分とすっきりしていて、目元もきりっと凛々しくなっている。
「あ、あの……っ」
「夫人? どうしたのだ?」
「でんか、おっきくなってるのー!」
ネージュが私の言葉を代弁してくれた。
そう、今私たちの目の前にいるのは、大人の姿をしたラヴォントだった。驚きのあまり、私は言葉を失っていた。




