44.ラヴォント王子
「し、失礼いたします」
やや上擦っている幼い声。陛下に頭を下げたのは、十歳前後の少年だった。青みがかった黒髪と、ラベンダー色の大きな瞳。そして高貴な身分を思わせる豪奢な身なり。
この寒色系のカラーリング、ものすごく見覚えがあるぞ?
私の視線に気付いた少年が、とことこと私の目の前までやって来た。
「私は王太子レグリスの嫡子、ラヴォントだ。先ほどの非礼を詫びよう。驚かせてすまなかった」
やっぱり『マジラブ』の攻略キャラの一人、ラヴォント王子だわ!
ゲーム本編では、冷静沈着かつ寡黙でクールな王子様。今のメテオールをそのまま大人にしたような性格で、主人公に対しても、なかなか本心を打ち明けてくれないお方だった。
「お初にお目にかかります。私はナイトレイ伯爵夫人のアンゼリカと申します」
「ネージュともーします!」
私とネージュも二人仲良くご挨拶。するとラヴォントは、驚いたように目を見開いた。
「そうか……そなたがあのアンゼリカか」
「私のことをご存じなのですか?」
「もちろんだ。なんと……ナイトレイ伯爵夫人とはそなたのことだったのか。うむ、素晴らしい女性を見付けたな、シラー殿!」
親戚のオッサンのような台詞を吐きながら、シラーの太ももをバシバシ叩いている。
というかちょっと待って。どうしてラヴォントが、私のことを知ってるの?
「……殿下。失礼ですが、ただいま陛下と大事なお話をしている最中ですので、ご退出願えますか?」
シラーは平静を装おうとしているものの、目元がうっすらと赤らんでいた。王子を中に入れていいか聞かれて、「構いません」って答えてませんでしたっけ?
「うむ。用件が済んだらすぐに退室する。アンゼリカ夫人よ、例のブツは持ってきてくれたか?」
私は、いつから王子様と闇取引をしていたのだろうか。
「もしかして……精霊具のことでございますか?」
「うむ! 祖父の盟友を宿したフライパン、是非とも拝見したい!」
キラキラしたとした眼差しが眩しい。
「フライパンは今どこにあるのだ?」
「えーと……客室に置いてきてしまいました」
今頃はトランクの中で、グースカ眠っているんじゃないかしら。金庫に入れられた時はパニックを起こしていたのに、随分と神経が図太くなったと思う。
「むう、そうか……」
「殿下、精霊具でしたら後でお見せしますので」
「分かった分かった。貴殿は何をそんなに焦っているのだ?」
ラヴォントは怪訝そうに首を傾げた。うちの旦那が申し訳ありません。
「それに、そろそろ本日の授業が始まるのでな。一分でも遅刻すると宿題を倍に増やされてしまうので、早く戻らねばならん」
流石王子様。スパルタ教育を受けているのね。
「では失礼し……あ、ちょっと待った! アンゼリカ夫人、そなたに一つ頼みがあるのだが」
「はい、何でございますか?」
シラーの聞かなくていいオーラを無視し、ラヴォントの傍にしゃがみ込む。小さな王子様は「かたじけない」と前置きしてから私の耳元へ顔を寄せ、
「……………はい?」
その内容に、私は目を瞬かせながら聞き返した。え、頼みって……それ?
「ダメだろうか?」
「滅相もありませんわ! 少し驚いただけで……」
「それでは引き受けてくれるのだな」
「えっと、それは」
「恩に着るぞ、アンゼリカ夫人! 流石はシラー殿の選んだ女性だ!」
ラヴォントの中で勝手に話が進んじゃってるのだが!?
「これ、ラヴォント。ナイトレイ伯爵夫人に何をさせるつもりじゃ」
見兼ねた陛下が口を挟む。
「そ、それはお祖父様にも秘密でございます。では、よろしく頼んだぞ!」
私の手をぎゅっと握り締め、ラヴォントは慌ただしく退出していった。
あの真面目だけど、ちょっと騒がしい王子様が十年後、ラベンダーの花がよく似合うクールなイケメンに大変身するのか。……ネージュといい、メテオールといい、ビフォーアフターぶりが激しいな。
「すまぬな。孫の言ったことは忘れてくれて構わんからのぅ」
「い、いえ、そんな……」
あ、フライパンで思い出した。そういえば王太子一家のために、卵焼きを作らなくちゃいけないんだったわ。
フライパンのモチベも完全に復活したことだし、材料さえあれば、文字通りいつでもどこでも調理出来る。
「ところで、ナイトレイ伯爵夫人。プレアディス公爵から伝言を聞いているとは思うが……」
「はい」
「やっぱりあの話はなしじゃ。聞かなかったことにしてくれんか」
私、結構やる気満々だったのですが?
だけど突然の献上イベント中止に、心当たりがないわけではない。この話を引き受けた時から、ちょっとした懸念があった。
「息子も孫も、そなたの料理を楽しみにしていたんじゃがな」
陛下がネージュに視線を向ける。子供には聞かせられない話なのだろう。私はネージュの両耳を手で塞いだ。
「おかあさま?」
琥珀色の瞳が不思議そうに見上げてくる。少しだけ我慢していてね。
陛下はコホンと咳払いをし、簡潔に理由を述べた。
「実はリラが食べるのを嫌がってのぅ」
やっぱりあの人ですか。悪い予感が当たってしまった。




