38.帰ってきました
凄まじい音を立てて荷台が大破し、その残骸が辺りに散らばった。
「お……お姉様?」
姉の名前を呼んでみるが、返事がない。
ハムちゃんに襲われようが、木箱に頭を強打しようが不屈の闘志で立ち上がってきたシャルロッテも、今度こそ駄目かもしれない。年貢の納め時という言葉が、脳裏に浮かんだ。
ネージュ(未来のすがた)も私を助けるためとは言え、やることがダイナミック過ぎる。だけど、ゲーム本編のネージュもそんな感じだったっけ。王都の兵士を足止めするために、木々を生やしまくってバリケードを作っていたし。意外と脳筋だった。
「うわぁぁぁんっ! おかあさまぁーっ!」
この声は! 振り返ると、小さなネージュがこちらへと一生懸命駆け寄ってきていた。
「おか、ぁさまっ、ひっく、おかぁさまぁ……うぇぇえん……っ!」
「あ、あなた今、大きくなってなかった!?」
「え?」
ネージュがこてんと首を傾げた。え、だとしたらさっきのあの子は何だったの?
混乱していると、ネージュがポロポロと涙を零しながら、私のドレスの裾をぎゅっと握り締めた。
「……心配かけちゃってごめんね。きてくれてありがとう」
「うん……!」
泣き腫らした顔で、コクコクと頷く娘を抱き締める。ああ、この子が無事でよかったわ。
シャルロッテにハサミを突き付けられた時、私はネージュに「屋敷の中に逃げて」と叫んだ。シャルロッテの仲間が隠れている可能性もあったから、一か八かだったけど。
幸いにもシャルロッテは、逃げ出したネージュには無関心だった。この子を捕まえようとしていたのも、単に人質として利用するためだったのかしら。
ということは、やっぱり狙いは私個人だった……?
「……ん?」
ふと空を仰ぐと、彼方から謎の黒い物体が飛んでくるのが見えた。
なんじゃありゃ、と目を凝らす。鳥にしてはやけに丸くて平べったいな……って、うちのフライパンか!?
「とかげさん?」
ネージュも、きょとんと空を見上げている。
そしてフライパンは私たちの前に舞い降りた……かと思いきや、数メートル先にある木の茂みへ落ちていった。さては着地地点を間違えたわね?
そんなおっちょこちょいは木からぴょーんと飛び降りると、今度こそ私たちの目の前に着地した。そして取っ手の部分で弾みながら、私たちの周りをぐるぐると回っている。私の危機を察知して、駆けつけてくれたのね。
「あなたもありがとう。私はもう大丈夫よ」
私が礼を述べると、フライパンが赤く点滅した。
……あ、そうだ。ちょうどいいところに来てくれたわ!
「ねえ、これをどうにかできない?」
私は、荷台に突き刺さったドリルをペチペチと叩いた。一応妹として、シャルロッテの生死は確認しなければならない。
その旨を説明すると、フライパンは合点承知の助とばかりに頷き、赤い核を発光させた。直後、紅蓮の炎がドリルを包み込んだ。
ドリルがみるみるうちに小さくなっていく。そして最後には手のひらサイズにまで縮小し、真っ黒な炭となった。ど、どういう原理?
「まりょくをもやしたのって、とかげさんいってるの」
ネージュがフライパンの言葉を、翻訳してくれた。
魔法で作り出したものには、強い魔力を宿している。だからその魔力を燃やしてしまえば、物体も消滅させられるってわけね。何気にすごい能力じゃないの?
「あなた……卵焼きが作れるだけじゃなかったのね……」
私の言葉に、フライパンが「あたぼうよ」と言うように、ぴょいんっとジャンプした。そういえば、国王陛下の元相棒だものね。
「これで、中の様子を見ることが出来るわね……」
シャルロッテが原型を留めていない恐れもあるので、ネージュには少し離れてもらってから、内部を覗き込む。
「お姉様、生きていますかー……?」
やはり返事なし。というよりシャルロッテの姿そのものが見当たらない。
まさか木っ端微塵に? と一瞬グロい想像をしてしまったものの、モザイクが必要になるようなブツも確認できない。
「あ……っ!」
けれど、誰も乗っていないわけではない。ボロボロの荷台の隅っこで、二匹のハムちゃんを手の平に載せ、座り込んでいる人物を発見した。
いつの間にか空気と化していたオッサンAだった。
泣き疲れて寝てしまったネージュを背負い、えっちらおっちらと歩き続ける。休憩を挟みたいけれど、ちんたらしてたら日が暮れちゃうわ。すっかり私に懐いてしまった謎のハムちゃんも、肩の上でチューチューと激励してくれている。
足の感覚がなくなってきた頃、ようやく見慣れた建物が見えてきた。安堵で力が抜けそうになる。いかんいかん。ラストスパートよ、アンゼリカ。
屋敷の前には、使用人たちが集まっていた。
「奥様! それにネージュ様も……よくぞご無事でした」
アルセーヌは私たちを見るなり、へなへなと座り込んでしまった。他の使用人たちも、ほっと安堵の表情を浮かべている。
「皆、心配をかけてしまってごめんなさい。でも……ありがとう」
「いいえ、私たちは何もすることができませんでした。もしや、その精霊具が奥様をお救いになったのですか? 突然窓ガラスを破り、外へ飛んで行った時は何事かと思いましたが」
窓ガラスを破った……だと?
怒られる気配を察知したのか、私の真横でふよふよと浮いていたフライパンが、ネージュの後ろにさっと隠れた。
まあ、私を助けるためだったわけだしね。私はアルセーヌに視線を戻し、質問に答えた。
「それがよく分からないの。誰かが私を助けてくれたみたいなんだけど」
嘘はついていない。あのネージュが何者で、どうして私を助けてくれたのか。何も分からずじまいなのだ。
「そうでございますか……ところで、そちらの方々は?」
アルセーヌが怪訝そうに、私の背後へ目を向ける。
心苦しそうな表情で佇む中年が二人。胸ポケットにハムちゃんBとCを入れたオッサンAと、馬車を引いていた御者だ。ちなみに馬は、どこかに逃げ去ってしまった。まあナイトレイ伯爵領は自然豊かだから、野生でも何とか生きていけるでしょ。
「私を誘拐した方々よ。放置しておくわけにもいかなかったから、一緒に来てもらったの」
私の言葉に、使用人たちがにわかにざわつく。
「な、何ですと!? 直ちにその者たちを拘束しましょう!」
「待って、アルセーヌ。その必要はないわ!」
「ですが……」
「彼らは、マティス騎士団の生き残りなの」
私は屋敷までの道すがら、彼らから聞いた話を語った。




