36.ハムちゃん
ガタンゴトンと、不規則に揺れる車内で、私は膝を抱えていた。
シャルロッテに脅されて、屋敷の裏に停めてあった馬車の荷台に押し込められたものの、両手足を拘束されることはなかった。
その代わり、横にいるオッサンAにナイフを突き付けられている。
隙を見て荷台からアイキャンフライすることも考えたけれど、オッサンBとオッサンCが片隅で私に目を光らせているので多分無理。荷台全体に分厚い布が掛けられているので、大声を上げたところで外界に届くかは微妙だ。
そして、私の正面ではララ……の姿をしたシャルロッテが鼻歌を歌いながら、ハサミをチョキチョキと動かしている。あんたはサイコパス殺人鬼か。
「うふふ。まさかここまで上手くいくとは思わなかったわ。簡単過ぎて拍子抜けしちゃった」
「……本当にシャルロッテ姉様、ですわよね?」
半信半疑になりながら質問する。見た目だけなら、どこからどう見てもララだ。反乱に巻き込まれている間に、何があったのだろうか。
「やだわ。姉の声を忘れちゃったの? 薄情な妹ね。私は大変な目に遭ってたのに、どうせあんたは、あのイケメンな旦那とイチャついてたんでしょ?」
「はい?」
見当違いの恨み節を吐かれて、私は目を丸くした。
「そんな文句を言うためだけに、私を攫いましたの?」
動物並みに短絡的な姉なら、やりかねない。半ば呆れ気味に尋ねた途端、私の足元にハサミが突き刺さった。
「口の利き方に気を付けなさい。あの人にはあんたを生きたまま連れて来いって言われてるけど、抵抗するなら痛めつけてもいいって許可をもらってるんだから」
血走った目で凄まれ、身を縮めながら「モウシワケアリマセン」と答えるしかなかった。少しでも機嫌を損ねようものなら、今度は脚をグサッとやられるわ。
この口振りから察するに、首謀者がいるのだろう。姉はあくまで、実行犯にすぎない。
ここは慎重に、慎重に。シャルロッテを怒らせないように言葉を選ぶ。
「私を攫ってくるように頼まれるなんて、流石はお姉様。その方に信頼されてますのね」
とりあえずおだててみる。何が流石なのかは私にも分からないけど、おだててみる。ワンチャン釣られてくれないかしら、と祈りながら。
「そうでしょう? 彼は私の才能に気付いて、手を差し伸べてくれたの。顔だけが取り柄のレイオンとは大違いね、見る目があるわ」
シャルロッテは恍惚とした表情を浮かべながら、自分の体を抱き締めた。ちょっと、ララの姿で悦に浸るのやめてくんない!?
それはさておき、無事に一本釣りされてくれた。彼と言っているので首謀者は男。もしかしてシラーを敵視している貴族だろうか。
「そして私の隠されていた力を目覚めさせてくれたの。……ふふ、よーく見ておきなさい」
調子に乗ったシャルロッテは、オッサンBとCに視線を移した。彼らの表情が引き攣る。
「ま、待て! 何をするつもりだ!」
「俺たちは仲間だろう!」
「仲間ぁ? あんたたちはただのドブネズミよ」
シャルロッテが口角を上げ、赤いマニキュアが塗られた指先を男たちに向ける。その目が赤く光った。
「うわぁぁぁっ……!」
オッサンたちが荷台から飛び降りようとする。けれど次の瞬間、彼らの体は赤い光を帯び、パッと姿を消してしまった。
ううん、消えたわけじゃない。よく見ると彼らがいたところに、二匹のネズミが呆然と固まっていた。……ってネズミ!?
「うふふ……あははははっ! さっきのむさ苦しい見た目より、そっちの方がお似合いよ!」
シャルロッテのけたたましい笑い声が、薄暗い空間に響き渡る。確かに手の平サイズで、丸みのあるフォルムもハムスターっぽくてキュート……じゃなくて!
「い、今のは……魔法? 何でシャルロッテが?」
私は目の前の光景に混乱していた。魔法が使えるのは高位貴族だけじゃないの……!?
「呼び捨てにするんじゃないわよ! 芋虫に変えられたいの!?」
シャルロッテが恐ろしいことを言いながら、私を指差してきた。テンパってタメ口になったのは悪かったけど、芋虫は勘弁して。私が生まれ変わりたいのはシマエナガちゃんであって、うねうねと蠢く毛虫ではありません!
「チュウゥゥゥッ!」
視界の隅で何かがシャルロッテへ駆けていくのが見えた。
「はっ!? 何よこいつ、いつの間に……っ」
一匹のネズミがシャルロッテの顔面にダイブし、鼻に思い切りかぶり付く。「いったぁぁぁ!」と甲高い悲鳴が上がった。速報:オッサンネズミの逆襲! という赤いテロップが私の脳内に流れる。
ちょっと溜飲が下がったところで、はたと気付く。
あのネズミ、オッサンBとCじゃないわね。あの二匹なら隅っこで、身を寄せ合って震えてるし。
私が首を傾げている間にも、謎のネズミはシャルロッテの全身にガブガブ噛み付いている。
「このクソネズミ……っ! あんたから芋虫にしてあげる!」
シャルロッテがネズミに人差し指を向ける。
だけど、ネズミのほうが動きが速かった。シャルロッテが魔法を発動させる間もなく、その指先にガブリといった。
「ヂュウッ!」
「イヤアアアァッ!」
ララの外見をしているので、すこーしだけ心が痛くなってきた。
もう少しこう何というか、手心というか。だけど、あのバーサーカーハムちゃんをどうやって止めよう。
「しまっ……魔力のコントロールが……!」
突如シャルロッテの体が赤く光り出し、ララから本来の姿に戻っていった。そうか、自分の見た目も魔法で変えていたんだわ。……それじゃあ、本物のララはいったいどこへ?
「やってくれたわね……アンゼリカもろともぶっ潰してやるわ!」
シャルロッテの華奢な手には、鈍色のトンカチが握り締められた。今度はこっちがバーサーカーになりよった! ハムちゃんも慌ててこちらへ逃げてくる。
急いでハムちゃんを手の平に乗せ、外へ飛び出そうとする。だけどシャルロッテがぶんぶんトンカチを振り回してくるので、それを避けるのがやっとだ。
「そのネズミを寄越しなさい! ペシャンコにしてやる!」
「動物虐待反対ですわー!」
「私が手に入れるはずだったものを、あんたが全部奪ったのよ! 絶対に許さないわよ……! あんたは高貴な血を引いていないんだから! 私より劣ってなくちゃいけないのよ!!」
背後を振り向けば、姉が髪を振り乱しながら迫ってくる。よく美人は怒ると怖いと言われているけれど、そういう範疇を超えていた。
な、何とかして脱出しければ! 必死で頭を回転させながら、ひたすら攻撃を避け続ける。いや無理でしょ、これ。
「だ、誰か助けてぇぇぇっ!!」
そう叫んだと同時に、馬車が大きく揺れた。




