31.二つ目
よし、こんなものね。水差しいっぱいにスポドリもどきを作り、症状の重い使用人の部屋を回っていく。
「ア、アンゼリカ奥様!? 何をなさっているのですか?」
「体にいい飲み物を作ったわよ。さあ、どうぞ」
突然私が部屋にやって来て困惑するメイドのグラスに、スポドリもどきを注ぐ。
「一気に飲まないで、少しずつね」
「は、はい。……まあ。不思議なお味ですね。でも飲みやすい……」
目をぱちくりさせながら、メイドはちびちびと飲み進めていた。まだ吐き気はあるが、熱はそんなに高くないらしい。脱水症状にさえ気を付ければ、大丈夫だと思う。
「また後で来るからね」
「はい。……ありがとうございます、奥様」
他の皆も初めての味に戸惑いつつ、ちゃんと飲んでくれた。これで体調が少しでもよくなればいいのだけれど。
私もちょっと休憩しようかな。厨房に戻ると、何やら甘い匂いが漂っている。
「アルセヌおじちゃんが、『ぱんけぇき』やいてくれたの!」
「あら。ありがとう、アルセーヌ!」
白い皿の上には、狐色に焼き上がったパンケーキが鎮座していた。いつも料理人が焼いてくれるものよりも少し分厚くて、私のよく知るホットケーキに見た目が似ているかも。
上にバターと蜂蜜をたっぷりかけて、ぱくっと頬張る。
「うーん! とっても美味しいわ!」
「そう仰っていただけて恐縮でございます」
アルセーヌが少し照れた様子で頭を下げる。はぁぁ~、疲れた体に甘いものが染み渡るわ。
「奥様がお食事を作ってくださって、大変助かりました。皆、喜んでおりましたよ」
「そんな、お礼を言われることじゃないわよ」
「ところでララから聞きしましたが、塩と砂糖を混ぜたお飲み物をお作りになったそうで」
「ええ。脱水症状の時に飲むと、効果があるらしいの。今さっき、あれで配ってきたんだけど……」
私は水差しを指差そうとして、動きを止めた。
おかしい。結構な人数にスポドリもどきを分け与えてきたはずなのに、中身が全然減っていない。
ララが継ぎ足してくれた? と思ったけれど、塩と砂糖の詳しい分量は教えていないのよね。
私が覚えていないだけで、追加分を作ったのかしら。
「……、アルセーヌも味見してみる?」
「よろしいのですか?」
「いいわよ。こんなにたくさんあるんだし」
そう言いながらグラスにスポもどきを注いでいく。ありゃ、ちょっと入れすぎちゃったかな……
「んなっ!?」
その時、アルセーヌが突然奇声を上げた。片眼鏡をカチャカチャ上下に動かしながら、水差しを凝視している。
「ど、どうしたの?」
「今、水差しの中身が……増えたような……」
はい!? 慌てて確認してみると、確かにグラスに注ぐ前と量が変わっていない……?
するとララが他の水差しを持ってきて、その中へスポもどきを移し始めた。流石、行動が早い。
ところが。
「へ、減らない……?」
ララが用意した水差しは満タンになろうとしているのに、こちらの水差しはまったく量が変わらない。重さもずっと一定を保っている。
そしてよく観察してみると、蓋に埋め込まれている青い宝石が、ぼんやりと光っていた。
ま、ま、まさかこれは……!
「間違いありません、奥様。この水差しは……精霊具ばいっっ!!」
「ばい!?」
アルセーヌの唐突な方言に驚かされ、私はうっかり水差しを手放してしまった。
「しまっ……」
割れる! と思った瞬間、ネージュが「にんぎょさんっ」と弾んだ声で言ったのが聞こえた。
水差しが青い光に包まれ、ふわりと浮き上がる。そして何事もなかったかのように、私の腕の中に戻ってきた。
「ウワァァァァァ!!」
厨房に私たちの悲鳴が響き渡った。
(アルセーヌ視点)
……はっ! 驚愕のあまり、つい素の口調が出てしまった。これはいけません。
しかし、大変なことが起こってしまいました。まさか、このような形で精霊具を見付けるとは。
「どうしよう、アルセーヌ。鑑定団に応募したほうがいいのかしら!?」
「落ち着いてください、奥様!」
パニックを起こしているのか、奥様がよく分からないことをお尋ねになる。鑑定士に見せるのは分かりますが、応募とはどういうことですか。
「これはすごいことですよ! このお水がいつでも飲めるようになります!」
ララが目を輝かせて言う。ああ、彼女ほど物事を軽く考えることが出来たら、どれだけ楽でしょう。
エクラタン王国で数点ほどしか発見されていない精霊具。精霊の祝福を授かった奇跡の秘宝を、この短期間のうちに二個も発見されたのです。
しかも、どちらもナイトレイ伯爵領で。
このことが周知されれば、国内外に激震が走るのは間違いない。
「おみず、いっぱいのめるねー」
「そ、そうね。だけど、どうせだったら普通の水にして欲しかったわ……」
奥様が微妙そうな反応をなさっていると、水差しが再び青く光りました。
そして勝手に蓋が開き、中から噴き上がった水が奥様のお顔に命中します。
「ぶっは! ……あ、しょっぱくない! ただの水に変わってるー!?」
な、何と水質まで変化させることが出来るとは!
「すごい、すごいわ! これでペットボトル要らずよ!」
奥様の仰る『ペットボトル』が何のことかは存じませんが、これはとんでもない発見です。
無限に水が生み出せる。王家や公爵家で保管されている精霊具に比べると、一見地味な能力かもしれません。
しかし実際は、それらよりも遙かに汎用性が高い。
「奥様もすごいです! 二つ目の精霊具を見付けてしまうなんて奇跡ですよ!」
ハンカチで奥様のお顔を拭きながら、ララが興奮気味に豪語します。ええ、この状況そのものが奇跡のようなもの。
にわかには信じがたいですが、現実に起こったことなのです。
「私じゃなくて、この水差しを買った誰かだと思うんだけど……」
ララの迫力に気圧され、奥様が訝しげに仰います。
ですが、この時私は、ある可能性を考えておりました。
それは──
「私たちにも何かお手伝い出来ることはございませんか?」
そう言いながら厨房にやって来たのは、寝込んでいたはずの使用人たちでした。顔を真っ赤にして、苦しそうに臥せっていたというのに。
「あ、あなたたち大丈夫なの?」
「はい! 先ほど奥様からいただいたお水を飲んだら、みるみるうちに体調がよくなったのです」
恐る恐る尋ねる奥様に、メイドがはきはきとした口調で答える。
ですが奥様曰く、あのお飲み物はあくまで脱水症状を改善させるもの。熱を下げる効果までは……
「あれ? 皆さん、爪が元に戻ってますよ!」
彼らの爪を見たララが、目を丸くして叫びました。
そ、そんなバカな! 雨爪病がたった一日で完治した!?
思わず奥様へ視線を向けると、「私、そんなの知らないわよ!?」と言いたげに、首を横に振られました。
もしや、これも精霊具の力!?
情報量が多すぎて、おいはもう限界ばい……!!




