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29.悪魔の雨

「済まないが、暫く屋敷を空けることになる。アルセーヌ、後のことは……」

「はい。私にお任せください」


 険しい表情のシラーに、アルセーヌがにこやかに会釈する。

 国内全域に謎の雨が降り始めてから、もう十日が経とうとしていた。雨の勢いが弱まり出して「そろそろ止むかな?」と思いきや、再び強さを取り戻す。それを延々と繰り返している。

 しかし、これだけ雨が続いているのだが、意外にも作物には大きな被害が出ていない。

 エクラタン王国は、精霊の加護を授かっている。こんな悪天の中でも植物がピンピンしているのは、木の精霊が守ってくれているおかげだという。

 だが、水害に関してはどうにもならない。水の精霊は干ばつの時には頼りになるが、大雨にはてんで役に立たないらしい。というのも、自分たちの領域が増えるということで、彼らにとっては大歓迎なのだとか。

 その辺りは、人間たちで対処するしかないのだ。

 ナイトレイ領でも氾濫寸前の川があるらしく、いくつかの地域では避難勧告が発令されている。

 残夜騎士団も各地に派遣され、被害状況の確認や避難所の開設に当たっている。シラーも現場の指揮を取るため、兵舎に出向くという。


「旦那様、どうかお気を付けて」

「……君も何かあったら、すぐにネージュを連れて避難するように」

「ええ。分かっていますわ」


 シラーの言葉に、私は神妙な面持ちで頷いた。

 幸いなことに伯爵邸は、川辺から離れた場所に立地されている。それに加えて地盤も硬いとのことなので、何らかの災害に見舞われることはない……と思いたい。

 だけど、いざという時のために、避難グッズは用意しておこう。携帯食、マッチ、蝋燭、防寒具……


「奥様、物置を漁ってみたらたくさんありましたよ!」


 ララが調達してきたのは、小型の笛。元は騎士団の備品であるのだが、その一部をうちで保管しているらしい。


「それ、なぁに?」


 ネージュは初めて見る笛に興味津々だった。


「これは笛って言うのよ。こうして息をふーっと吐くと、音が出るの」

「うん!」


 説明しながら笛を渡してみると、ネージュは早速勢いよく息を吹き込んだ。


 ビィィィィッッ!!


「わっ。ほんとだーっ! すごいの!」

「そ、そうね……でも音が大きいから、普段は吹いちゃダメよ」


 防犯ブザー並みの声量でビビったわ! だけど、小さい子供でもこれだけの音が出せるのはありがたい。


「ですが、よく笛を用意するなんて思い付きましたね」


 そう感心しながら、ララはリュックサックに荷物を詰め込んでいく。


「昔観た映画のラストシーンで、ヒロインがこれを使って救助を呼んでいたの」

「エーガ?」

「あ、ええっと……エーガって舞台を観たことがあったのよ」


 あっぶねぇ。ちなみに映画とは、豪華客船が氷塊に激突して大破するアレです。

 冷たい海に投げ出されたヒロインはホイッスルで自分の居場所を知らせ、救助された。あのシーンで、私は笛の利便性に気付いたのだ。


「ふう……少し休憩しましょうか」

「それでは、紅茶とお菓子をご用意しますね」


 ララがパタパタと厨房へ向かう。その間、他には避難グッズで何が必要なのか、脳内でリストアップしていた。

 救急セットは必須。だが、何よりも欲しいのは、


「水……」


 私は、空になっていたガラスの水差しを力強く抱き締めた。

 エクラタン王国は、他国に比べると文明レベルが高い。その証左の一つが紙。

 この国の紙は、木材ではなく多年草の花びらから精製されている。そのため、平民でも容易に入手出来る。

 しかし、流石に現代で流通している物までは存在しない。例えばペットボトル。

 あれがあれば、どこにでも水を持ち歩けるんだけどな。水筒だと、重さがあるので持ち運ぶには少々不便だし。


「おみずほしいの? ララにおねがいする?」

「ううん。大丈夫よ、ネージュ……」


 こんな小さな子が「おみずほしいの……」と言う姿を想像して、胸が痛んだ。何かいい方法はないだろうか。


「…………ん?」


 今、一瞬水差しが青く光ったような。疲れてもいないのに、幻覚か?


「にんぎょさんっ」

「え?」

「にんぎょさん、かわいいの!」


 ネージュが私を指差して、楽しそうにはしゃいでいる。

 水差しを持っている私が、人魚に見えてるのかしら。人魚姫の絵本で、こういうイラストの表紙があったし。可愛いだなんて、照れてしまうぜ……!

 頬を赤らめていると、ドンドンと部屋の扉が慌ただしくノックされた。


「ララ? どうし……」

「このままお話を聞いてください」


 扉を開けようとすると、何故かララに制止された。


「大変です、奥様。使用人が次々と体調を崩しています!」

「ど、どういうこと!?」

「半数以上が高熱を出して、ぐったりしているのです」

「熱を出して……?」


 何かの感染症? そこで、ララが扉を開けさせなかった理由に気付いた。急いでリュックサックからマスクを取り出し、ネージュに着けさせる。

 私がよく知るような布製ではなく、ガスマスクのように口元が筒状になっている。こんなので防げるのか疑問だが、何もしないよりはマシだろう。


「んむむ」

「ごめんね、ネージュ。ちょっと苦しいかも知れないけど、着けててちょうだい」

「ん……がまんするっ!」


 私もマスクを装着してから、扉を少しだけ開けた。


「ララも早く」


 ララは無言で頷いて、マスクを受け取って口元を覆い隠した。


「ありがとうございます、奥様。ですが、どうして突然……」

「さあ……そうだわ、一応換気もしておきましょう」


 ネージュを毛布で包んでから、窓を開けようとした時だった。


「奥様、窓を開けてはなりませんっ」


 アルセーヌが慌ただしく部屋に飛び込んで来た。


「恐らく使用人たちを襲ったのは、『悪魔の雨』でございます!」


 何じゃそりゃ。唐突に中二病ワードをお出しされて困惑していると、アルセーヌが自分の指を見せ付けてきた。今度は何!?


「爪をお見せください。ネージュ様とララもお願いします」

「ど、どうぞ」


 言われるがまま、アルセーヌに手を差し出す。三人とも、健康的なピンク色をしている。ちなみに、アルセーヌも普通の爪だった。


「よかった。奥様たちはご無事のようですね」


 アルセーヌが安堵の溜め息をつく。そこでララが何かを思い出したように、「あ」と声を漏らした。


「そういえば、倒れた人たちは爪が真っ黒になっていました」

「『雨爪病』の症状の一つです。発病した者は、爪が黒く変色するのです」


 ちょいとお待ち。私たちにも分かるように、一から説明なさいな。


「そもそも、悪魔の雨って何なの?」

「このエクラタン王国にだけ降るとされる、疫病をもたらす雨のことです」

「そんな激ヤバな雨なんて、聞いたことないわよ!?」

「奥様がご存じないのも無理はありません。『悪魔の雨』が降る頻度は数十年に一度です。最後に降ったのも、今から五十三年前でした」

「全っ然嬉しくないレアイベントね……」

「そして悪魔の雨を浴びた者は、()爪病(そうびょう)と呼ばれる病に罹患(りかん)します。この雨爪病というのは、胃腸炎にとてもよく似ていて高熱、嘔吐、下痢などの症状に苦しめられ──」

「…………」

「大体三日ほどで完治いたします」


 あ、普通に治るんですね。



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