28.忍び寄る厄災
ふかふかのベッドで一晩眠ると、疲労はすっかり回復した。ぼやけていた頭もすっきりしている。
朝食は、泊まっていた客室でいただいた。本当は陛下とご一緒する予定だったが、「妻が緊張しますので」とシラーがやんわりと断ってくれたらしい。
早朝の離宮は、しんと静まり返っていた。しかし居心地が悪くなるような重苦しい雰囲気ではなく、むしろ神聖な空気が漂っているように感じる。
朝日の差し込む長い廊下を歩いて外に出ると、既に馬車が待機していた。
さて、精霊具は陛下にお譲りする事になっていたのだが。
「こやつは、そなたが面倒を見てくれんかのぅ」
見送りに来た陛下にお返しされてしまった。
「よ、よろしいのですか!?」
「孫が二人出来たらしくての。老い先短いワシより、その者たちに寄り添っていたいそうじゃ。ま、ワシもこやつの立場だったら、そうするわい」
陛下がほっほっほと朗らかに笑う。なんちゅう反応に困るギャグを。近衛兵の頬が引き攣っている。
だけど、孫って誰のことだろう? 私のことじゃなさそうだし……もしかして野良精霊と仲良くなったのかしら。
「申し訳ございません、陛下。その精霊具は、王城で保管していただけませんか?」
シラーが待ったをかける。
「その精霊具は妻以外の人間が触れると火傷をさせ、金庫に入れると爆発を起こしました。そのようなものを屋敷に置いておくわけにはいきません」
そうだった! 陛下との思い出話でほっこりしていたけど、とんでもない危険物でしたわ。
「何じゃ、お主。そんな悪い精霊になってしもうたのか?」
陛下が呆れたような口調で、盟友に問いかける。すると、フライパンの光がものすごいスピードで点滅した。
「ふむ……おお、そうじゃったのぅ。ナイトレイ伯爵よ、この精霊は人見知りなんじゃ」
「はい?」
人見知り?
「アンゼリカ夫人以外には、触れられるのも怖いらしくてのぅ」
「私の侍女は普通に触れていましたわよ?」
「そなたの世話係だと、素直なほうの孫に教えてもらったそうじゃ」
素直なほうの孫。ということは、素直じゃないほうの孫もいるってことかしら。
「そして、金庫の件なんじゃが……こやつ、暗くて狭いところが苦手なようでのぅ」
「それは閉所恐怖症ということでしょうか?」
シラーが訝しそうに尋ねる。
「問答無用で金庫に閉じ込められて、ついカッとなってしまったらしい。バッグに入っていた時は傍に夫人がいたので耐えられたそうじゃが……こやつも反省しておるから、今回だけは大目に見てくれんか?」
「……はい」
こうして精霊具の所有権は、正式にナイトレイ伯爵家のものとなった。と言っても、引き続き私の部屋で保管する形になると思う。
「その代わり、夫人に一つだけ頼みがあるのじゃ。そのフライパンで、また卵焼きを作ってくれんか?」
「は、はい。承りましたわ」
これは……次の機会が訪れる前に、腕を磨いておかねば。
陛下にご挨拶をして、馬車に乗り込む。陛下に向かってフライパンを軽く振ると、にこやかに手を振り返してくださった。
馬車が緩やかに走り出す。心地よい振動に揺られてうたた寝しそうになっていると、ぽつ、ぽつと窓に水滴がつき始めた。
「あら、雨ですわね。さっきまであんなに晴れていたのに……」
「……そうだな」
シラーがやけに怖い顔で窓の外を睨み付けている。
「大丈夫ですわよ。このくらいでしたら、馬車が止まることもありませんわ」
「…………」
「旦那様?」
私がいくら話しかけても、シラーはずっと何かを考え込んでいる様子だった。この時、彼はこれから起こる事態を予見していたのかもしれない。
雨脚は次第に激しさを増していき、外からは荒々しい水音が聞こえてくる。私は、無意識に胸元で輝く宝石を握り締めていた。
(シャルロッテ視点)
あの忌まわしい夜会から一週間が経つ。
警察へ連行されたはずのレイオン(バカ)は、現在自室に閉じ込められている。
「どうして俺を閉じ込めておくんだ! 出せ! 息子にこんなことをしてもいいのか!?」
部屋の前を通りかかると、怒号が聞こえてきた。見張りの使用人が眉を顰めている。
あんたの両親がお金を払ったおかげで、屋敷に戻れたっていうのに……そんなことも理解出来ないのかしら。
レイオンは、横領事件に関与していることを認めた。というより、首謀者だった。
あのバカは自由に使えるお金を手に入れるために、警察の一部と手を組んで事件を起こしたらしい。
マティス騎士団始まって以来の不祥事ということで、この事件は連日新聞に取り上げられている。
で、私のことまで悪く書かれている。『奪った金で豪遊三昧』? 『汚れた金で着飾った婚約者』?
あのバカ……どうしてもっと上手くやらなかったのよ!!
実のところ、私もレイオンにきな臭さを感じてはいた。
いくら騎士団長でも、ドレスやアクセサリーを大量に買うお金をぽんと出せるわけがないもの。
だけど、流石に横領事件の犯人だとは思わなかった。
「だけど、もっと有り得ないのは……!」
アンゼリカ。私より何もかもが劣っているはずの妹。
なのに旦那があんなに美形で、しかも国王とも親しそうだった。
地位も見た目も完璧な旦那を持ち、国王からも一目置かれる存在になるのは、この私のはずなのにっ!!
「……ん?」
廊下の向こうで、誰かがこっちをじっと見ている。
あれは……ああ、レイオンの弟ね。私が近付いていくと、ビクッと体を震わせた。その反応にイラつく。
「何よ。何か文句があるわけ?」
「あ、あの……にいさんが、ごめんなさい……」
「ほんっとうにね! あいつのせいで、私の人生滅茶苦茶だわっ!」
側に飾っていた花瓶を投げ付けると、弟は「ひっ」とどこかへ走り去って行った。謝って済む問題じゃないのよ!!
「はぁ……」
溜め息をつきながら窓の外へ視線を向けると、暗い空から雨が降っていた。
降り続くことかれこれ一週間、いまだに止む気配がない。どこかの川が氾濫したって使用人が話しているのを聞いたけど、そんなのどうでもいいわ。
こんな国、ぐちゃぐちゃになってしまえばいいのよ。そうすれば、何もかも水に流すことが出来るんだから……。




