27.赤き盟友
「あ、頭をお上げください、陛下! 私は偶然そちらの精霊具を発見しただけですわ!」
「ふふ、そのように謙遜せずともよい」
そんなことを仰られましても。アワアワしている私を見兼ねて、叔父様が私たちの会話に加わる。
「陛下。もしやその精霊具に宿る精霊は、六十年前の……」
「うむ。ナイトレイ領を襲った魔物の集団凶暴化。当時は、ワシもまだ血の気の多い若造でのぅ。騎士団の被害状況を聞き、居ても立っても居られず単身で戦地に向かったのじゃ」
集団凶暴化……恐らく、シラーのお祖父様が亡くなった出来事のことだ。
「その際、宝物庫に保管されていた精霊具『紅蓮の大斧』を持ち出したんじゃが、それに封じ込められていた精霊がこやつじゃった」
陛下はこん、とフライパンを手の甲で軽く叩いた。
「こやつはワシの想いに応えて、数多くの魔物を焼き尽くした……が、最後には壊れてしもうた。その際、『戦うのはやはり疲れる。どうせなら、平和なことに力を使いたい』とぼやきおってのぅ。だからワシはこう言ったんじゃよ。『火なら料理の手伝いなんてどうだろうか』と」
フライパンが光を点滅させる。その様子は、何だか「そんなこともあったね」と頷いているようだった。
「フライパンの精霊具……まさかとは思ったが、人間長生きするものじゃのぅ……」
昔話を語り終えた陛下の目には、光るものが浮かんでいた。
「これが例の卵焼きか……」
陛下のズッ友の力を借り、見事作り上げた卵焼きを皿に盛り付けると、一同の視線が一点に集まった。
「オムレツやスクランブルエッグと違い、小さく纏まっておるのぅ。まるでミルクレープのような層も美しい」
陛下は何の変哲もない卵焼きをそう評価し、ナイフで食べやすい大きさにカットして口へ運んだ。
静まり返る厨房の中で、私はひたすら祈り続けていた。塩と砂糖の量を間違えたとか、卵の殻を入れちゃったとか、凡ミスをやらかしていませんように……!
「ふむ、ふむふむ。シンプルな味付けだが、卵そのものの味がしっかりと感じられる。これは美味じゃ」
「星一つ半くらいはいただけますか……?」
緊張が頂点に達して、わけの分からない質問をしてしまった。
「星? 一つ半と言わずに、百つくらい授けてやろう」
「あ、ありがとうございます!」
流石、陛下。太っ腹!
「ほれ、お主たちも食すとよい」
「ではお言葉に甘えまして、私どもも頂戴いたします」
カトリーヌや叔父様、近衛兵たちも卵焼きを実食する。
「……悪くない」と険しい表情のカトリーヌ。
「これは美味しいね。お菓子を食べているようだ」とニコニコ笑う叔父様。
「私はミルクやクリームの風味が苦手なので、卵料理は好まないのですが……これなら美味しくいただけます」と嬉しそうな近衛兵もいる。
こうして卵焼きは、あっという間に皿の上から消えてしまった。
「あら? 旦那様、まだ召し上がっていないんじゃ……」
「僕はいいよ。それに、陛下にご満足いただけてよかった」
「ええ。そうですわね……」
緊張の糸が切れたせいか、足から力が抜けていく。ガクンとその場にへたり込みそうになる私を、シラーが支える。
「大丈夫か?」
「すみません、旦那様」
私の様子を見た陛下が「今宵は、こちらでゆっくりしていくとよい。部屋を用意しよう」と声をかけてくれた。
王族の離宮に泊まるの? まさかの提案にぎょっとしている私に、シラーがすかさず言う。
「馬車に乗っている間に体調を崩されると、色々と面倒だ。ここは、陛下のご厚意に甘えよう」
「……分かりましたわ」
力なく頷くと、今までに感じたことのないような浮遊感が襲った。シラーに抱き上げられているのだ。
「だ、旦那様っ!? 一人で歩けますわよ!?」
「そんなにふらついた体では、歩くのもやっとだろう。僕が君を運ぶほうが安全かつ効率的だ」
そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。仕方がないので、大人しく運搬されることにしよう。
ひとまず医務室で待機するようにと陛下に言われ、シラーは私を抱えたまま部屋を出た。しかし、その足がピタリと止まる。
「旦那様?」
赤い瞳が一点を睨み付けている。目で視線を追いかけると、誰かが廊下の向こうへ走り去っていくのが見えた。
壁のキャンドルが、その人物の後ろ姿をぼんやりと照らす。あれは……シャルロッテ?
医務室では、王族お抱えの医者が暇そうに本を読んでいた。が、私がやって来て、心なしか嬉しそうに
「どうなさいました?」と尋ねる。
「少し疲れてしまったらしい。本日は泊まらせていただくことになったが、部屋の手配を終えるまでの間、こちらで休ませてくれ」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
ソファに座らされ、果物の香りがする水を渡された。
「ふぅ……」
冷たいものを飲んだおかげで、気だるさが少しマシになった。息をついたところで、隣を陣取っている男に視線を向ける。
「……皆様のところに戻ってもいいですわよ」
「陛下のお相手は、姉上と叔父上だけで十分だろ。僕も疲れたから、暫くここで休む」
後でカトリーヌ様に叱られても知らないぞ。珍しく子供っぽいことを言う夫に肩を竦めてから、私はソファーから立ち上がった。そして、シラーの正面に立つ。
「旦那様。私の無実を証明してくださり、ありがとうございました」
深々と頭を下げて顔を上げると、シラーはそっぽを向きながら口元を手で覆っていた。
「……別に、君のためにやったわけじゃないさ。マティス騎士団の権威を失墜させれば、残夜騎士団の立場が強くなる。それを狙っただけだ」
「それでも、ありがとうございます。私を信じてくださって」
再び感謝の気持ちを述べると、シラーは「分かった。分かったから座っていてくれ」と急かすように言う。表情はよく分からないが、耳は真っ赤に染まっていた。
本気で照れている様子が何だか可愛くて、私は少し笑ってしまう。
あれ、シラーに何か聞きたいことがあったのに、忘れちゃったな。まあ、いいか。
※その頃のカトリーヌ
「ふーむ。ナイトレイ伯爵、戻って来ないのぅ。久しぶりにチェスの手合わせを願いたかったのじゃが」
「弟なら医務室に留まっているかと。連れ戻して参りましょうか?」
「それには及ばん。……そうじゃ、プレアディス公爵。お主がワシの相手をしてくれんか?」
「私……ですか?」
「チェスにおいても、不敗の女王と謳われるお主の腕前をとくと拝見したい」
「かしこまりました」
陛下とチェスとか勘弁してホシーヌ!! 弟よ、アンゼリカといちゃついてないでさっさと戻って来い!!




