かとりーぬのきもち(カトリーヌ視点)
遡ること数時間前。
「では、実家に行ってくる。屋敷のことは頼んだぞ」
「はい。お気を付けて、母上」
ペコリと頭を下げる息子。
「時にメテオール」
「はい」
「お前はついて来ないのか? 随分とアンゼリカに懐いていたようだが」
「これから勉強の時間なので我慢します」
淡々とした口調で答える息子。
「そうか。その調子で勉学に励むように」
嘘嘘! こんな時ぐらい「僕も行きたいです」って我が儘言ってくれ!! そしたら、喜んで一緒に連れてくよ?
これから、また義理の妹に会いに行くんだぞ? こちとら緊張して、昨日は一睡もしてないんだぞ!?
愛情表現が下手くそ過ぎる弟が、新しい再婚相手を見付けた。しかも貧乏男爵家の次女だという。
金が関係しているな、とすぐに察した。
悪食伯爵という蔑称を付けられた弟の素顔を知る者は少ない。王都付近ならともかく、辺境の地の領主だ。ナイトレイ領を出る機会が少ないせいもある。
巷ではガマガエル呼ばわりされている弟に、好き好んで嫁ぐなど正気ではない。
大方、金に目が眩んだ両親に売られたのだろう。それについては非難しない。貴族社会はそんなものだ。
だが、報せが届いてもこちらから挨拶には行かなかったし、向こうからの申し出も断った。
だって新しい義妹だ。緊張するに決まっている。
前妻のジョアンナはめっちゃ怖かった。
結婚直後は、ぶりっ子の気はあっても普通の子だと思っていたんだけどな。『あの件』が発覚してから、情緒不安定になってしまった。それからというもの、顔を合わせれば意味もなく睨まれる。つり目の美人だったから、なおさら怖かった。
それが原因で、完全に義妹恐怖症になってしまったのだ。そんなわけでアンゼリカと会うのを避けてきたというのに。
しかし、そういうわけにもいかなくなった。抜き打ちの合同演習を実施しなければならないからだ。
シラーは後妻を同行させるだろう。否が応でも、顔を合わせることになる。
腹を括れ、ビビリーヌ。
合同演習の通告をするために、実家に帰ってきた。使用人には「書状をお出しになればいいのでは?」と提案されたが、ちらっと後妻を見ておきたかった。
アンゼリカだったか。応接室から抜け出して、屋敷内を捜索する。
ばったり出くわしたら、心臓が止まる。戦場にいるような気分で廊下を歩いていると、ある部屋から子供の笑い声が聞こえてきた。
「あのね、おえかきできたよ!」
室内をこっそり窺うと、姪がクレヨンを握り締めてはしゃいでいた。
よかった。一時期は塞ぎ込んでいたが、笑顔を取り戻せたようだ。
ほっとしたのも束の間、ネージュの傍らに見知らぬ人物がいることに気付く。
透けるような銀髪に、長い睫毛に縁取られたエメラルドグリーンの瞳。
すごく可愛いのだが?
しかもネージュが「おかあさま」って呼んでるってことは……あの子がアンゼリカ?
男爵家と言っても、あの見た目じゃ引く手数多だったろうに。弟よ、お前はどんな手を使ってあの美少女を娶ったのだ。
まずい。あんな可愛い子と目を合わせてお話とか絶対に無理だ。やはり今回の合同演習は見送りに……いや、仕事に私情を挟むのはいかん。
とりあえず、一旦引き返そう。だが激しく狼狽していた私は、真逆の行動を取った。扉を大きく開き、口を開く。
「そなたがアンゼリカか?」
アンゼリカとお付きの侍女が怯えた表情でこちらを見ている。終わった……。
さて、そんな最悪な形で出会いを果たしたわけだが、アンゼリカは見た目通り天使のような子だった。軍事演習など行きたくないだろうに、ノリノリだった。
そして、とにかくモテる。上司の新妻に魅了される兵士たちを見て、少し不安になった。今度ハニトラ対策の訓練もしとこ。
軍属の人々にも優しく接し、メテオールの面倒も見てくれた。あんなにいい子だから、神様がご褒美で精霊具を授けたのだと思う。
そして私は思ったわけだ。
うちの弟には勿体なくない? と。あいつ、ちゃんとアンゼリカを大切にしてるのかな。泣かせたりしてないかな。考えれば考えるほど不安になり、彼女の本心を聞くことにした。
ああ、めっちゃドキドキしてきた。「夫婦の問題に口出しするな」って言われたら泣いてしまう。
そして、現在に至る。
「シラーと添い遂げる覚悟はあるのか?」という意味で聞くと、答えはノーだった。そうだよね。結婚したばかりで、まだ迷いがあるよね。
「ククク……すまん。後で修繕費は出す」
やっべ。緊張しすぎて、火柱ぶち上げちゃった。紅茶を淹れてくれたメイドが応接室から逃げ出した。
アンゼリカも逃げ……あれ、座ってる? しかも、すごいニコニコしてる。
「ふふふ。どうかお気になさらないでください」
で、でも、頬が引き攣っている。愛想笑いだ、これ!
天井を燃やしたから、すごく怒ってる!!
「アンゼリカ……」
もっと誠意を込めて謝ろうとした時、ララという侍女が焼き菓子を運んできた。恐らく先ほどのメイドと交代したのだろう。
「どうぞ。奥様が焼いたパウンドケーキでございます」
「……ふむ?」
スライスされたケーキ生地に、レーズンが練り込まれている。プティングを食べた時も感動ものだったが、お菓子が作れるなんて、私の義妹すごすぎだろ。
一口サイズに切り分け、私はケーキを口に運んだ。
口の中にふわりと、上品な酒の香りが広がる。レーズンとはこんなに甘かっただろうか。ケーキ自体もしっとりしていて、素朴な甘みがある。
これは……オイシーヌッ!!
「先日、カトリーヌ様からいただいたラム酒にレーズンを漬けてみましたの」
「なるほど。確かにこの香りは……」
「……カトリーヌ様のお口に合えばよろしいのですけれど」
アンゼリカが身を乗り出して、私に問いかけてきた。
ヤバいヤバい。笑顔だけど目が笑ってない!
美味しいって答えないと、「お前もラム酒に漬けてやろうか」って脅されている……?
「うむ、中々だった。次も頼むぞ」
うわぁぁぁぁ~~っ! 次を催促してどうすんだ!!
「分かりましたわ。いつでもお越しくださいませ」
アンゼリカのフォークを持つ手は、怒りからか、小刻みに震えていた。
結局、天井を燃やしてお菓子を食べただけで終わってしまった。アンゼリカも最後まで、笑顔が怖かった。でも義理とは言え、姉妹になるんだし仲良くなりてぇよ……。
そういえば精霊具がどうなったのか気になる。シラーに聞いてみるか。私は帰る前に、執務室へ立ち寄ることにした。
「旦那様は外出しております。明日まで戻られません」
扉をノックしようとすると、側を通りかかったアルセーヌにそう教えられた。
「随分と遠出だな」
「王都でございます。本日はあちらにお泊まりになると、仰っておいででした」
「精霊具のことで何かあったのか?」
私の問いに執事は「いいえ」と首を横に振る。そして、簡潔に外出の理由を語った。
予想だにしなかった内容に、私は眉をひそめる。
「……その話、詳しく聞かせろ」
「かしこまりました」
渋られると予想していたが、アルセーヌは存外あっさりと頷いた。むしろ、この展開を望んでいたようにも見える。
シラーに指示を受けていたのだろうか。面倒ごとに巻き込まれる予感がした。