17.義姉が……来る!
「君。どうしたんだ、その顔」
「なかなか寝付けなかっただけですわよ」
翌日、怪訝そうな声で聞かれた私は、棘のある口調で答えた。
半分は嘘で、半分は本当のことである。
あの後私は、シラーを必死で起こそうとした。けれど、夢の世界に旅立った酔っ払いを呼び戻すのは至難の業。
起こすことを諦め、時間をかけて何とかシラーの腕の中から脱出した。
で、自分のベッドに潜り込んだわけだが……眠れるわけがなかった。
美少年にプロポーズされて、美形の旦那に抱き締められて、キャパオーバーを起こしていた。心臓は忙しなく動き続け、目はギンギンに冴えている。
結局そのまま一睡も出来ず、朝日を拝む羽目になった。
欠伸を噛み殺しながら、朝食を食べる。
昨夜泥酔していたシラーは、ケロッとした様子で黒パンを口に運んでいた。二日酔いしない体質なのかしら。羨ましいような腹立たしいような。
「カトリーヌ様たちはご一緒ではありませんの?」
帰りの馬車は、残夜騎士団のものだった。
「二人は夜明けと同時に出発したよ。屋敷に戻って、今回の合同演習の報告書を作成するそうだ」
そういえば五時頃に、外から馬車の音が聞こえてたな。
「ああ、そうだ。姉上から預かっているものがあるんだ」
そう言ってシラーが荷物の中から取り出したのは、丸みのあるボトルだった。中を覗くと深い琥珀色の液体がちゃぷん、と揺れる。
「こちらは……ラム酒?」
「よく分からないが、昨日の礼だそうだ」
プリンのことだろうか。ラベルをよく見ると、最高級と謳われる銘柄だと気付いた。
「こ、こんな高価なもの、受け取れませんわ!」
「受け取ってやってくれ。君が断ったと知ったら、あの人引きこもるから」
引きこもる? あのクールな女傑が……?
「皆様、ただいま帰りましたわ!」
「おかあさまっ! おかえりなさーいっ!」
伯爵家の屋敷に帰って来ると、ネージュが満面の笑みで駆け寄ってきた。小さな体を抱き上げて、ぎゅーっと抱き締める。
「ただいま。ちゃんとお留守番出来た?」
「うん。あのね、みんながあそんでくれたのっ」
「偉いわ、ネージュ!」
ララだけではなく、使用人総出でネージュの遊び相手になってくれたらしい。ご飯も私が作り置きしたパンやスープを食べて、ぐっすり眠っていたとのこと。
だけど、やっぱり寂しかったでしょうね。今日は一日、ずーっと二人で遊びましょうね。
「おとうさまもおかえりなさい!」
少し離れたところで私たちを窺っていたシラーに、ネージュが元気よく手を振る。
その無邪気さに惹かれるように、シラーがはにかみながら近付いていく。私もネージュを下ろして、後ろに下がった。
しかしネージュは、私の背後にささっと隠れてしまった。
「……どうしたんだい?」
「おとうさま、へんなにおいなの……」
シラーの笑顔が凍り付く。馬車の中では窓を開けていたから分からなかったが、やはり酒の臭いが残っていたようだ。
「当分の間、お酒は控えたほうがいいですわよ」
「君に言われなくても分かっている」
私がアドバイスすると、シラーは拗ねたような口調で返した。
夕方になり、私とララは執務室に呼ばれた。「お待ちしておりました」とアルセーヌがお辞儀をする。
「……もう臭いはしないか?」
真剣な顔でシラーが私たちへ尋ねた。ネージュに嫌がられたのが、相当堪えたらしい。
「ええ。大丈夫ですわよ」
「では早速、精霊具についてだが……待て。君、フライパンはどうした?」
「あっ、部屋に置いてきちゃいましたわ!」
「たった一日で、扱いが雑になっていないか?」
「いくら軽いと言っても、邪魔なんですもの……」
私は目を泳がせながら、言い訳をした。するとアルセーヌの顔に不安の色が浮かぶ。
「ですが奥様のお手元になければ、危険でございます。お部屋にはネージュ様がいらっしゃるのでは……」
「それは心配ないと思いますわ」
あのフライパン、普通に放置しておく分には問題がなさそうなのだ。何となく、そんな気がする。ただしネージュが触らないように、クローゼットの上、衝撃で落ちないように奥の方に置いてきた。
「……あれに気に入られている君がそう言うんだ。信用しよう。それより、あの精霊具について、陛下に報告書を送らなければならない。君にも発見した時の状況を詳しく記してもらう。……文字は書けるな?」
「私が書きますの!?」
「当然。君は精霊具の第一発見者だ。場合によっては、登城する可能性もある」
「めんどく……コホン。承知いたしました。心に留めておきますわ」
やだやだ、書きたくないし行きたくないよ~~!! 心の中で駄々を捏ねまくりながら、頭を下げる。その横でララが何か呟いた気がするが、聞き取れなかった。
◆ ◆ ◆
その頃。一人部屋に取り残されたネージュは、目の前に聳え立つクローゼットをじっと見上げていた。大好きな母と侍女は「近付いちゃダメ」と言っていたが、どうしても気になるのだ。
だって誰かが、上からじっとネージュを見下ろしている。
その時、何かが赤く光った。そして音もなく、一枚のフライパンがネージュの元へゆっくりと降りてくる。しかしその途中で緑色の光の膜に弾かれ、ピタリと宙に留まった。
「……おにいさま? どうしておこってるの? あのね、とかげさんこわくないよ!」
ネージュは斜め後ろに向かって言うと、くるりとフライパンへ向き直った。
「わたしはネジュともーします。よろしくおねがいします、とかげさん!」ドレスの裾を摘まんで自己紹介すると、フライパンが頷くように前後に揺れる。
「あのひとはララ(?何か意味があるのならごめんなさい)だよ。とってもやさしいおねえさんなの! へんなめがねのひとはね……」
その後もネージュの語りは続き、暫くするとフライパンは何事もなかったかのように、クローゼットの上に戻った。
さて、カトリーヌからラム酒をいただいたはいいが、生憎私は飲兵衛ではない。前世で浴びるようにビールを飲み、翌日死ぬ思いをして以来、一滴も飲んでいないのだ。
とは言え、ボトルをずっと飾っておくのも何だか気が引ける。シラーも「僕はいらない」の一点張りだし。
ということで、お菓子作りに使うことにした。
カラッカラのレーズンをラム酒に漬けて一週間。ラムレーズンなるものを完成させた。
さらにこれを生地にたっぷり練り込んで、パウンドケーキを焼いてみた。
「何ですか、このお菓子!? すんごく美味しいですよ!?」
「ケーキ、あまくておいしいの。おかわり!」
味見をしたララが衝撃を受けている。ちなみにネージュには、ミックスベリーのパウンドケーキを焼いてあげた。
「これは大変ですよ奥様! 酒好きにはたまらない一品です!」
ララのテンションが高い。どうどう、と落ち着かせながら私は壁の時計を見た。
……そろそろ来る頃ね。
「これなら、プレアディス公爵様もお喜びになりますよ!」
拳を握り締めながらララが断言する。
本日はカトリーヌが伯爵家に訪問することになっていた。手紙には「改めてお礼が言いたい」と書いてあったが、とても律儀な人なのだと思う。
初めて会ったときの苦手意識は、すっかり消えていた。
そしてプレアディス公爵家の馬車が、屋敷の前に停車した。応接室の窓から、こっそりと覗いてみる。
馬車から降りたカトリーヌは、般若のような顔をしていた。
え……? 何かすごい怒ってる。
私何かやらかした?
必死に記憶を掘り返してみるが、マジで心当たりがない。狼狽えてオロオロしているうちに、カトリーヌが応接室にやって来た。
「アンゼリカ……覚悟は出来ているな……?」
地を這うような低音で、恐ろしいことを確認された。
覚悟って何の? 「今からお前をぶちのめすから、覚悟しとけ」ってこと!?
「まだ覚悟……完了していませんわ」
「そうか。決まったら、私に話せ」
「はい……あの、本日はわざわざお越しいただきありがとうございます」
「ああ」
会話が、続かない。どうしよう。とりあえず素数を数えて落ち着きましょう。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
必死に笑顔を取り繕う。メイドがティーカップに紅茶を注いで「どうぞ」と差し出すが、心なしか、その声は震えている。
「では、いただこう」
カトリーヌがティーカップの取っ手を指で摘まんだ瞬間、室内が明るくなった。カップから火柱が上がったのだ。天井が少し焦げ、中の紅茶は蒸発していた。
「ククク……すまん。後で修繕費は出す」
ニヤァ……とカトリーヌが口角を吊り上げる。ルビーレッドの目は笑っていない。
う、うわぁぁぁぁぁ~~~~ッ!?