16.ラム酒
「け、結婚?」
こくり。
「メテオールと私が?」
こくり。表情を変えることなく、私の質問に首肯している。
この子、結婚の意味をよく分かっていないのでは……いや、賢い子だもの。ちゃんと理解しているはず。
そもそもの話、
「あなた、私のことが好きなの?」
「初めて会った時から」
一目惚れでしたか~!! 淡々とした声で切り返されて、今朝のことを思い出す。私が馬車に乗った時に、こちらをじっと見詰めていたっけ。
今の私って、外見だけならすごく美人さんだもんね。だけど子供の純情を弄んでいるような、罪悪感がある。
「それに僕を守ってくれた」
灰羽ネズミに襲われた時のことかしら?
すごい形相でフライパンを振り回していただろうし、ときめく要素はなかったと思うけどな。
「……ありがとう、メテオール。気持ちは嬉しいけれど、あなたとは結婚出来ないわ。私はシラー様と結婚させていただいたの」
「でも叔父上は、強引にアンゼリカ様を娶ったのかもしれないって」
「どなたから聞いたの?」
私がぎょっと目を見開くと、メテオールは「母上と執事が話してた」と答える。
「誤解ですわ。……多分」
「違う?」
歯切れが悪い返答をする私に、メテオールが間髪入れず尋ねる。
返済の肩代わりをしてもらう条件として結婚しました。……とは口が裂けても言えない。
だが、この子が言わんとすることは、何となく分かった。
「旦那様はとても優しい方よ。心配しないで」
「酷いことされてない?」
「ええ。少しだけ言い方が冷たいのが、玉に瑕だけど」
「……幸せ?」
その質問に答えようとした時、「メテオール様、公爵様がお呼びです」と炎熱騎士団の人がやって来た。
「分かった」
メテオールが頷いて、厨房に戻ろうとする。
けれど、その間際にこちらへ振り向いて、
「……諦めなくていい?」
こてんと首を傾げて問いかける。
何を、なんて聞かなくても分かる。美少年の後ろ姿を見送りながら、私は火照った頬をフライパンの裏に押し付けた。イケメンって、小さな頃からイケメンなのね……。
心ここにあらずといった具合で部屋に戻ると、シラーの姿はなかった。カトリーヌと軽い晩酌をしているのだとか。
代わりに女性の兵士が、私の護衛兼話し相手になってくれた。
そして暫くした頃、誰かがドアを強めにノックした。
「私だ」訪問者はカトリーヌだった。
女性兵がドアを開けると、何故かシラーに肩を貸した状態で部屋に入ってきた。
「どうなさいましたの!?」
「深酒をしただけだ」
私が急いで駆け寄れば、カトリーヌは呆れたような口調で言った。
「好きな銘柄だったらしくてな。私が止めても無駄だった」
「お手数をおかけして、申し訳ありませんわ。……旦那様、大丈夫ですか?」
私の呼び掛けに応えるように、シラーがゆっくりと顔を上げる。顔どころか、首まで真っ赤になっていて、紅い瞳は潤んでいた。
「……どうして君がここにいるんだ。店は?」
「はい?」
「それに綺麗なドレスだな。似合ってる。だが、俺が買ってあげたかった。そう思わないか、姉う……ん? いつの間に髪を切ったんだ」
何か様子がおかしいな。私を誰かと勘違いしているっぽいし。
カトリーヌに目を向けると、「酔っ払いの戯れ言だ」と一言だけ。どんだけ飲んだんだ……。
女性兵を帰らせて、義姉と二人がかりで寝室へ連れていく。
「……ラム酒?」
ずっしりと重い体を支えようとすると、アルコール臭に混じって甘い香りがした。
「ああ。酒に強くないくせに、ラムばかり飲むんだ。せめて水か白湯で割ればいいものを」
「紅茶で割るのもおすすめですわ。上品な香りがしますの」
「詳しいな。お前も好きなのか?」
「す、少し嗜む程度ですわ」
以前働いていた酒場では、客は好んでラム酒をよく注文していた。度数が強いので、酔い潰れる客も多かったが。
「では、私は失礼する。それは朝まで寝かせておけ」
「はい。ありがとうございました」
何とかシラーをベッドに寝かせたところで、カトリーヌが帰っていく。
私も自分の寝室に向かおうとした時、後ろから手を掴まれた。
「旦那様?」
「……俺は君の旦那じゃない。君にはあいつがいるだろ。あの男……」
やきころしてやる。低い声で怖いことを言う。
酔っ払いの面倒を見るのは慣れているが、これは酷い。
私はベッドの脇に腰かけて、子供に言い聞かせるように優しく語りかける。
「そんなことありません。私の旦那様はシラー様だけです」
「君の旦那は俺か」
「そうですわ。……それじゃあ、私もそろそろお休みしますわね」
自分でも言ってて恥ずかしくなってきて、強引に手を振りほどこうとする。
けれど逆に、ぐいっと引き寄せられ、シラーの上に倒れ込んでしまった。熱に浮かされた美貌が、すぐ目の前にある。
「だ、旦那様!」
急いで起き上がろうとするが、背中に両腕が回されて身動きが取れない。
必死にもがく私を、シラーがぼんやりと見詰めている。
そして横に寝返りを打つと、私を一層抱き締めて囁いた。
「俺を選んでくれて、ありがとう」
ほどなくして、頭上から安らかな寝息が聞こえ始める。
今すぐ起きてくださいまし!!