15.プリンとお花
一階の突き当たりにある会議室に入る。
分厚いカーテンに閉め切られていて、日中にも拘わらず真っ暗だ。護衛の一人がランプを点けると、室内がぼんやりと明るくなる。
待つこと数分。硬い表情をしたシラーとカトリーヌが慌ただしくやって来た。
「あの……演習の最中に申し訳ありません……」
「精霊具が発見されたんだ。演習どころじゃないよ」
謝る私に、シラーが言う。一方カトリーヌは、私が抱えているものを注視していた。
「……まさかそれが精霊具だと言うのか」
「そうらしいですわ」
目を逸らしながら答えると、シラーが怪訝な声で呟く。
「本当に、ただのフライパンじゃないか」
「そんな疑うような目で見ないでくださいまし……」
私だって何が何だか分からないんだから。
気まずい雰囲気の中、カトリーヌが私の前に立った。ひぃぃぃ、睨まれてる……!
「アンゼリカ、それの裏側を私に向けろ」
「こ、こうですの?」
私に指示を出すと、カトリーヌは人差し指をピンと立てた。その指先に、小さな火の玉が生まれる。ファンタジー映画に登場する邪悪な魔女みたいだと思ってしまった。
カトリーヌが指先をフライパンに近付ける。すると火の玉は、ヒュルルル……と煙のように吸い込まれていった。
「ふむ。にわかには信じがたいが、精霊具で間違いないようだ」
冷静な口調でカトリーヌは断言した。
「マ、マジですの? 厨房で使われていたものですわよ?」
テンパりすぎて、雑な敬語が出てしまった。
「ああ、マジだ。取っ手に宝石のような赤い石が埋め込まれているな? それは精霊具の核だ」
あれ? この義姉、意外とノリがいいな。
とにもかくにも、フライパンはひとまず会議室にある金庫に保管することとなった。……金庫に?
「そこまで厳重になさらなくても……」
「厳重にもなるさ。現在エクラタン王国で現存している精霊具は、数点のみ。国宝中の国宝だよ」
シラーはそう言いながら、金庫のダイヤルを回した。カチッと軽い音の後、重い扉をゆっくりと開く。
「フライパンを中へ」
シラーに促され、金庫の上段にフライパンをそっと置く。なんちゅう絵面だ……。
扉を閉めると、シラーはダイヤルを無造作に回した。そして私たちに向き直る。
「分かっていると思うが、この件は他言しないように。いいね?」
念を押すような物言いに、護衛や料理番の方々が神妙な顔付きで頷く。
あのフライパン、どうなっちゃうんだろう。王宮とかに飾られるのかな。ぼんやりと考えながら部屋を出ようとした時、これまで黙っていたメテオールが口を開いた。
「……。怒ってる」
次の瞬間、背後で耳をつんざくような爆音が響いた。驚いて振り向くと、金庫があった場所は火の海と化していた。ちょっと待って、シラーが爆発に巻き込まれたんじゃ……
「旦那様っ!」
「何だい?」
炎の中から声が聞こえた。
爆炎から守るように、巨大な水泡が私の夫を包み込んでいる。
その傍らではフライパンが赤く発光しながら、ふわふわと宙を浮かんでいた。
「これ、結構高かったんだぞ」
金庫の残骸を見下ろして、シラーが小さく溜め息をつく。気にするところ、そこなの?
結局フライパンは私が持っていることに。護衛を火傷させ、金庫を破壊したりとやりたい放題だった彼も、私が手にすると嘘のように大人しくなった。この暴れん坊め。
「精霊具って持ち主を選びますのね……」
「珍しくもないさ。王妃のペンダントも他の人物が身に着けると、たちまち生気を吸い取られてミイラになるそうだよ」
シラーが笑顔で物騒な話をする。それは精霊具というより、呪物の類いなのでは?
だけど今日一日、私はずっとフライパンを持ち歩いているわけか。端から見たら、ただの不審人物じゃないの。
「お前以外は触れることも敵わん。大して心配はいらんだろう」
カトリーヌが演習に戻って行く。シラーも「何かあったら、すぐに呼んでくれ」と私に一言告げて、その後に続く。
私は護衛に囲まれて過ごすことになったんだけど……暇だわ。精霊具を持ったまま、あちこち歩き回るわけにもいかないものね。
「そうだわ。厨房をお借りしてもよろしいかしら?」
「それはいいですが……まさか、そのフライパンをお使いに?」
「いえいえ! 違いますわ!」
料理番のおばさんがおずおずと尋ねるので、私は大きくかぶりを横に振った。国宝でクッキングとか恐れ多過ぎるわ!
私はコホンと咳払いをして、その場にいる人たちを見回しながら言った。
「お騒がせしたお詫びに、お菓子をお作りしようと思いますの」
「えっ。奥様がですか?」
「私、こう見えてもお菓子作りが得意ですのよ」
ネージュにリクエストされるから、よく作っているのだ。ララや他の使用人からも好評を博しているし、味には自信がある。
早速エプロンに着替えて、厨房に立つ。夕食の準備もあるだろうし、手早く作れるものがいいな。材料も少なく済むから、プリンにしよう。というより、私が食べたい。
「メテオールもプリン……じゃなくて、プティングでいいかしら?」
じぃっとこちらを見ている少年に尋ねると、「僕にも作ってくれるの?」と聞かれた。
「ええ。とっても甘くて美味しいわよ」
「……ありがとう」
ちょっと嬉しそう。よーし、俄然やる気が出てきたわ。私は腕まくりをして、作業に取りかかった。
「こ、これがプティング?」
「アタシたちの知ってるプティングじゃないね……」
「だが、美味い」
「滑らかな食感と、つるんとした喉越し……そして下に隠れてるソースも絶品だわ」
伯爵家の屋敷で初めて蒸しプリンを作った時も、びっくりされたのよね。この世界のプリンと言えば、果物やナッツに卵と牛乳を混ぜて蒸したものらしい。それも美味しいけど、やはりプリンと言えばカスタードプリンだ。
「……美味しい」
メテオールがぽつりと呟く。彼のプリンには、カラメルソースが入っていない。あのほろ苦さが苦手な子供も多いと思う。ネージュも「にがいの、いや!」と言って、食べるのを止めてしまったもの。
とにかくみんなが喜んでくれて、作った甲斐があったわ。私も自分の分に手を伸ばそうとした時だった。突如食堂の空気が凍り付いた。
険しい表情のカトリーヌが入ってきたのだ。
「……お前たち、何を食べている?」
「し、失礼しました!」
ぎろりと睨まれて、護衛たちが一斉に席を立った。まずい、私のせいで叱られてしまう!
「お待ちください、カトリーヌ様。私がお願いして、召し上がっていただいたのです!」
私が口早に事情を説明すると、ルビーレッドの瞳が鋭く光った。
「菓子を作ったのか。お前が」
「はい……」
「………………」
ご、ごめんなさい。こちらでは甘味禁制でしたか……?
「どうぞ」
重苦しい空気を破ったのはメテオールだった。母親に声をかけながら、プリンを差し出す。この子には二個渡していたのだ。
「それはお前の分じゃないのか?」
「僕は一ついただきました。どうぞ」
「……分かった」
カトリーヌは渋々といった様子で、プリンを受け取った。私がスプーンを手渡すと、席に座って食べ始める。
「…………」
一口目を食べたところで、一瞬炎熱公爵の動きが止まった。しかしすぐに二口目を口に運ぶ。
美味しいとも不味いとも言わない。ただ黙々と食べ続ける。
そしてあっという間に完食。
「……馳走になった。食器はどこに運べばいい?」
「い、いえ。私が片付けておきますわ!」
「そうか。返礼は後日行う」
カトリーヌが颯爽と立ち去る。……味の感想、聞けなかったな。
やがて夕方になり演習は終わりを迎え、食堂には大勢の兵士が押し寄せてきた。お邪魔になるといけないので、私はフライパンを持って厨房裏にある小さな庭へ一時避難。周囲は塀に囲まれているし、ここなら安全だろう。
白い花を付けた野草が、風に吹かれて揺れていた。
「綺麗ね」
「うん」
一緒についてきたメテオールがこくんと頷く。押し花でも作ろうかしら。ちょうどよさげな花を探していると、後ろから袖を軽く引っ張られる。
振り返ると、メテオールが一輪の花を私に差し出した。
「ありがとう、メテオール。後で押し花にして……」
「僕が大きくなったら、結婚してください」
……ん!?




