14.赤き精霊具
ナイトレイ領の騎士団──、残夜騎士団の兵舎は図書室や談話室、売店などもあり、かなり充実した施設となっている。
長い廊下を進んでいくと、机と椅子が並べられ、大きな黒板のある部屋を通りかかった。
「こちらのお部屋は、何をなさるところなの?」
「ここでは、文字の読み書きや、四則演算を教えています。兵士の中には、満足に教育を受けられなかった者も多いですからね」
室内を見回しながら護衛が答える。貧困層の平民の識字率は、低いっていうものね。それに足し算、引き算、かけ算、割り算って基本的な計算を学べるのも大きいと思う。
その後も室内の訓練場などを巡り、最後に食堂へとやって来た。
「ご見学ですか? どうぞどうぞ、何もないところでございますが」
私の昼食を運んで来てくれたおばさんが、恭しくお辞儀をする。ちょうどお昼過ぎで、料理番たちも手が空いたところだった。
「失礼しますわ……」
厨房に足を踏み入れる。思った通り、綺麗に手入れがされている。床は油でべとついていないし、食材のカスも落ちていない。
それに調理器具も、ピッカピカ。試しにフライパンを手に取ってみると、重厚な見た目とは裏腹に、軽くて持ちやすい。これなら女性でも、楽に扱えそうだ。
「はぁ……」
マティス騎士団で働いている時も、こんなフライパンが欲しかったわ……。辛い日々を思い出しながら、取っ手をぎゅっと握り締める。
一瞬、フライパンが赤く光った。
……今のは一体。それに、先ほどは気付かなかったが、取っ手の部分に赤い宝石のようなものが埋め込まれている。
「あら、お洒落なデザインですわね」
「……そんなフライパン、あったかしら?」
おばさんたちが訝しげに首を傾げた時だった。かまどの陰から、ヒュッと何かが飛び出した。
「キャッ! 灰羽ネズミ!」
料理番の誰かが叫んだ。
灰羽ネズミ。そのネーミング通り、背中から灰色の羽を生やした、ネズミの魔物だ。ドブネズミほどの大きさだが、気性がとても荒く、その鋭い牙は人間の骨をも簡単に砕く。
「皆さん、厨房から出てください。急いで!」
護衛たちが私とメテオール、おばさんたちを厨房の外へ避難させる。そしてすぐさまネズミを捕らえようとするが、
「くそっ、逃げたぞ!」
彼らの足元を掻い潜り、ネズミが厨房から逃げ出した。
うわーっ、こっちに来た! 慌てて逃げようとすると、なんとメテオールが私たちを守るように一歩前に出た。
そこへ飛び掛かる灰羽ネズミ。
「こっち来んなって言ってるでしょ!!」
私は咄嗟にメテオールを庇うように抱き締め、握り締めたままのフライパンをブンブンと振り回した。
ほんの少しだけ、ネズミの体を掠った感覚があった。だけど魔物相手に、このくらいじゃ……
「ヂヂッ!?」
「はいっ!?」
次の瞬間、謎の炎がネズミを包み込んだ。そしてものの数秒で焼き尽くし、真っ黒な灰だけが残される。
その場が水を打ったように静まり返った。
…………めっちゃ燃えたな。え、今私がフライパンで殴ったせい? 摩擦熱で発火したとか? 私、そんなにフライパン振るのが速かったかな……
いくら頭を捻っても謎は解けそうもない。するとその時、護衛の一人が震える声で呟いた。
「せ、精霊具……」
説明しよう! 精霊具とは、その名の通り精霊の力が封じ込められたアイテムである!
本来なら高位貴族にしか使うことの出来ない魔法も、この精霊具があれば低位貴族だろうが平民だろうが、誰にでも取り扱える。そんな、すごいアイテムなんだけど……このフライパンが?
「何を仰っているのですか! こちらはただのフライパンでございますよ?」
困惑気味に否定したのは、料理番のおばさんだった。他の料理番も賛同するように頷いている。
しかし先ほど呟いた護衛は、興奮気味に力説する。
「ですが、皆さんもご覧になったでしょう? これに触れた途端、灰羽ネズミは跡形もなく焼き尽くされました。このフライパンは、間違いなく精霊具です!」
えぇぇぇぇっ!? ゲームで登場した精霊具は王家の墓に埋葬されていた聖剣とか、公爵家が家宝としている盾とか、王妃が代々身に着けているペンダントとか、如何にもなラインナップだったよ!?
そこにフライパンも加入させちゃうの? 威厳もへったくれもあったもんじゃない。
「奥様、そのフライパンをよく拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。どうぞ」
半信半疑になりながらフライパンを護衛に渡す。
じゅっ、と肉が焼けるような嫌な音がした。
「うわぁっ!」
護衛が悲鳴を上げて、フライパンを放り投げてしまった。彼の手のひらは焼け爛れ、白い煙を上げている。
「ん」とメテオールが護衛を指差すと、ぷよぷよとした水の塊が火傷をした手を包み込んだ。「あ、ありがとうございます」と護衛が礼を述べた。
私が持っていた時は全然熱くなかったし、むしろひんやりしていたんだけどな。誰も拾おうとしないフライパンを、しゃがんでつんつんとつつく。
恐る恐る手に取ろうとすると、「奥様、いけませんっ!」と周囲から制止された。
「……大丈夫ですわよ。ほら」
抱え込むようにフライパンを持つ。真っ黒なボディが窓から差し込む日光を鋭く反射している。
「ほ、ほんとだ。だが私が触ろうとしたら、ものすごく熱かったですよ?」
火傷をした護衛が不思議そうにフライパンを見る。
「これはどういうことだ……?」
「やめたほうがいいよ」
他の護衛が触れようとするのを、メテオールが小声がやんわりと止める。
「多分……他の人に触れられるのを精霊が嫌がってる」
つまり……私以外は触れないってこと?
と、護衛たちがにわかに動き始める。
「伯爵様と公爵様にも今すぐご報告しなければ。お二人をお連れしろ!」
「会議室に向かうぞ。あそこなら防音設備がされている」
「奥様やあなた方もご同伴願えますか?」
私だけではなく、料理番のおばさんたちも言われるがまま頷く。何かとんでもないことになってません……?