12.メテオール
そして迎えた視察当日。
雲一つない澄んだ青空の下、甲高い鳴き声が響き渡っていた。
「やだぁぁぁっ! ネジュもいっしょにいくのぉ!」
屋敷の外まで見送りに来たララの腕の中で、ネージュが真っ赤な顔で泣き叫んでいる。
丸一日帰って来ないことは一昨日のうちに説明しているし、ネージュも「おるすばん、がんばるっ」って言ってたけど、やっぱり寂しいわよね。
「はーい。ネージュ様、お留守番頑張りましょうね」
「おかあさまっ。いかにゃいで、おかあしゃまっ!」
ララが何とかあやそうとするが、効果なし。短い手を必死にこちらへ伸ばしてくる。
うう、決意が揺らいでしまう……!
「たかが一日離れるぐらいで、ここまで泣くものなのか」
その様子を見ていたカトリーヌがぼそりと呟く。
そしてズワッとネージュの頭を鷲掴みしようとする。握り潰される! と危機を感じたと同時に、シラーが無言で手首を掴んで阻止した。
「おっ、お騒がせして申し訳ありませんでした! ネージュ様のことは、私たちにお任せください!」
ララは小走りで屋敷の中へ引っ込んだ。悲痛な泣き声が遠ざかっていく。
「お前の娘は騒々しいな。私の息子が幼い頃は、もっと静かだったぞ」
「それは失礼。だが、元気な証拠じゃないか」
「…………」
「…………」
じっと睨み合う姉弟。二人とも国宝級の顔面なのだが、だからこそ迫力がある。
大丈夫かしら、この視察。何かもうすごく不安になってきた。
「うちの馬車に乗れ」というカトリーヌのお言葉に甘え、公爵家の馬車を利用することになった。
車体の上部には、七つの星を鏤めたようなデザインの盾が描かれている。プレアディス公爵家の紋章だ。多分プレアデス星団がモチーフになっているのだろうが、荘厳さを醸し出している。
「失礼いたします」と断って乗車すると、窓際の席に先客がいた。
歳は十歳前後。カトリーヌと同じアッシュブロンドに、澄み切ったミントグリーンの瞳。そして人形のような顔立ちの少年だ。
このカラーリング、どこかで……
「紹介しよう。息子のメテオールだ」
そう言いながらカトリーヌが少年の隣に腰掛ける。
メテオール!? あの堅物ムキムキイケメンって、こんなに線の細い美少年だったの!?
いやいや、衝撃を受けている場合じゃないわ。挨拶挨拶っと。
「お初にお目にかかります。私はナイトレイ伯爵夫人アンゼリカと申しますわ」
クワッ。私が自己紹介をすると、メテオールは何故か目を大きく見開いた。え、今の挨拶何か問題だった?
「何をしている。お前も早く名乗れ」
「……プレアディス公爵子息、メテオールと申します。以後、お見知り置きを」
「え、ええ。こちらこそよろしくお願いいたします……」
顔と言葉が一致していない。母親譲りの冷たい視線を浴びせてくる。
「はは。空気が悪いようだ。少し換気しようか」
私の隣に座ったシラーも、目が全然笑っていない。
ビュウビュウと冷たい風が車内に入り込む中、馬車がゆっくり発進する。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
アンゼリカですが、馬車の空気が最悪です。
「行っちゃいましたけど、奥様大丈夫でしょうか……?」
「旦那様がついていらっしゃるのです。何とかなりますよ」
アルセーヌはそう言うものの、ララは楽観的になれなかった。何せあの炎熱公爵がいるのだ。泣かされて帰ってくるかもしれない。
「それに、ネージュ様も可哀想です……」
ララは溜め息を零して、一人寂しく部屋で過ごしているネージュをそっと覗き見た。
「うん。おかあさま、あしたまでかえってこないの……ほんと? ネジュとおはなし、いっぱいしてくれるの? ありがと、おにいさま!」
……幼い主は、一体誰と話しているのだろう?
「お待ちしておりました、伯爵様。ご足労いただきありがとうございます」
演習区域はナイトレイ領の南部だった。
既に大勢の兵士が集まっていて、私たちの馬車が到着すると一斉に背筋を正した。
……ってすごい人数! 胸に赤いバッジを着けているのが炎熱騎士団の人たちだろうか。
「君、ぼーっとしていないで挨拶」
「わ、分かってますわ!」
シラーに促されて、兵士たちの前に立つ。見られてる。滅茶苦茶注目されてる!
「初めまして、皆様。先日ナイトレイ伯爵家に嫁ぎましたアンゼリカと申しますわ」
勇気を振り絞ってカーテシーを披露したものの、兵士たちを取り巻く空気がおかしいことにすぐ気付く。
皆、驚いた表情で私を凝視している。え、私何かしました?
演習はまだ始まったばかりなのに、早くも心が折れそう。
「では演習を開始する。皆の者、配置につけ!」
「はっ」
シラーの号令で兵士たちが素早く動き始めた。
炎熱騎士団の方にも、カトリーヌが手短に指示を出している。
私は特にやることもないので、少し離れたところで椅子に座ることに。演習なんて初めて見るから、ドキドキしてきたわ。
周囲には厳つい護衛たちが控え、私の隣にはメテオールがちょこんと座ってる。
「投石開始っ!」
遠くにある的に向かって、兵士たちが紐のような道具を使って石を投げる。
ヒュンッという風切り音の後、乾いた音を立てて的が砕けた。こわっ! あれってただの石よね!?
ちらりと隣へ視線を向けると、メテオールは表情一つ変えずにその様子を眺めていた。落ち着いている子だわ……。
「奥様は、演習をご覧になるのは初めてですか?」
と、護衛の一人がにこやかに話しかけてきた。
「ええ。本格的なのね……」
「まあ、有事に備えての訓練ですので。気は一切抜けません」
「そ、そうですわね。変なことを言ってごめんなさい」
世間知らずと思われただろうか。頬が赤くなる。
ん? あの鎧を着たイケメンは誰だ……ってうちの旦那ぁ!?
そして兵士たちと模擬戦を始めてしまった。ちょ、ちょっと大規模演習だからって、張り切りすぎじゃない?
「剣筋は悪くないが、動きが粗い。次。……君は力任せに剣を振りかぶるくせがあるな。大きな隙が生まれている。次」
……すごい。次々と兵士を負かせて、アドバイスしている。
いつも執務室に引きこもってばかりの、仕事人間だと思っていたのに。
「伯爵様は、エクラタン王国の中でも有数の剣士であられます。あの速さについていけるのは、プレアディス公爵様ぐらいですよ」
「そうですのね」
「……尤も、私もなかなかの腕前ですがね」
護衛は私の肩に手を置くと、揉むような動きをした。
驚いて見上げると、ニヤニヤと笑う護衛と目が合う。何だこのおっさん、気持ち悪……
「ん? メテオール様、どうなされました?」
その時、メテオールが護衛の脇を軽くつついた。そして無表情のまま、人差し指をピンと立てる。
「上に何が……ぶえっ!」
ぱしゃんっと、護衛の頭に大量の水が降り注ぐ。今のは……魔法?
「な、何をなさるのですか!?」
「……嫌がってる」
メテオールがぼそりと呟くと、水浸しの護衛はさっと顔色を変えて「し、失礼しました!」と頭を下げた。私に。
「……もしかして私を助けてくださったのですか?」
私の問いかけに、メテオールはこくりと頷いた。
「ありがとうございます、メテオール様」
「メテオール」
「え?」
「敬称はいらない」
感情の読めない眼差しを向けながら、静かな声で告げてくる。
少し心を開いてくれたってこと……?