第一章 二〇〇三年三月
第一章 二〇〇三年三月
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今からさかのぼること約20年前、2003年、平成15年の話である。
世の中はイラク戦争勃発、小泉第二次内閣発足などがあり、日本はいまだにバブル経済崩壊から立ち直れてはいなかった。携帯電話は折り曲げ式だの回転式などが発売されており、世間一般に普及してはきたが、スマホなどはまだまだ影も形もない頃。インターネットも今ほどの盛況ぶりではなく、情報ツールとしての使用はあったが、お金のやり取りが頻繁に行えるようなシステムはなく、アマゾンがようやく普及し出したそんな時代のお話である。
物語は神保町に自社ビルを構える、とある大手出版社、その中にあるスポーツ専門雑誌『ヒーロー』編集部から始まる。
ヒーローは月刊誌でスポーツ全般を扱った雑誌である。写真を見せる形でその時々の旬な話題を掲載している。ヒーロー編集部は出版社の3階フロアの半分、バスケットコートぐらいの広さで仕事をしている。
40歳後半のお腹周りを気にし出している編集長が自分のデスクから周りを見ている。誰かに白羽の矢を立てようとしているようだ。そしてそれなりの人物を発見した。
「おーい、御子柴!」
ファイルに埋もれた机から顔がのぞく。御子柴ちとせ30歳独身、髪はセミロングで長身、170cmはある。ぱっと見はモデルのようでもあるが、じっくり見るとそれほどでもない。
「何ですか?」御子柴に嫌な予感がよぎる。
「ちょっと来て」
編集長が手招きしている。ああ、また面倒な仕事だな。編集長が呼ぶときはろくな用じゃないんだから、などと思いながら近寄る。
編集長は書類に埋もれた自分の机の上に資料を置いて、それを見ながら話をする。
「お前、競馬の記事も書けたよな」
「はい、大丈夫ですよ。書くことも賭けることも得意です」
編集長は顔を上げて詰まんないこと言うな、と言った顔をする。
「知ってるか?地方競馬なんだけど、面白そうな馬がいるんだよ」
「地方ですか?南関東ですか?」
「いや、北関東のとちぎ競馬」
「北関東は赤字続きで廃止寸前なんでしょ。そんなところに面白い馬なんか居るんですか?」
「見たわけじゃない、話だけだけど、地元じゃちょっとした話題になってるらしい。そいつが今度、中央に挑戦するんだってさ。第二のオグリキャップになるかもしれない」
「オグリキャップって古いなあ、それをいうならライデンリーダーでしょ」
今となってはどちらも古いが、オグリキャップは昭和63年に地方競馬の笠松から中央に転厩になり、大活躍をした馬だ。ライデンリーダーは平成6年同じく笠松競馬出身だが、中央競馬もルールが変わり笠松にいたまま中央競馬に挑戦し、桜花賞やオークスにも参戦した。
「まあ、なんでもいいや。連勝続けているらしい。ちょうど、今日走るみたいだから、ちょっと取材に行って来てよ」
「とちぎ競馬だと宇都宮駅ですかね。わかりました。行って来ます」
御子柴はそのまま、行こうとする。それを編集長が止めて、怪訝な顔をする。
「お前、馬の名前とか、わかってるの?」
「あ、そうか。なんて名前なんですか?」
編集長が資料に目を通す。
「えーと、アムロだってさ。まるでアニメだな」
「いいんですか、その名前、著作権に絡むでしょ」
「それぐらい、いいんじゃないの、所属はとちぎ競馬の村井厩舎だ。よろしくな」
「資料とかあるんですか?」
「ほい、これ」御子柴は編集長から資料を受け取る。
「はい、今からなら、夜には帰って来れそうだから、行って来ます。ああ、自宅に直帰しますよ」
「了解。よろしくな」
御子柴は独身で都内の私大文学部を卒業後、無事にこの出版社に入社した。記事も書けるが高校時代に写真部に所属しており、趣味が写真撮影である。出版社ではカメラマンも兼任できる記者として重宝している。そういったメリットで入社を勝ち取った。
御子柴は新幹線の車中で資料を確認する。
関東地区の地方競馬は大きく、北と南に分かれている。南関東は4場、北関東は3場で北と南の連携はないが、北と南でそれぞれの共同レース体形で運営している。
南関東は大井や川崎、浦和、船橋と首都圏に近いこともあり、それなりの収益をあげているが、北関東は足利、高崎、とちぎと首都圏からも遠く、集客も見込めないことから、赤字続きであった。ここ数年は廃止の方向で話が進められていると聞く。そして今年の三月を持って足利競馬は廃止になっていた。
中央競馬と異なり、地方競馬はその所属の地方自治体、つまりは県が主催になっている。言い換えれば県民の貴重な税金を使って運営を行っていることになり、その赤字分を県が補填することになる。当然、県民は競馬などに興味のない人が殆どであるから、一般住民からは税金の無駄使いという不満の声が上がる。
現在はネットで馬券が購入できるようになり、各地方競馬も収益性が上がり、お荷物では無くなっているが、2003年当時はネット文化はまだまだこれからといった状況でようやく馬券の電話投票が始まっていたような時代であった。当時の電話投票とはオペレータと話をして購入するか、回線を使いプッシュホンで決まった手順で購入する方法しかない。とにかく面倒くさかった。
御子柴がアムロの資料を確認する。
戦績は6戦3勝と普通である。どこが凄いのだろうと詳しくみてみると、昨年の10月にデビューするも以降3戦は惨敗続きだった。それが今年になり突然、走り出している。
1月の3歳戦でなんと後続に3秒差で勝利、続く3歳選抜で4秒差、そしてその次の特別戦では5秒に着差が広がっている。対戦する馬たちが強くなっているはずなのにこの馬はさらにその上をいっている。
アムロの血統は地方競馬によくある中央競馬ではあまり見かけない、零細ダート馬血統である。中央で猛威を振るっているサンデーサイレンスなどは血統表にはサの字も入っていない。
たしかオグリキャップも同じような血統で、こういった特別な馬は何故か一定の確率で生まれてくるものなのかもしれない。ライデンリーダーも同じような血統だった。アムロもそういった類の馬なんだろうかと御子柴は思う。
本日は3月24日月曜日、とちぎ競馬では北関東弥生賞をやっている。ちなみに地方競馬は休みの日にもやるが、平日に重賞を組み込むことが多かった。中央競馬の無い日に重賞レースをおこない、競馬好きを取り込もうという作戦のようだ。
アムロはその北関東弥生賞に出走するようだ。3歳馬にとっての中央で言うと同じ名前の弥生賞の位置づけになるのだろうか、中央の弥生賞は皐月賞に向けてのトライアルレースだが、とちぎにも皐月賞があるのかはわからない。
新幹線なので宇都宮までは一時間かからない。御子柴は宇都宮駅で降りる。初めてだったが思ったより発展している。宇都宮駅には大きな駅ビルが建っていた。駅の案内を見て、東口にあるタクシー乗り場から車に乗ろうとする。
月曜日でもあり、タクシー乗り場は閑散としていた。半分、昼寝状態だった運転手に呼びかける。タクシーの窓をトントンとたたくと運転手がびっくりして起きる。
「とちぎ競馬場まで」
じいちゃん運転手は気が付いて、口のよだれを拭きながら、後部ドアを開ける。
「とちぎ競馬って言った?お客さん、競馬やるの?」じいちゃん運転手が話しかける。
御子柴が座席に乗り込んで話す。
「やりますよ。とちぎ競馬ってどんな感じ?」
「どうもこうもないよ。もうすぐ廃止になるんじゃないの?お客さんも全然、入らないしさ、赤字続きだもん」
言いながら車を発進させる。
「そうなんだ。でも最近なんか強い馬がいるんでしょ?」
「へー、よく知ってるね。お客さんどこから来たの?」
「東京からです」
「へー、そっちにも噂がいってるの?」
「まあね。今日、走るんだよね」
「そうなんだよ。さっきラジオで言ってたけど、単勝で1.1倍つくかってところらしいよ」
「そんなに強いの」
「強いね。なんか馬じゃないみたいだよ」
「馬じゃないって、どういうこと?そんなにすごいんだ」
「それがさ、面白いのが、去年は全然だめだったんだよ。これは殺処分かって思ったら、今年に入って突然、馬が変わったみたいに走り出してさ、とにかく最初からスパートして後続がどんどん離れていくんだよ。あれはすごいよ」
「そうですか、楽しみだな」
「でも平日に競馬なんていい身分だね」
「ああ、違いますよ。私は記者なんですよ。雑誌記者、ですから、仕事です」
「え、記者なの、それは凄いな。記事にするんですか、あの馬の事を?」
「そうですね。そんなに凄い馬だったら記事にしますよ」
「そう、どこの記者さんなの?」
「ヒーローって雑誌、知ってますか?」
「いや、わかんねえな。あんまり本読まないから、今度、出たら買いますよ」
「ぜひ、お願いしますね。来月号に載るかもです」
「はい、わかりました。ヒーローね」
「ああ、載らなくても買って下さい、面白いから」
とちぎ競馬場は駅からすぐのようだった。ほとんどワンメーターでタクシーは競馬場に到着する。やはり小さな競馬場だ。中央とは大違いだ。入り口にはアーケードのような門があり飾り付けされている。なんか遊園地にでも来たみたいだ。それも場末の遊園地だ。
入り口付近に予想屋が一人いる。けっこう暇そうだ。地方はこういうのが主流なんだろうか。売店もあり、一応、競馬新聞も売ってるみたいだった。
スタンドに入ってみるが、コンクリートの打ちっぱなしのスタンドで、お世辞にも良い施設とは思えない。座席もプラスチックのこわれそうな椅子で老朽化が甚だしい。さらにお客さんはまばらだ。まあ、平日だしこんなものなのかもしれない。
北関東弥生賞は3時半から始まるようで、まだ少し時間がある。
観客も中央の華やかさはない、おっさん中心で年金生活者が主流なんじゃないかというぐらい年配者が多い。ふと見ると、近くのおじさんがビール片手に、もつ煮込みを食べている。寒い中、湯気が立ってなんかうまそうだ。御子柴が話しかける。
「すみません、それどこで売ってますか?」
「そこの売店で売ってるよ。ここは馬はたいしたことないけど、煮込みはうまいんだよ」
確かにうまそうだ。おじさんが指さす先を見ると屋台があった。御子柴は礼を言ってそこに行く。
屋台にはおばさんというよりおばあさんに近いほっかむりをした女性がいた。
「すいません。煮込みください」
「はいよ。200円ね」
「へえ、安いですね」
「安いけど、うまいよ。はい、どうぞ」
もつ煮込みを受け取り、仕事中にもかかわらず、ついでに生ビールも頼む。一口食べると確かにうまい。
御子柴は記者でありながら、今日はカメラマンも兼務している。それこそ、特集記事の場合は専用のカメラマンが参加するが、今日の様に使えるかどうかが分からないような記事の場合は御子柴が自ら撮影する。そういう意味では今日はカメラマンも兼任しているので、アルコールはそこそこにしないとならない。しかし、3月のこの時期だと宇都宮は寒い。煮込みはあったかくて体にしみる。
先ほど煮込みを聞いたおじさんの所に行って、話をする。
「煮込み、おいしいです」
「そうだろ、ここのはうまいんだよ。おねえちゃん競馬やりに来たの?」
「まあ、そんなところです。弥生賞に強いの出るんでしょ?」
おじさんはよくぞ聞いてくれたといった顔をして、勢い付けて話す。
「ああ、すごいよ。あんな馬は今まで見たことない。とちぎにもそこそこ走る馬はいたけど、あれは別格だ。あいつは馬じゃない」
「馬じゃないって?何なんですか?」
さっきの運転手も同じことを言った。本当にアニメのヒーローなのか?
「うーん、おれは馬鹿だから何て言えばいいかよくわからないけど、なんか機械みたいだよ」
「機械?」やっぱりロボットアニメ?
「まあ、みればわかるってそろそろパドックに出てくるよ」
「パドックはどこですか?」
「この裏手にあるよ」
御子柴はパドックに向かう。
パドックも小さい。中央競馬の様にスタンドがあるわけでもなく、柵があって馬たちがその中を周回している。観客は柵から見るか、柵の後ろにベンチがあるので、そこに座って見る。一応、電光掲示板があり、オッズが出ている。アムロはいくらだ。わお!1.1倍じゃん、ほんとに一本かぶりだ。
お客さんから歓声が上がった。馬が出てきたのか、そしてその馬を見て御子柴は言葉を失う。
その馬は一目でわかった。確かにまるで違う雰囲気だった。今までいろんな競走馬を見てきたが、こんな馬は見たことがない。さっきのおじさんが言った意味が分かる。確かに馬であって馬ではない。何か伝説とでもいうのか、今、そこに生きている動物ではないような気高さに満ちていた。馬は黒々とした青毛で、まるでビロードのような毛並みだった。そして額に乱星の模様がある。それは渦を巻いているきれいな模様だった。
御子柴は仕事を忘れて見入ってしまった。いかんいかん写真を撮らねば、煮込みとビールを早々に平らげて、カメラの機材をケースから出して三脚につけ、その馬を撮る。急に真剣モードになった。
アムロは堂々として歩く、まるで自分がこの世の王様であるかのようだ。観客も見入っている。こんな場末の競馬場にこれほどの馬がいるとは驚きだ。
そして時間になり、パドックから本馬場へ移動する。
とちぎ競馬場は右回り一周1200mである。他の地方競馬がそうであるように芝のレースはなく、ダートのみである。
アムロが本馬場に出てくる。貫禄が違う。他の馬がポニーに見える。馬体重を確認するとアムロは450kgで比較的、軽量のほうだが、とてもそんな風には見えない。
馬場の手前の最前列にカメラを設置する。お客さんが少ないので特等席で見れるな。こんなことなら報道として事務局に話を通して馬場内で見ればよかった。
そこへさきほどのおじさんが寄ってくる。
「ねえちゃん、カメラマンだったの?」
「はい、記者なんですよ」
「記者さんかい、でもすごい馬だろ。俺の言ったことわかるだろ」
「確かにわかります。見た目だけはすごい」
「見た目だけ?走ってるとこ見たらもっとすごいよ」
おじさんはうれしそうだ。地元の誇りなんだろうか。
スタート時間が近づいている。各馬がゲート前で輪乗りをしている。出走頭数は全部で12頭、アムロは3番だ。
地方競馬も中央と同じようにスターターがスタート台に立って、旗を振る。スピーカーからファンファーレが流れて、いよいよ、スタートだ。
場内にはスピーカーを使った中継放送が入る。アナウンサーが興奮気味に放送している。
『いよいよ、北関東弥生賞のスタートです。本日の弥生賞は中央への参加資格を取得するトライアルレースにもなっています』
なるほど、今日のレースを勝つと中央のレースに出られるのか。これが中央参加のステップレースの位置づけでもあるようだ。
資料を見ると北関東弥生賞は1900mで約1周半を走る。この競馬場にはターフビジョンなんてないので望遠カメラでスタート地点を見る。アムロはゲート内で落ち着いている。微動だにしていない。
そしてスタート。ゲートが開く。
いきなりアムロはスタートダッシュする。そしてそのままトップスピードで走る。
地方競馬は小回りで位置取りが重要であり、当然、スタートで好位置をマークすることが必須ではあるが、それにしてもアムロのスタートダッシュは異常なほど早い。なんだ、あんなスピードで持つのか、どんどん走り続ける。そしてその走りは騎手がしごいているわけでもなく、なんだかキャンター(並足)でもしているかのようだ。それでいて早い。 後続馬の騎手が飛び上がらんばかりに必死にしごいており、バタバタと走っている。それに引き換え、アムロは悠然と走っている。実に優雅な走りだ。それでいて後続との差がどんどん広がっていく。おじさんが話す。
「あれ、何か、今日はいつもよりも早い気がする」
先ほどまでは騒いでいた観客が固唾をのんで見ている。それほど、走り方が異質だ。
1周目で御子柴の目の前を走る。あれ?何故か、涙が出る。すごくきれいだ。サラブレッドってこんなにきれいなものだったのか。すでに後ろとは何馬身広がったのか、ようやく後続が来る。アムロはすでに向こう正面のあたりを走っている。
観客からため息に近い声が出てくる。そういえば御子柴は昔のレースシーンで似たような光景を見た。確かセクレタリアート、アメリカの三冠馬だが、彼のベルモントステークスが同じような映像だった。いまだにその時のレースレコードは更新されていないはずだった。
アムロはそれと同じように一人旅でどんどん加速していく。最終コーナーを回ってそれでも増々早くなる。ふたたび御子柴の前を走ってくる。すごい迫力だ。そしてそのままゴール板を通過する。
観客から悲鳴に近い歓声が上がる。年金親父たちをここまで興奮させるとは、後続はまだ最終コーナーにも来ていない。何なんだこの馬は、実況が興奮気味に叫んでいる。
掲示板のタイムを見て絶叫している。1分52秒だそうだ。そして、これは1900mの世界レコードらしい。よく調べたな。まあ、1900mのレースが少ないからでもあるが、芝のレースでもここまで早いのは見たことがない気がする。確かにアムロは化け物だ。
レースの興奮さめやらぬままに御子柴はアムロの関係者を探す。これは記事にしないと。ここからは報道の仕事だ。まずは競馬場の運営を探す。馬券売り場にいた競馬場の関係者を見つけ、広報にアポイントを取りたいと申し入れる。とちぎ競馬も報道には友好的に対応してくれるようだ。事務局に連絡を取ってくれて面会の運びとなった。事務局はスタンドの上部にある閲覧室にいた。御子柴が事務局の男性と面会する。
「ヒーロー誌で記者をしております御子柴と申します」
「とちぎ競馬事務局広報担当の橋本です」
橋本は40歳前後だろうか、事務方のようでサラリーマン然としていた。名刺交換を済ませる。確かに名刺を見ると栃木県庁から来ている方のようだ。御子柴が話す。
「それでうちの雑誌に先ほど走ったアムロを載せたいのですが、取材許可をいただけますか?」
その言葉に橋本は素直にうれしそうな顔をする。
「そうですか、是非お願いします。うちとしても久々にとちぎから出たスターホースで、なんとかして売上貢献をしたいものですから全面協力させてもらいます」
「ありがとうございます。それで厩舎のほうにも取材をしたいのですが、大丈夫でしょうか?」
「村井厩舎ですね。最終レースがこれからですので、それが終わってから私と行きましょう。話は付けておきます」
「はい、ありがとうございます」
そして、最終レースが終了し、橋本と村井厩舎を訪ねることにする。橋本と歩きながら話をする。
「すみません。とちぎ競馬について勉強不足なもので村井厩舎の位置づけというか、成績はどんなものなんでしょう?」
「ああ、そうですね。リーディングは取ってませんが、上位にはいますね。若手の中では有望株です」
「そうですか。あのどこまで行くんですか?」
橋本は競馬場から外にどんどん歩いていく。
「ああ、失礼しました。とちぎ競馬は外厩制で競馬場の外に厩舎を構えているんです。なにせ土地が無いもんですから、こんな形になっています」
なるほど、競馬場の外にそれぞれ厩舎があるのか、そうなると馬を運ぶのが大変そうだな。公道も通ることになる。村井厩舎は競馬場から100mほど離れた場所にあった。橋本が先に厩舎を訪ねる。
「村井さん、いますか?」
中から40歳ぐらいの男性が出てくる。割とイケメンだ。色黒で彫が深い感じのラテン系の容姿をしている。
「橋本さん、どうかした?」
「はい、こちら取材をしたいという雑誌社の人なんだけど」
「こんにちは、私、雑誌ヒーローの御子柴と申します」
御子柴があいさつする。それを見て村井が嬉しそうな顔をする。人懐こい方のようだ。
「え、ヒーローさん取材してくれるの、うれしいな、アムロなら裏で洗ってるところだよ」
競馬関係者らしく雑誌ヒーローを知ってくれているようだ。
「見させてもらっていいですか?」
「どうぞ、どうぞ、厩務員がいると思うんで、アムロについて聞いて下さい。私もあとから行きます」
「はい、どうも」
感じのよさそうな人で助かった。地方競馬というとなんか気難しそうなおっさんを想像していたけど、想像以上にイケメンだったな。
御子柴と橋本が奥に行くと馬房があり、厩務員がアムロを洗っているようだ。そしてその前に人がいた。10歳ぐらいのおかっぱ頭の女の子が男性と言い争いをしている。なんと女の子は男にけりを入れていた。
「まったく、なんであんなに走らせるの、アムロが壊れちゃうでしょ」
「ごめんな。なんかあんまり気持ちよく走るもんだからあのまま走らせちゃったよ」
「見てよ。アムロの足が腫れちゃってるでしょ」
御子柴が近づく。女の子が御子柴に気付く、そしてしまったという顔をしている。
「足が腫れてるの?」
「ううん、何でもない」
女の子が知らんぷりをする。聞かれたらまずい話であるのがまるわかりだ。
アムロは厩務員から水をかけられている。御子柴は足を見る。特に腫れているような気はしない。厩務員は60歳を超えているだろうか白髪で小柄なおじいさんといった感じだ。御子柴に、にこにこ笑いかけている。
「こんにちは、私、雑誌ヒーローの御子柴と申します。アムロの取材に来ました」
ますます女の子は困ったと言った顔をする。御子柴が女の子に話しかける。
「ねえ、おじょうさんは誰なの?」
「私はここの娘だよ」
「ああ、村井さんの娘さんなの?お名前は?」
「歩美」
「歩美ちゃんか、アムロは頑張りすぎちゃったのかな」
厩務員のおじいさんが話す。
「歩美はアムロの言葉がわかるんだよな」
馬の言葉がわかる?
「アムロだけじゃないよ」歩美が自慢げに話す。
「アムロが腫れてるって言ってるんじゃないのかい?」
おじいさんが水を止めて、アムロをタオルで拭きながら話を続ける。
「本当なの?」御子柴が歩美に話しかける。
「ちょっと武が走らせすぎたんだよ。それで疲れただけだよ」
武と言われた男が苦笑いをする。この人が騎手なのか。先ほどから歩美に蹴られていた人物だ。その武に御子柴が話しかける。
「あなたがアムロの主戦騎手なんですか?」
「はい、どうも御手洗武って言います。アムロに乗せてもらってます」
「今日はおめでとうございます。強かったですね」
「はい、歩美に怒られちゃったけど、今日はアムロの好きに走らせちゃっただけなんですよ」
「そうなんですか?じゃあ今まではセーブしてたの?」
御手洗武が口ごもる。あれ、何かあるのか?そこに村井調教師が来る。
「お待たせしました。あれ、どうかした?」
みんなの様子がおかしいのに気づく、御子柴は先ほどの質問を村井にぶつける。
「アムロって今日は本気で走ったんですか?」
「ああ、その話ですか、あんまり隠してもしょうがないから言いますけど、アムロは足に爆弾を抱えているんですよ」
歩美が増々困ったと言った顔をする。
「そうなんですか?」
「そうです。エビ寸前ってとこですかね」
「エビ?」
「ああ、屈腱炎です。腫れあがった部分が海老に似ているんで競馬関係者はそう言っています。アムロはそこまでにはなってないですけど、あんまり脚に負担はかけられないんです」
「とーちゃん、マスコミにその話をしたらだめだよ」
歩美が話す。村井は笑いながら、
「そうか、でも黙っててもいずれは分かる話だからね。マスコミの人が来るなんて初めてだし」
「でも今回の走りで俄然注目されるでしょう。コースレコードだし、中央に挑戦させる話も聞いてますよ」
「まあ、これで挑戦権を得たわけですから、出したいのはやまやまなんですけど、やはり足元の不安があってね」
「そうですか」
橋本が話をする。
「うちとしても話題作りで中央のレースに出てほしいんですけどね。これだけの馬ですから故障だけは避けてほしいし、悩むところです」
アムロは気持ちよさそうにタオルで拭かれている。こうしてみると実におとなしい馬だ。さっきまでの殺気にでも似た雰囲気がない。
「それで順調だったら次のレースはどこになります?」村井に質問する。
「そうですね。中央に出るんだったらダービートライアルの青葉賞になりますか。とちぎだったら北関東皐月賞かな。どっちにしろアムロ次第です」
「歩美ちゃんはどうしたい?」御子柴が歩美に話す。
「・・・・・」歩美は口ごもる。
「そういえば、今日、オーナーはどうされたんですか?口取りにも来られてなかったようでしたが」
この質問には橋本が応える。
「オーナーは家庭の事情で来られなかったんですよ」
「家庭の事情ですか?」
「はい、息子さんが入院中で」
「ああ、そうなんですか」
なるほど、何かオーナーにも事情がありそうだ。
「祐介君は歩美の同級生なんだよな」村井が話すが歩美は辛そうな顔をしている。
「オーナーの息子さん、祐介さんって言うんですか、どこがお悪いんですか?」
「ええ、祐介君は心臓に持病を抱えているんです。今まではアムロのレースにはいつも来てくれてたんですが」
「アムロは祐ちゃんが名付け親なんだ」やっと歩美が話す。
「そうなの、祐介君がアムロって名前にしたのね。じゃあ、アムロは祐介君のヒーローなのかな」
「そうだよ」
御子柴が思い出したように村井調教師に話をする。
「さっき聞いたんですが、歩美ちゃんは馬の気持ちがわかるんですか?」
「ああ、その話ですか、ええ、そうみたいですよ。感じるみたいです。今までもそういったことが色々あってね。アムロが痛がってるとか、今日は走りたくないとか、教えてくれます」
「それはすごいですね」
にわかには信じられない。ドリトル先生じゃあるまいし。
「橋本さん、後でも良いのでアムロのオーナーに話は出来ますかね」
「ええ、わかりました。オーナーに確認してまた連絡させていただきます。ただ、忙しい方なので何時とは言えないです」
「わかりました。それと村井さん、アムロのこれまでの話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
「はい、じゃあ厩舎に戻りますか?」
「はい、ああ、それと少し写真を撮らせてください。歩美ちゃんと御手洗さんも、あと厩務員さんも」
「ごんじいね」歩美が言う。
「ああ、権藤です。それでごんじいです」
白髪頭のおじいさんが照れながら話す。
「はい、じゃあ皆さんでアムロの前で記念写真を撮ります」
全員がそろって写真を撮る。アムロは本当に賢そうな馬だった。写真映りを気にしているかのようなポーズをとる。御子柴は改めてこの馬をじっくり見た。先ほどのレースで見せたような神がかった雰囲気は全くない。たしかに青毛で綺麗な馬だとは思うが、あそこまでの走りを見せるような馬には思えないほどだった。やはりこの馬はレースで輝くのだろうか。
厩舎内にある宿舎に戻り話を聞く。木造の古びた学校の教室のような建物である。築30年以上は優に経っているかのようだ。2階建てで一階は厩舎で2階は宿泊施設なんだろうか、一階には馬具や木馬、飼料などが所狭しと置いてある。打ち合わせ用に4人掛けできる机といすが置いてあり、村井調教師と橋本、御子柴の3人がその机に座る。御子柴と村井が名刺交換を済ませて、資料を見ながら御子柴が話しだす。
「早速、アムロの話です。まず、戦績を見るとアムロは最初、全然走らなかったんですね」
「そうです。去年の10月から走り始めたんですが、馬がレースに前向きじゃあなかったんです。3戦連続で最下位です」村井は苦笑いをしながら、「はい、それで北海道の牧場に戻して現地で立て直ししました」
「そうでしたか、それは12月ですか?」
「そうです。そこから丸々一か月間は北海道で再調整ですね。そこで馬が変わりましたね」
そこに歩美がお茶を持ってくる。小さい手で湯飲みを配る。
「歩美ちゃんは偉いね」
歩美は当然と言った顔でそのまま戻っていく。
「あの、失礼ですがお母さまは?」
「ああ、実は歩美の母親は若くして亡くなったんです」
「そうだったんですか」
「ええ、男手ひとつで満足に育てられなかったかもしれません。元気は元気なんですが、ちょっと乱暴なところがあって」村井が笑う。
「でも家事もできるし、いい娘さんですね。今、おいくつですか?」
「9歳です。小学校4年生です。ご存じのように馬の世話は手がかかります。やった分だけ成果で返ってきます。子供の世話に時間をかけられなかった悔いが残ります」
「そうですか。ああ、すいません、アムロの話に戻ります」御御子柴が再び資料を見ながら話す。
「アムロは1月にこちらに戻ってから、それこそ別馬のように走りだしてますね」
「そうです。この時期は馬が大きく変わる。アムロも走ることを理解したと思います」
「つまり、元々、素養はあったということですね」
「そうなりますね」
「生まれた牧場はどういったところなんですか?失礼ながらあまり聞いたことがありませんが」
「そうですね。日高の小泉牧場さんです。家族でやられているところになります。日高にはこうした小さな牧場がけっこうあります」
「それで、どういった経緯で村井厩舎で預かることになったんですか?」
「はい、先ほどのオーナーの話になります。オーナーは阿部裕一郎さんとおっしゃって栃木の地元でプラスチック工場を経営されている方です。いつもうちの厩舎を贔屓にしてもらって馬を預けていただいています。まあ、うちの子供同士が仲が良いということもあって、そう言った縁もあってです」
「先ほどの話ですね。歩美さんの同級生ですか?」
「そうです。幼馴染ですね。オーナーも馬好きで私と牧場を回ってみたり、セレクトセールに行ったりして馬を探しました。地方競馬なんでいい馬は回ってこないんですよ。資金もないし、オーナーも中小企業の経営者なんで余裕資金も潤沢にあるわけではありません」
「馬の飼育にも費用がかかりますよね」
「そうです。だいたい1頭に付き月に10万円は優にかかります。阿部オーナーも毎年、購入していただいてかれこれ10年のおつきあいになります」
「それで10年目でアムロに出会ったんですね」
「いえ、正確に言うと3年前、2000年にアムロを購入したんです。その時は息子さんの祐介君も体調がよかったので一緒に北海道に馬を見に行ったんです。たまたま、小泉牧場にいたアムロを祐介君が気に入って、買うことにしたんです」
「そうですか、それで祐介君がアムロって名前を付けたんですか。血統的にはそれほどでもないですよね」
「そうです。今流行の血統ではないです。値段も100万円でした」
「そんなに安かったんですか?」御子柴がびっくりする。
「そうです。一流馬は億する時代ですから、そういった意味では破格でしたね」
「祐介君はアムロのどこが気にいったんですかね」
「どこだったかな。確か顔のマークだったと思います。乱星の不思議な形をしているでしょ」
「なるほど、特徴的ですものね。私も一目見て魅かれました」
「特に子供はああいうマークを気に入るみたいですよ」
「わかります。えーと、先ほど屈腱炎の話がありましたが、今現在アムロはどういった状況なんですか?」
「屈腱炎は馬にとって致命的な病気になります。馬の前足にある屈腱という筋肉がそれこそ炎症をおこすものです。人間に例えると、そうですね、アキレス腱みたいなものでしょうか、アキレス腱を痛めると人間は歩けなくなりますよね。馬の場合はそれが屈腱だと言うことです。アムロは元から屈腱が弱いようで、言い換えればそれだけ走りがすごいということなんですが、パワーがありすぎて屈腱が耐えられないのか、故障もしやすくなります。今のところ、軽度の炎症なんで冷やすことで対処しています」
「そうですか、屈腱炎で引退する馬も多いですよね。そういった意味では心配ですね」
「そうです。まあ、いままでも似たような故障を持った馬を扱ってきました。うちの厩舎もそれなりにノウハウもあるんでなんとかなってます」
「故障した馬を何とかすると言ったことですか?」
「はい、とちぎのような地方競馬は中央で走れなかった馬を走らせることも多いです。中央とはレベルが違いますからね。少しの故障であれば中央から転厩してもらって、再生することはよくあります」
「なるほど、中央から地方で大成する馬もいますね」
「そうです」
ここで御子柴が橋本に話をする。
「話は変わりますが、橋本さん、とちぎ競馬の経営は厳しいんですよね」
「私は県から出向で来ているんですが、はっきり言って厳しいです。これ以上赤字が続くと存続も危ぶまれています」
「どのくらいの収益実態なんですか?」
「とちぎ競馬の歴史は古いんですよ。1933年からやっていて当初は黒字だったんです。それが近年は他の娯楽に客層を奪われてきまして、パチンコとかね、それで1993年から赤字が続いています。なのでこの10年間は毎年赤字になります」
橋本がつらそうに話をする。
「北関東では足利競馬場が廃止になりましたよね」
「おっしゃるとおりです。世間も県の予算を食いつぶすことを良しとしない風潮があります。競馬に興味の無い方にとっては単なるギャンブルですから、よくないイメージもあります。赤字補填に県民の税金を使うなと言う声も多々寄せられています。しかし、そんな中でのスターホースなんで、なんとか盛り上げていきたいんです」
「そうですね。わかりました。うちも協力させていただきます」
ありがとうございますと橋本、村井両名ともの顔が輝く。
「村井さん、また電話しますね。次回のレースが決まったら教えて欲しいです」
「はい、わかりました」
「それでは橋本さん、阿部オーナーとの打ち合わせが決まりましたら、連絡ください」
「わかりました。こちらから電話します」
「それではこれで失礼します。あ、タクシー呼んでもらえますか?」
御子柴が村井に話をする。それを聞いた橋本が、
「駅までですか?だったら僕が送りますよ」
橋本が嬉しい提案をしてくれる。
「でも、申し訳ないです」
「いや、僕も戻るところですから、お気になさらず」
「そうですか、それではお言葉に甘えて」
「じゃあ、競馬場の駐車場まで行きましょう」
挨拶をして御子柴が厩舎を離れる。外に出てから再びアムロの馬房を見る。
やはり、アムロは右足にアイシングをしている。それも歩美自らだ。ごんじいと御手洗騎手が後ろで見守っている。あの娘は本当に馬の気持ちがわかるのかもしれない。アムロは足に爆弾を抱えている。そんな状態でこれからも走ることが出来るのか。
そんなことを考えながら、御子柴は橋本と帰っていく。
御子柴が帰った後、村井厩舎内でみんなが集まって話をしている。村井、歩美、御手洗、ごんじい、それと助手の近藤である。近藤は村井厩舎の調教助手である。歳は村井と同年代。
村井が話す。
「アムロは大丈夫か?」
「うーん、相当,痛いみたいだよ」歩美が話す。
「そうか、しばらくは走れないか」
「そうなんだけど、アムロは走りたいみたい、祐ちゃんの期待に応えたいって」
「そうか、走りたいか、でも元々、無理使いは出来ない馬だしな」
一同が沈黙する。しばらくして近藤が話す。
「青葉賞に出るためには、いつまでに返事すればいいんだい?」
「4月の中旬までだと思ったな。まだ、少し猶予がある」
「そこまでに治るかな。今までもだましだまし使って来たからな。それと中央は芝のレースだ。足元の不安は増すんじゃないか?」
「そうだな、芝のほうが負担が増えるだろうな。東京競馬場の芝は固そうだしな」
ここでごんじいがおもむろに話し出す。
「昔、聞いたことがある。伝説の装蹄師がいてエビの馬を治したっていう話」
「ごんじい、それは伝説だろ、本当にそんな装蹄師がいるのか?」御手洗が話す。
「10年以上も昔の話だからな。でもエビの馬を削蹄と装蹄だけで走れるようにしたそうだ。腕のある装蹄師だったらなんとかなるかもしれない」
「伝説の装蹄師か、誰か知ってる人はいないかな」
「今日来た雑誌社の人は知らないかな?」御手洗が話す。それを歩美がじろっとにらむ。
「あんなちゃらちゃらしたおばさんはだめだよ、知ってるわけない」
「どうした?歩美はあの人嫌いか?」
「なんか、あやしいよ、まだ信用できない。しょせん、マスコミは当てに出来ない」
「なんか、マスコミ不信がすごいな。その歳でどういう経験したのか」
「武うるさい!」歩美が御手洗にけりを放って御手洗が逃げる。
「歩美、やめなさい」村井がたしなめてから話す。
「ちょっと俺の方で調べてみる。ごんじいと歩美はアムロの治療に専念してくれ、もし、走れそうなら青葉賞を目指すことにする」
「いよいよ、中央挑戦か」
「まあ、オーナーサイドの夢だからな。どこまでやれるか」
「とーちゃん、アムロは走るよ。祐ちゃんと約束したんだから」
橋本が運転する車で御子柴は駅に向かう。
「すみません、タクシー代わりに使っちゃって」
「マスコミの方が取材に来てくれるだけでも大歓迎なんですよ。で、どうでした。アムロ記事に出来ますか?」
「編集長次第とは思いますが、私は記事になると思いますよ。個人的には衝撃的でした」
「それはうれしいな。先ほどは村井厩舎の方々がおられたので話を避けたんですが、実はとちぎ競馬も経営が苦しくて、廃止についての議論が県議会では続いているんです」
「足利も廃止になりましたよね」
「ええ、とちぎ競馬の関係者もその話には敏感で、厩舎連中もピリピリしてるんです」
「そうですか」
「競馬場、ご覧になってどう思われましたか?」
「ああ、そうですね・・・」
「遠慮なくどうぞ」
「さすがに古い競馬場だなといった印象ですか」
「はっきりいって、老朽化も甚だしい感じですよね。厩舎関係者からもそういった意見が多く寄せられています。改修できないのかってね。特にトイレがひどい。あれじゃあ女性は来ないですよ」
「はい、そう思います」御子柴も驚くほどの汚いトイレだった。
「ただ、改修する予算が降りません。老朽化のままで客足が遠のく、改修できない、利益が上がらないの悪循環です」
「そうですね。わかります」
「今回のアムロの活躍は久々の朗報なんです。今日だって通常の倍の観客ですよ。売り上げもおそらくいつもの倍近いと思います。とにかく、もっとアムロ人気が上がらないことにはとちぎ競馬は好転しません。御子柴さん、なんでもやりますのでこれからもよろしくお願いします」
「はい、わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
地方競馬の実情も苦しいことは良くわかった。しかし今日の観客でいつもの2倍だったとはびっくりだ。記事もそういった思いに報いるものにはしたいと思った。
2
翌日、ヒーロー編集部で編集長と御子柴が話をしている。
御子柴が昨日、撮影した画像を見ながらである。
ちなみに2003年当時でもデジタルカメラ一眼レフは普通にあります。報道はほぼデジタルカメラを使用していた。
「こいつがガンダムね。たしかに地方馬とは思えない風格がある」
「アムロです、アムロ。でしょ、なんか凄みがあるんですよ。走りがもっとすごい」
「そうだな。御子柴の写真からも伝わるよ。世界レコードなんだろ、このタイム」
「そうらしいです。あんまり1900mのレースがないんで古い記録みたいなんですが、それでも世界レコードですから」
「いいな。よし、来月号に載せよう。見開き4ページいけるか?」
「はい、大丈夫です」
「あと、中央挑戦の可能性もあるみたいだし、引き続き御子柴が取材を続けてくれ」
「はい、望むところです」
当初は乗り気の無い仕事だったが、なんか俄然としてやる気が出てきた。アムロと言う底知れない馬の存在が御子柴にとって大きくなりつつあるのを感じた。
数日後、橋本から阿部オーナーとの面会について連絡があった。ただ、ヒーロー誌は月刊誌のため、すでに来月号の締め切りを終えており、アムロについてはオーナーの記事なしで発売することになっていた。
御子柴は再び、宇都宮を訪ねる。阿部オーナーは多忙とのことで彼の工場での面会となった。宇都宮駅から車で30分の郊外の工業団地の一角に阿部工業はあった。
工場ではプラスチック部品の設計から成形、加工までをおこなっていた。従業員20名程度の会社で社員は正社員とパートが半々ぐらいの割合のようだった。
橋本と宇都宮駅で待ち合わせし、いつもの県の社用車で工場まで送ってもらった。橋本にすればとちぎ競馬の新興のためにはマスコミ対応は不可欠で、車を出すことなどはなんの問題もないようだった。
宇都宮市としてこの一帯には産業普及を目的に新規事業を後押しする形で工場が立ち並んでいた。阿部の工場は大型のテニスコート2面分ぐらいの広さでプレハブの2階建ての建物だった。一階は工作機械や大型の成形機があり、それと組立てや加工を行うスペースもあり、従業員が数名で作業をしていた。2階は事務所や更衣室および設計作業や倉庫になっているようだ。
2階の事務所に御子柴達が上がると、入り口に受付兼事務員をしている女性がいた。橋本が社長との面会を話すと、同じフロア―の奥に座っていた男性が橋本に気付く。その方が阿部社長のようだった。そのまま会議スペースに案内される。
阿部氏は村井調教師よりは少し年配のようだったが、40歳代後半といったところだろうか。社長という肩書よりは青年実業家といった風情で、細面の目元が涼しい、いかにも切れそうな人物だった。名刺交換を済ませ、早速、インタビューを開始する。
「この度はお忙しい中、お時間をいただきまして、ありがとうございます」
「大丈夫です。馬主としてとちぎ競馬にも貢献しないといけませんのでね」
言いながら阿部社長の顔には疲労の跡が見える。
「お忙しいんでしょう?」
「はい、すみません。今日も工場まで来てもらって。ええ、貧乏暇なしといったところで、バブル崩壊以降、親会社からは値下げ要請の嵐で下請けの中小への締め付けが厳しい。とにかく一律値下げを言われてまして、他の下請けも採算度返しで仕事を受ける所もあります。そういったところと競合するので、どうしようもないです。実際、競馬どころではないかもしれません」
阿部社長から仕事の愚痴が山のように出てくる。一番の関心事はそこなんだろうなとは思うが、しかしそれはヒーロー誌には使えないので、話を競馬に戻す。
「そうですか、でもアムロの活躍には期待されているのではないですか?」
「そうですね。でもご存じですか?先日の北関東弥生賞で賞金は250万円です。地方競馬は賞金も厳しいです。まあ、それでも今回は助かりました」
助かったとは会社の経営のことだろうか、そこまで切羽詰まっているのかもしれない。
「なるほど、中央競馬とは違いますね」
「できれば中央のレースに挑戦して欲しいんですが、村井君は難しいような話をしていてね。僕も馬に無理をさせたくはないとは思っています。せっかくこれだけの馬に出会えたんですから」
「そうですね、ところで話は変わりますが、オーナーが馬主になられたきっかけは何でしょうか?」
「ああ、はい、学生の頃から競馬が好きでして、いつかは馬主になってみたかったというのが本音ですかね」
「ご自身が競馬好きだったんですね」
「そうです。高校時代の友人で競馬好きがいまして、その影響もありましたかね」
「なるほど」
「大学生になってから、それこそ、のめり込んだ感じですね。ああ、馬券は買ってませんよ」
とありえない話を笑顔でする。
「それでいつかは馬主になりたいとは思ってたんですよ。元々、企業勤めのサラリーマンで馬なんか持てませんから、30代で起業して会社も軌道に乗ったところで馬を持ったんです」
「そうでしたか」
「中央の馬主は条件面での敷居が高いので無理でした。地元に貢献する意味もあってとちぎ競馬で馬主になりました」
「こちらでは10年程、馬主経験があるそうですね」
「正確に言うと8年ぐらいですかね。そうです。毎年、1頭ぐらいと数は少ないんですが持たせてもらっています」
「アムロ以外に活躍された馬はいたんですか?」
「それが、ほとんど勝ち上がることが出来なかったです。まあ、安い馬が多かったのもありますけど」
「そうですか。馬主業も難しいと言った話はよく聞きます。やはりそうなんですね」
「その通りです。地方競馬なんで最初はすぐにダービー馬のオーナーにでもなれると思っていました。北関東でもとちぎ競馬はレベルが低いと勝手に思ってました」
「皆さん、そうおっしゃいます」
「ところが、現実は全然甘くない。やっぱりそれなりの馬じゃないと地方でも勝ちきれません。村井君も調教師としては栃木ではリーディングの上位にいて、腕はあるんですよ」
「それでも勝てなかった」
「そうなんですよ。それもまったくです。持ってる馬で1勝したのを数えた方が早いぐらいです」阿部は苦笑いする。
「そうでしたか、でも、アムロと出会えたわけですよね」
「そうです。不思議な縁でしたね」
「息子さんがアムロを見初めたそうですね。名付け親だそうで」
「村井君から話を聞きましたか、ええ、息子はアムロが大好きでね」
やはり子供の事を話すのは辛そうだ。しかし息子さんの病気の話を聞かないわけにはいかない、報道としては仕方のないことだ。
「その息子さんがご病気だそうですね」
「ええ、まあ」
「入院されているそうですね」
阿部は少し躊躇しながら、
「すみませんが、これは記事にしないでいただきたいんですが、息子は心臓に難がありまして、今は入院しています」
「そうですか、ご心配ですね」
「ええ、でもアムロの走りが励みになっているようで、ご存じのようにアニメのファンでね。名前もここまで有名になると大丈夫かなとも思ってるんですが」
「著作権ですか?そうですね。機会がありましたら私も確認してみますね」
「ああ、そうですか、それはありがたい。気にはなってたんですよ」
「えーと、話を戻します。それで息子さんが北海道でアムロを見つけたそうですね」
「村井君と息子とで北海道へ行ったんですよ。あの当時は息子も調子が良かったんで旅行がてらに日高に足を運びました。2,3牧場を回って、それまで関係のあった牧場もあったのでね。ただ、良い馬がいなくて、そろそろ宿に戻ろうかと言う時でした。たまたま、みかけた牧場に仔馬がいたんですよ。車で走っていて、息子が気付いたみたいで見たいと言い出してね」
「そうだったんですか」
「ええ、日高の小さな牧場でね。仔馬が元気に走っていて、息子にとってはあの元気さが羨ましかったのかな。それと顔に不思議なマークがあってね」
「渦巻の乱星ですね」
「そうそう、息子が、なんか宇宙みたいだって言ってね。星雲を考えたのかな、それで牧場の人に話を聞いて、うまく購入できたんですよ」
「100万円だったそうですね」
「それぐらいです。今となっては破格でしたね」
「でも最初のうちは全然走らなかった」これにオーナーが苦笑いで答える。
「そうです。でも息子はアムロが大好きでね。馬房に行っては話しかけてたらしいんです。それが通じたのかな」
「息子さんは歩美ちゃんとも仲良しなんですよね」
「歩美ちゃんとも会われたんですか、いい娘ですよ。うちの息子とは幼なじみの同級生で仲良くしてもらってます」
「それで敗戦続きだったアムロに奮起を促すために、北海道に戻ってしばらく向こうで調整したとか聞きました」
「その辺は村井君に任せてまして、僕はよく知らないんです。ただ、戻って来てからは本当に馬が変わってきた。息子もびっくりしてましたよ」
「そうですか、よっぽど現地の調教がよかったんですね」
「そうでしょうね。なんでもあの時期に馬は大きく変わるそうで、ずいぶんたくましくなりました」
「阿部オーナーにとっても特別な馬なんでしょう?」
「そうです。ああ、あの、実はもう馬はやめたんですよ」
「え、そうなんですか」
「ええ、本業の状態がよくないんで持ってた馬は、アムロ以外はすべて処分しました。ただ、オープンクラスの馬はアムロだけだったので、それ以外はほとんど殺処分になったと聞いています。可哀想なことをしました」
競走馬は勝つことで命を長らえることができる。賞金を稼げない馬はそれこそ、金食い虫になってしまう。人間のエゴでもあるが、走らない馬は淘汰されてしまう。これが現実である。
「そうですか。じゃあ、なおさらアムロに期待するところは大きいですね」
「ええ、是非頑張ってほしいです」
阿部オーナーは多忙なようで、インタビューはこれで終了となった。
御子柴は橋本に車で駅まで送ってもらう。
「橋本さん、来月号のヒーローにアムロの掲載が決まりました」
「え、本当ですか、いやあ、それはよかった。とちぎ競馬も少し観客が増えるかもしれません。ありがとうございます」
「そうですか、それはよかったです」
「ただ、アムロが次いつ出るのかが、まだよくわかっていません」
「やはり、故障してたのですか?」
「うーん、どうなんでしょうね。村井さんはあんまり詳しい話をしないのでわからないんです。素人目には問題なさそうなんですが」ここで御子柴は思いつく。
「あのこれから村井厩舎に寄れますかね。その後のアムロ情報も知りたいので」
「ああ、そうですね。そうしましょうか」
「はい、すみません、よろしくお願いします」
橋本が方向変換して村井厩舎に向かう。
「とちぎ競馬に久々に活気が出てきましたし、御子柴さんにどんどん記事を書いてもらいたいです」
「橋本さんは県庁にお勤めなんですよね」
「地方公務員で競馬場へは出向扱いです。当初は競馬担当なんてと思っていましたが、色々携わるうちに親しみがわきまして、動物は良いですね。ギャンブルですけど」
「そうですね。馬はきれいですしね」
「とちぎ競馬は戦前から続いてるんで、なんとか存続させたいです。ただ、少しでも黒字化の目途がたたないと厳しいです」
「色々、考えてはおられるんでしょ?」
「そうです。ただ、競馬に対する考え方が主催者側も運営側も旧態然としていて、新しい前向きな発想が出てこないんです。僕が話をしても周りが乗ってこない。ああ、すいません、愚痴をこぼしちゃいました」
「わかります。私も編集部内で意見が通らないことが多々あるので、うっぷんがたまります」
「そうですか」橋本が笑う。
「今年の3月に足利競馬場が廃止になりました。北関東のレース体系も見直しになったんですが、実は高崎競馬場も同じように廃止の議論が続いているんです」
「そうなんですか、厳しいですね」
「栃木の県議会でも競馬場の廃止は議題として出されていて、我々は存続に必死で取り組んでいます。競馬関係者の仕事がなくなりますから」
「まさに死活問題ですものね」
「ええ、そうです。関係者の再就職と言っても厳しいものがあります」
「そうですか」
「若い人なら、まったく新しい仕事にも付けるでしょうが、年配者で競馬一筋と言ったような人はそれこそ、競馬しかできない。そうなると、他の競馬場か牧場関係になるんですが、地元を離れて働くのも大変だし、他の地方競馬も儲かってるところなんてほとんどないですから、似たような状況なんです」
「県としてもつらいところですね」
「ええ、そうなんです」
「あの、阿部オーナーの息子さんの病気はどういったものなんでしょうか?」
「ええ、私も詳しくは知らないのですが、確か心臓の病気だったと記憶しています。先天性の疾患のようです」
「そうですか、心配ですね」
「これは噂なんですが、手術、それも移植手術が必要のようです」
「心臓移植ですか?」
「そうです。私も噂で聞いて、少し調べてみたんですが、日本では圧倒的にドナーが少ない。移植法が制定されてもいまだに手術まで行われていないのが実態のようです」
「そうですか、日本は移植に対する抵抗感が強いのかもしれませんね」
「欧米に比べるとそうですね。なのでアメリカで手術を受ける方も多くいるようです」
「なるほど、確か相当な費用がかかる話を聞いた気がします」
「ええ、一般人がどうこうできる金額ではないです。阿部社長も色々考えておられるようです」
「そうですか、奥さまも心配でしょうね」
ここで橋本は気付いたような顔をする。
「ああ、話をしていませんでしたが、阿部オーナーの奥様は亡くなられています」
「え、そうなんですか」
次から次へと阿部オーナーの不幸話が湧いてくる。
「2年前に那須豪雨という集中豪雨があって、奥さまがちょうど田舎に帰省されていたようです。その時に洪水に巻き込まれたんですよ。結局、最後まで遺体は見つからず、行方不明のままだったんですが」
「そうだったんですか」
「そのようです」
阿部オーナーにとっては息子さんがご病気で奥さんも事故で亡くされている。会社も厳しいとなると気苦労が絶えないだろうな。
御子柴達が村井厩舎に着く。
「あの、私はタクシーでも拾って帰りますので、橋本さんは職場に戻ってください」
「ああ、大丈夫ですよ。これも仕事の一環ですから。駅まで送ります」
「そうですか、すいません」
御子柴は本心では助かったと思う。駅までは歩けない距離ではないが、運動不足の御子柴にはつらい。村井厩舎は相変わらず、ばたばたとしていた。
「ごめんください。橋本です」
橋本が御子柴と一緒に厩舎の中に入る。厩舎には権藤厩務員、通称ごんじいのみがいた。ごんじいは眠そうな顔を向けて挨拶する。
「ああ、おつかれさん」
「また、来ました御子柴です」
「どうも、アムロの記事は載りそうかな?」
「ええ、掲載が決まりました」
「そりゃ、よかった。みんな喜ぶよ。えーとね、村井さんはアムロの調教中だよ」
「アムロ、走れるんですか?」
「軽くやってるみたいだな」
「ところで次走は決まりましたか?」
「調教師は青葉賞って言ってたね」
「そうですか、そこからダービーですね」
「どうかな」
ごんじいの表情は暗い。話をしていると、外の方から音がする。調教を終えて馬が戻ってきたようだ。御子柴が外に出る。アムロが帰って来た。御手洗騎手が引いて、村井が付き添っている。さらにもう一人は初めて見る人だ。一緒に歩美も来た。歩美は御子柴を見て少し警戒している様子だ。
「歩美ちゃん、久しぶり」
「どうも」なんかそっけない。
「村井さんこんにちは」
「ああ、御子柴さんどうも」
「どうです。アムロの調子は?」
「うん、まずまずかな」歩美がじろっと村井を見る。
「歩美は警戒しすぎだ」村井が笑いながら歩美に話す。
「歩美ちゃんは私を警戒してるの?」
「別に」その顔つきは十分、警戒してると思うよ。
「調教は今ごろの時間にやるんですか?」
「いえ、普段は朝です。今日はアムロの歩様を確かめようとこの時間になりました」
「そうですか、それでどんな感じでしたか?」
「どうかな、よくもなく悪くもなくといったところかな。走ることは出来そうです」
「じゃあ、青葉賞に向かうんですか?」
村井はアムロを馬房につないでから、御子柴の近くに戻って来る。
「まだ、わかりません。もう少し様子を見ます」
御手洗ともう一人の男が来る。
「御子柴さん、彼は調馬師の近藤です」
「調馬師?」
「ああ、中央では調教助手って言ってますか。調教助手はわかりますか?」
「はい、わかります」
調教助手とは競走馬の調教を行う者で騎手ではない。調教師の補佐役といった役回りもする。地方競馬では一般に調馬師と呼んでいる。近藤は村井と同い年ぐらいで小太りな豆タンクのような人だった。
「元騎手です。まったく勝てないので村井さんのとこで働かせてもらってます。厩務員も兼任です」
騎手の御手洗が近くに寄ってきて、御子柴に話す。
「御子柴さん、伝説の装蹄師って知ってますか?」
「こらあ、武!」また、歩美が怒って御手洗の所に飛んで来る。
「いいじゃん、聞くだけタダなんだから」
「なんですか、伝説の装蹄師って?」
「ほーら、知らないじゃん」歩美が自慢げに話す。
「いや、ごんじいがさ、そういう人がいたっていうんだよ。昔の話だけどね」
「装蹄師って蹄鉄を付ける人ですよね」
「そうそう、それを魔法の力で馬に負担をかけないようにするらしいです」
「なんですか、それ?漫画の話?」
「いえいえ、魔法は冗談ですが、昔、そういう装蹄師がいたらしいですよ。エビの馬を1カ月で走れるまでにしたって噂です」
「へー、なんか面白そうですね。調べてみます」
「え、ほんとに、わかったら教えてください」
「はい、こっちも興味が持てる話なんで、がんばって調べますよ」
「ほら、期待できるって」御手洗が歩美をからかう。歩美はふてくされる。御子柴は笑いながら村井に話しかける。
「村井さんアムロの出走可否はいつ頃、わかりますか?」
「5月3日がレース日ですから、4月半ばには決めないとまずいでしょうね」
「そうですか、あんまり日にちが無いですね」
「そうです」
「歩美ちゃん、アムロは何って言ってるの?」
御子柴は本気で信じているわけではないが、歩美の能力を確かめたい気持ちもあって聞いてみた。歩美は警戒しながらも話す。
「うーーん、アムロは走りたいみたいだけど・・・」
「祐介君のためだよね」
歩美が黙る。なるほど、祐介君の話は避けたいのか、そこで御子柴が話す。
「青葉賞の賞金は5400万円だよ。オーナーの取り分は80%だから、4000万円以上もらえるね」
歩美の顔が輝く。「え、そんなにもらえるの?」
「そうだよ。日本ダービーは1億5000万円だから、1億2000万円だね」
増々、歩美が真剣な顔になる。やはりこの子は祐介君の病気を知っている。手術費用も聞いているのかもしれない。
「おばさん、やっぱり伝説の装蹄師見つけてよ」
「お、おばさんって・・・」
「こら、歩美、おねえさんって言いなさい」村井調教師が青くなる。
「ああ、大丈夫です。わかった。見つけるよ」
歩美の鼻息が荒くなる。アムロはどこ吹く風と悠然と馬房にたたずんでいる。
その夜のこと、村井と歩美は厩舎内の2階の自宅部分で食事を取っている。2階が村井親子の生活スペースになっている。3部屋あって、村井の部屋、歩美の部屋、居間、そして台所がある。
「とーちゃん、明日は日曜日だから祐ちゃんの所に行ってくるよ」
「うん、気を付けていけよ。ああ、それから病院であんまり騒ぐなよ」
「大丈夫だよ。病院ではいい子なんだから」
「そうか」
「祐ちゃんの手術にいくらかかるのかな?」
「ああ、移植手術だから日本では難しいみたいだな。阿部さんの話だとアメリカで手術したいらしいんだけど、1億円は下らないらしい」
「そんなにかかるの」
「阿部さんのところは会社も厳しいし、それこそ、アムロが活躍してくれるしか手術代を稼ぐ方法がないんだ」
「アムロ次第か・・・・」
食後に歩美がアムロの馬房にたたずむ。アムロは飼い葉桶に顔をうずめて飼い葉を食べている。
「アムロ、お前走れるの?」
アムロは桶から顔を上げて歩美を見つめる。歩美はアムロの顔をなでながら、
「え、ほんとに?無理したら駄目だよ」
アムロは気持ちよさそうに目を細める。そして首を振る。
「痛かったらやめても良いからね。私が伝説の装蹄師を見つけるよ。それまで頑張ってね」
アムロが再び飼い葉桶に顔をうずめる。そこに村井も顔を出す。
「異常ないか?」
「とーちゃん、アムロ、レースに出るって」
「そうか、アムロ悪いな。無理言って」
村井もアムロを撫でる。アムロはそのまま桶に顔をうずめている。
3
宇都宮駅からは電車で3駅離れたところに、祐介が入院している大学病院はあった。
この地域の中では最も大きな病院で設備も充実している。
歩美が受付で面会者名簿に名前を書く。小児病棟は3階にある。エレベータで3階へ行き、祐介の部屋を訪ねる。4人部屋の奥のベッドに祐介はいる。歩美を見つけると祐介は笑顔を見せる。しかし、やはり顔色は良くない。長い入院生活での疲れもみられる。歩美の健康そうな小麦色の顔とは正反対だ。
「祐ちゃん、こんにちは」
歩美をみつけると祐介はうれしそうに笑顔を見せる。
「歩美、見たよ。アムロ強かったね」
テレビ中継はなかったから録画したのを見たのかと思う。
「うん、レコードタイムだって、世界一らしいよ」
「うん、すごいな」
「それでさ、今度は中央競馬に挑戦するんだって」
「え、まじ?すごい」
「5月3日だよ」
「もうすぐだね。見に行きたいな。どこで走るの」
「東京競馬場だって、府中ってとこ。知ってる?」
「なんとなく、東京か、遠いな」
「歩美が行くから祐ちゃんはテレビで応援してね」
「そうか、テレビ中継するんだ。ビデオじゃないんだね」
「そうだよ。土曜日」
「土曜日か、アムロ勝てるかな」
「勝てるよ。アムロは世界一なんだから」
「でもおとうさんは難しいかもって言ってた」
「どうして?」
「足の具合も悪いし、中央のレースは芝だからアムロが走れるのかどうかわからないって」
「大丈夫だよ。だってアムロだよ」
「そうだよね。アムロだもんね」
病室に看護師が来る。ちょっと小太りの年配の女性である。
「歩美ちゃんいらっしゃい」
「こんにちは、安西さん」
「検温しますね」
安西が体温計を渡し、祐介が脇に挟む。
「お父さんももうすぐ来るわね」
「うん。日曜日は来れるはずだから」
「そうね。このところお忙しそうで平日はお見舞いも来れなかったからね」
祐介は窓越しに外を見ながら、少し寂しそうな顔をする。
「僕、このままなのかな・・・」
看護師と歩美は絶句する。
「祐ちゃん、大丈夫だよ。アムロがどんどん勝って賞金を稼ぐんだから」
歩美の話に安西さんが目を丸くする。
「アムロってお馬さんだよね。賞金ってそんなに凄いの?」
「安西さんダービーの賞金知ってる。一億5000万だよ」
安西は本当に目を丸くする。「うそー、そんなにもらえるの?」
「そうだよ。アムロは勝つよ」
祐介が初めて嬉しそうな顔をする。体温計が鳴って安西さんが体温を見る。
「歩美ちゃんが来たから熱が上がったかな」
「私のせいなの?」
「うーん、好きな子が来たからかな」
祐介と歩美の顔が真っ赤になる。
「二人は仲良しだね。羨ましいな。それじゃあごゆっくり」
安西さんは病室から出ていく。残された二人はちょっと気まずい。思い出したように歩美が話す。
「そうだ。祐ちゃん、伝説の装蹄師って知ってる?」
「装蹄師って何?」
「馬の蹄鉄ってわかる?」
「ひづめに付ける板みたいなやつだよね?」
「そうそう、それをなんか魔法みたいにして馬の故障を治してくれるんだって」
御手洗が言った魔法の話がそのまま歩美の記憶に残っている。
「すげえ、魔法使いみたいだ」
「そうなの、それをヒーローのおばちゃんが見つけるてくれてるんだ」
「雑誌社の人だよね」
「そうそう、そのおばちゃん、じゃなくてお姉さん。何かみんな怒るんだよね。おばちゃんでいいのに」
「そうだよ。なんか、おばちゃんって言ったらいけないんだって、安西さんもお姉さんって言うと機嫌が良いよ」
「そうなんだ。大人は難しいね」
歩美と祐介は話しを続ける。
夕方になって祐介が入院している大学病院に阿部が来た。担当医師から話があるとのことで診察室にて話をしている。担当医は岡本信夫という30歳前半の温厚そうな男性医師である。
岡本医師はパソコン上にあるレントゲン画像を見ながら説明している。
「以前も話をしたと思いますが、祐介君は拡張型心筋症という先天性の病気です。心臓は4つの部位に分かれています。心房、心室というものが左右にあります。祐介君はその左心室の収縮する能力が低下していて、拡張、つまり肥大しています」
岡本は画面の左心室の部分を指している。阿部がうなずく、何度か聞いた話ではある。
「今は投薬治療で心臓の負担を減らす処置で対応していますが、現在のところこの病気に有効な治療方法はまだありません」
これも何回も聞いた話ではあるが、阿部は確認の意味もあって尋ねてみる。
「本当にそうなんでしょうか?先生の診断に間違いはないとは思いますが、新薬だとか何か他の手立てはないんでしょうか?」
「はい、私も色々調べてはいますが、今のところ現在行っている治療が最善だと考えています。もちろん、阿部さんが他の医師の診断を仰ぎたいということであれば、それを止めるわけではありませんが、ただ、私の知る限り他の選択肢は望めないと思います」
阿部は口ごもる。実際、発病後、自分でも色々な選択肢を調べはしたが、担当医の岡本が言う話に間違いがないようだった。ただ、息子にとって手術以外に治る道がないのか藁にもすがる気持ちではあった。
「唯一の方法は心臓移植というお話ですよね」
「そうです。しかし、日本では子供の心臓移植が認められていません。法整備を進めているところです。これには時間が掛かります」
実際、日本での小児心臓移植は2010年に法整備されるが、心臓移植の件数は欧米に比べ驚くほど少ない。日本で脳死判定による15歳未満の初めての心臓移植は2011年になって行われている。海外に比べ、日本では脳死、臓器移植の考え方にマイナスイメージが強い。それもあってか臓器提供できるドナーの数が圧倒的に少ない。
よって、現在に至っても欧米での移植手術が主流である。そして莫大な費用がかかる。年々その金額は高くなっており、現在では約3億円は必要とのことである。近年、ようやく保険による負担軽減も認められたが、2003年当時はそれこそ患者側が全額負担の必要性があった。また、人工心臓についても埋め込み式は小児用には2012年から治験が始まっており、それ以前はそういった対応もできなかった。
岡本医師が話す。
「祐介君の状態ですが、症状は進行しています。今後は不整脈や浮腫の恐れもあり、投薬治療では限界があります。当院としては心臓移植を勧めます。残念ながら国内での移植は現状では困難で海外、北米が選択肢としては最適かと思います」
「なぜ、国内での移植が進まないんですか?」
「難しい問題です。一言では言えないんですが、世論の後押しがないこともあります。いざ、自分に降りかかって初めて事の重大さに気づかれる親御さんが多いです」
医師が言うとおりだった。まさに阿部もそうだった。臓器移植などまったく関係ないものとして生きてきた。それが自分の息子に降りかかるなどとは考えもしなかった。
「また、これは医師側にも問題があるのですが、移植手術を積極的に推進しようとする動きが少ない。日本では移植に対するマイナスイメージが付きまとっています」
「マイナスイメージですか・・・」
「阿部さんもご存じでしょう、日本で最初の心臓移植が行われた時の話を」
「ああ、事件になったんですよね」
「一九六八年の札幌医科大学でのいわゆる和田移植です。私も子供だったのではっきりとは覚えていないんですが、あの移植手術の顛末もあり、それを引きづって現在の状況になっているような気がします」
「脳死の問題でしたか?」
「まだ、日本に脳死についての明確な基準がなかったことが事件になった要因でもあるのですが、やはり医師側が片手落ちだったと思います」
日本で最初の心臓移植手術は世界的に見ても30番目と早い段階で行われた。ただ、この移植手術をめぐっては残念ながら患者は亡くなり、ドナーの脳死判定に疑義が生じたりし、担当医が殺人罪に問われる後味の悪いものとなった。よって日本では移植に対し、医師側も尻込みをする事態となってしまった。現代において脳死判定基準は固まっているが、実際、脳死に疑義を唱えられて司法で争った場合、どういった判断が下されるのかは不透明でもある。
「そんな状態だと、日本での移植はいつまでたっても進まないですね」
「移植学会でも行動を起こしてますし、一部の医師は海外で移植手術の基礎を学んでいます。かくいう私もなんとか移植手術を進めていきたいとは思っています」
岡本が強い口調で言明する。阿部も気持ちはわかる。少し考えをまとめてから阿部が切り出す。
「それでどうすればよいですか?」
「日本臓器移植ネットワークに登録してください。その上で適合可能な臓器移植を待つことになります」
「はい」
「また、渡米費用や手術費用については保険は効きません。自己負担になります」
「どのくらいの費用がかかるんでしょうか?」
「一概には言えませんが、概ね1億円はかかるものと考えてください」
「一億ですか・・・わかりました」
医師は聞いていいのか、少し躊躇しながら、
「阿部さんは手術費用をどうされますか?」
「なんとかします」
そうはいったものの今のところ、阿部には何の当てもなかった。
「寄付を募る方法もあります。そういったことを支援していただける団体もあります」
「すこし検討させてください」
「そうですか、また、臓器移植のタイミングですが、こればかりは提供者が現れるまでは何とも言えません。また、順番もあります。そういったこともご了解ください」
「だいたいで結構なんですが、どのくらいの待ち時間になるんでしょうか?」
「早くても1年は待つことも考えてください」
「そんなに待つんですか?」
「残念ながら、現状ではその程度はかかるようです。また、状況に応じてはもっと待つこともあります」
「待機中に亡くなる方もおられるんですか?」
「はい、可能性はあります」
これが現実だ。あまりにつらい。阿部は医師から手続きや今後の対応についてのレクチャーを受ける。そしてこういった話を子供にしないとならないのがつらい。
祐介が発病してから、阿部は息子の病気が奇蹟的に治る夢を何度も見る。急に祐介が元気になり、心臓病が治った夢である。また、新薬が出来、心臓病が治るようになるといった夢もよく見る。仕事が忙しく残業続きでフラフラになった時などはそういった夢が現実だったのではと思うほど、追い込まれてもいた。
すでに病院の辺りは暗くなっていた。阿部が祐介の病室を訪ねる。病室に入る前には自分のギアを入れ替える。祐介に心配をかけてはいけない。自分がしっかりしないと強い父を演じないとと考える。部屋に入るとベッドで祐介が起きて待っていた。
「祐介、遅くなってごめん」
「遅いよ。さっきまで歩美ちゃんがいたんだよ」
「うん、ごめんな」
阿部は日曜日にもかかわらず、休む間もなく仕事に追われていた。
「おとうさん、僕、疲れちゃったよ」祐介の表情が暗い。
「どうした?」
「もうこのままずっと入院なのかな・・・」
「大丈夫だよ。きっと治るさ。おとうさんがなんとかする」
「でも1月から入院が続いているよ。また、学校に行けるようになるのかな?」
「それも先生と相談しているんだ。もう少し我慢してくれ」
「どうして僕だけがこんな目に合わないといけないの・・・」
祐介は涙ぐんでいる。阿部も辛い、一緒に泣きそうになるが、ここでは勇気づけないとならない。
「誰のせいでもないよ。祐介はいい子だ。だから絶対治る。おとうさんが治して見せる」
祐介が涙をぬぐって父親の顔を見る。
阿部はこのタイミングで言うべきではないとも思うが、仕事が多忙で、次は、いつ来れるかもわからないこともあり、先ほどの医師の話を歯を食いしばるように切り出す。
「祐介、それでな。先生とこれからの事を話してたんだ」
祐介が不安そうな顔をする。阿部は胸がちぎれそうな気持になる。ただ、いつまでも隠しては置けない。
「祐介の病気は心臓の病気なんだ。それは知ってるよね」
「うん、心臓が弱いんだよね」
「そうなんだ。左側の筋肉が弱いために苦しくなるんだ。それでね。それを治すためには・・・今のところ、移植手術しかないらしいんだ」
「移植・・・」
「心臓の移植手術だね」
祐介の目から再び涙がこぼれる。「え、いやだよ。そんなのこわい」
「わかるよ。父さんだって怖いと思う。だけど、手術をしないと学校にも戻れないかもしれないし、元通りに生活が出来なくなるかもしれない」
ますます、祐介の顔が暗くなる。「いやだ。手術以外に治らないの・・・」
「ごめんな、そうなんだ」
「手術しないと僕、死ぬの?」
阿部は言葉に困る。事実を話すのがいいのか、嘘をつくのがいいのか、判断が出来ない。阿部は返答できずに黙っている。
祐介がつぶやく。「おかあさんに会いたい」
阿部は何と言っていいかわからない。それでも何とか言葉をつなげる。
「祐介、前向きに手術をすることを考えてくれよ。手術をすればまた、前の様に学校にも行けるようになる。それが一番、いい方法なんだ。そのために父さんはがんばる。なんとか祐介に元気になってほしいんだ」
祐介は考え込んでいる。阿部は出来ることなら自分の心臓をあげてもこの子を治したいと思う。こんな小さな子供にここまでの試練を与えることは耐えらない。そしてなんとかこの子を勇気づける手立てを考える。祐介の夢は・・・
「そうだ、祐介、今度、アムロのレースに行こう」
祐介はそれを聞いて少し嬉しそうな顔をする。
「え、いいの?」
「先生にお願いしてみるよ。多分、大丈夫だ。東京競馬場だぞ」
「青葉賞でしょ。歩美ちゃんから聞いた。すごいな」
「ああ、アムロが勝ってくれるさ」
「うん」
阿部が息子にしてあげられることは競馬観戦ぐらいしかない。自身の不甲斐なさに怒りすら覚える。
「アムロもがんばってるんだ。僕もがんばるよ」
「え、そうか」阿部に希望の光が差す気がした。
「だって、アムロも足が痛いのに無理して走ってくれてるんだもの、僕のためだよね。僕もがんばらないとアムロに笑われる」
もう、阿部はこらえられなかった。涙が止まらない。
「そうだな。祐介、お前は偉いぞ・・・」
祐介の頭を撫でる。この子は俺が命に代えても守る。阿部は自分の会社が危機にあることも理解しているが、死ぬ気でこの難局を乗り切ることを心に誓う。
4
雑誌ヒーロー編集部。御子柴が調べ物をしている。そこに編集長が来て話をする。
「何、調べてるの?」
御子柴が資料を見ながら話す。
「アムロの阿部オーナーの奥様が亡くなっていたと聞いたので」
「え、そうなの」
「2年前の那須豪雨って覚えてますか?」
「ああ、そういえばあったな河川が氾濫して被害が出たんだよな」
「那須地方に集中豪雨が襲って、那珂川支流の余笹川が氾濫したんです。死者・行方不明7名、家屋の全壊45棟とあります。その中の行方不明者3名の中に確かにオーナーの奥様、阿部玲子の名前があります。当時、38歳です」
「それは災難だったな。息子さんも病気で奥さんが亡くなって、オーナーは大変だな」
「そうですね。アムロの活躍は賞金獲得と言った意味でも重要なんですよ。そうだ、編集長はご存じないですか?伝説の装蹄師」
「突然だな。伝説の装蹄師ね、はいはい、聞いたことあるよ。10年以上前だったかな、そうだ、ヒーローでも特集したかもしれないな。ちょっと待ってな」
編集長は自席に戻って、自分のパソコンを確認する。データベースにアクセスしているようだ。
「10年前だと編集長は違う雑誌の担当でしたよね。よく覚えてますね」
「まあね。自分とこの雑誌類は一応、押さえているし、興味深い記事だったからな」
「そうですか」御子柴はさすが編集長になるだけの人だなと、ちょっと尊敬する。
「ああ、やっぱりあった。えーと9年前だな。393号だ。そこの棚にあるだろ」
御子柴がバックナンバーが並んでいる棚を探す。該当の雑誌を見つけて、中身を確認する。
「ああ、ありました。本当だ。伝説の装蹄師、福原郎。これはあきらって読むんですかね」
「そうだな」
記事を読むと、屈腱炎で再起不能と言われた馬を削蹄と装蹄のみで治療し、復帰させたとある。自身で診療所も作り、馬の治療に当たったそうだ。福原朗、1920年生まれ大正9年か、今年で83歳になるな。
「今も現役なんですかね?」
「どうだろう、その記事の時も高齢だったから、今はどうなのかな。確か福島のほうで装蹄治療をしていたと思ったよ。問い合わせてみたらどうだ。連絡先を調べてみるよ」
「はい、ありがとうございます」
編集長が昔の資料から連絡先を探し出して御子柴に渡す。
9年前の話で不安だったが、電話をすると福原朗は存命だった。
「いきなりの電話で申し訳ありません。私は雑誌ヒーローで記者をしております御子柴ちとせと申します。福原朗様でしょうか?」
『そうですが』すこし怪訝そうな声が聞こえる。気難しい人なのだろうか。
「単刀直入に話をさせてもらいます。実は今ですね、私が取材をしている競走馬がおりまして、その馬が屈腱炎なんです。それで福原さんのお力を拝借できないものかと思いまして電話しています」
『そうか、残念だけど、もう俺は装蹄師を引退してるんだ』
「ああ、そうですか」
『悪いな。力になれなくて』
「いえ、大丈夫です」
御子柴はさて、どうしたものかと思うが、福原への取材自体も記事になるかもしれないと思い、さらに話を続けてみる。
「引退されたことはわかりました。ただ、屈腱炎について福原さんのお話を聞くことは可能でしょうか?」
『雑誌ヒーローって言った?昔、取材に来なかったか?』
「ええ、そうです。覚えておいでですか、実は9年前に取材をさせてもらってます。ただ、私も今回、初めてそういった馬に出会ったものですから、福原さんから何かお話を聞ければと思っています」
『そうかい、まあ、大した話も出来ないと思うけど、こっちまで来れるなら話はするよ』
「ありがとうございます。それでは近日中に伺わせていただきます。日にちが決まりましたら、また、お電話させていただきます」
福原朗はそれほど、気難しい人間ではなかったようだ。少しほっとする。それと声の感じは若々しく、とても83歳とは思えなかった。
御子柴は当座の仕事を片付けて、福原に再度連絡、3日後に現地福島に出かけた。
新幹線で福島駅で降り、ローカル線の飯坂線に乗り換える。飯坂線は単線で昔、都内を走っていたような車両が運行している。田舎によくある、基本は学生などが利用する線のようだ。また、飯坂温泉に行く時にはこの電車を利用するようで仕事も一段落したことから、日帰りはやめて温泉で一泊する計画で出かけることにした。
福原氏は飯坂線終点間近の花水坂駅に住んでいた。温泉地の近くですでに温泉のにおいがしている該当駅に着いた。
電話で話を聞いた住所は駅からは歩いて数分の所のはずだったが、すぐには見つからず、人に聞きながら探して、ようやく自宅を見つけた。福原宅は昔ながらの日本家屋で玄関の扉も引き戸だった。築年数も相当な建物のようだ。
引き戸を音を立てて開けながら、御子柴が声をかける。
「ごめんください」
しばらくして銀縁眼鏡でごま塩頭の老人が顔を出した。
いかにも職人さんといった風情で、それでいてどこかひょうきんな印象がある。声もそうだが、外見も83歳には見えない。御子柴の父親は67歳だが、同じ歳ぐらいに見える。
「東京から取材に来ました御子柴と申します」
「電話をくれた人かな?」
「はい、そうです。少し話を伺わせてください」
「そちらが希望する話が出来るかわからんけど、まあ、あがってください」
居間に通される。御子柴の田舎は長野県の飯山だが、それを思わせる昔ながらの日本間である。ちゃぶ台があってそこに座布団を渡されて座る。福原さん本人がお茶をいれて持って来てくれた。
「どうもすいません」
「女房に先立たれた男やもめでね」
「そうなんですか、それは不自由ですね」
「まあ、なんとかなってます」
「身の回りの世話などはどうされているんですか?」
「うん、週に3回、近所の知り合いが面倒を見てくれてるよ。生きてるかどうかの確認だな」そういって笑顔で話す。
「失礼ですが、ご家族はどうされているんですか?」
「息子夫婦がいるよ。今は東京で仕事しててさ、一緒に住まないかとは言ってくれてるんだが、どうも今さらと言う気がしてね。身体が動くうちは一人でもここに居たいと思ってる。まあ、動かなくなったら施設にでも入るさ」
「そうですか、ところで福原さんは装蹄を辞められてどのくらい経つんですか?」
「本当はね。昭和が終わった頃にいっぺん辞めたんだよ。もう60歳は過ぎてたからね」
「そうなんですか?」
「そう。それでも装蹄の依頼が来てね。まだ、俺の技術の需要もあるみたいだから、誰かに伝承したかったのもあってね。少し続けたんだよ。本当に辞めたのは5年前かな。色々思ったような作業が出来なくなってね」福原が自分の手を見る。うまく動かなくなったということなのだろうか。
「本で読ませていただいたんですが、福原さんの逸話が数多くありますよね。馬の歩く音を聞いて故障個所がわかるとか」
「ああ、そんなこともあったかな。特徴的なやつはわかるよ」
「福原さんにかかると屈腱炎の馬でも再起できますか?」
福原はこの話には目を輝かせて話す。本人も自信があるのだろう。
「出来たな。本来、動物っていうものは自ら故障箇所を治そうとするのが基本なんだ。人間だって風邪をひいても薬を飲まなくたって、自力で治るだろ、ケガだって治る。それと同じで動物だって自分で治すんだよ。それを手助けするのが俺たちの役目だと思ってる」
「治癒力ですか?」
「そう、あと人間だって合わない靴を履いてると靴ずれを起こす、馬だって合わない蹄鉄じゃあ、おかしくなるんだよ。それで馬ごとに合う蹄鉄を研究したんだよ。あんた、装蹄ってわかるかな?」
「蹄鉄を付けるんですよね」
「馬の蹄は人間で言うと爪なんだよ」
「爪ですか?」
「そう、それと馬の蹄は人間で言うと中指だけなんだ」
「え、そうなんですか?」
「他の指は退化しちまった。早く走るためにそうなったらしいんだが、馬はその爪が減りやすいんだな。それと傷やケガもしやすい、それで蹄鉄を付けることを考え出したんだ」
「へー」
「それも大昔にだ」
「そんなに昔からですか?」
「ローマ帝国とかさ、そのぐらい昔の話だ」
「え、そんなに昔なんですか」御子柴が素直に感心する。
「うん、ところがさ、日本には蹄鉄の歴史がないんだな」
「どうしてですか?」
「日本の馬って元からいるやつは爪が頑丈だったらしい。日本古来の馬ってずんぐりむっくりしてるだろう、足元の負担も少なかったんだろうな。海外の馬が輸入されてから日本でも蹄鉄が普及し出した。明治維新の頃だな。だから、装蹄の歴史が海外と日本では桁違いに短いんだ」
「なるほど」
「サラブレッドの装蹄技術なんて細かいところがわからないところが多くてさ。俺なんか自分で試行錯誤したもんさ」
「そうだったんですね」
「まあ、職人の世界だよ、装蹄師なんてのは、だから俺もうまくは教えられない。見て覚えろって時代だからな」
「そうですか」
「そんなもんで弟子もたくさんいて、通り一遍は教えたんだけど、俺の域にいるかといわれるとそこまでになったやつはいない」
「そうですか、先ほどの話ですと、馬によって適切な蹄鉄があると考えていいんでしょうか?」
「そりゃあるよ。馬だって色々個性があるからな。あと蹄鉄の付け方が大事でね。爪を削ることを削蹄って言うんだけど、それも重要なんだ」
「ただ、そういった微妙な匙加減は福原さんしかわからないってお話ですよね」
「残念だけど本当に微妙なところはいくら教えても理解できないんだな。まあ、教え方が下手なのかもしれないね」
福原はお茶をすすりながら苦笑いをする。
「実は私の知り合いのとちぎ競馬の厩舎に屈腱炎で苦しんでる馬がいるんです」
「とちぎか、でも、もう俺には無理だよ。うまく手が動かせない」
「そんなに微妙なんですね」
「勘に近いのかな。言葉じゃないんだよ。さっきの話じゃないが、俺はとにかく必要なら何でもやったね。元々、競走馬は外国のものだからね。海外の本も読んだし、英語はよくわからなかったけど、装蹄のやり方も最初は見よう見真似でやったんだ。俺は凝り性なんだ。とにかくどうやったらうまく装蹄できるかを研究しまくったよ。いろんな技術を習得したさ、鋸鍛冶、刀鍛冶、こけし職人とかもやったよ。やりすぎて自分しかわからないものになっちまったな。それとサラブレッドの中身も研究した。構造だとか骨格だとかさ、中身を知らないとだめなんだよ」
「それはすごいですね」
「まあ、好きだから出来たんだろうな。馬が好きじゃないとさ」
「そうですか・・・・話が戻りますが、後継者はいないんですね」
「おれの弟子は今も装蹄師をやってるよ」
「じゃあ、そういった方を紹介していただけますか?」
「うん、でもさっきも言ったけど屈腱炎の馬を治すまではどうかな。一通りのことは出来るんだが、みんなその先をやろうとしないんだよな。今は馬も多いしさ、流れ作業だからな」
「ブレイクスルーってやつですかね」
「英語でそういうのかな。日本語でいうと創意工夫とでもいうのかな、色々試行錯誤して物事をやろうとしない。忙しいのもあるんだろうけどね」
「そうですね」
そこまで話して福原が考える。話をしていいのかどうかを考えているようだ。そしておもむろに話す。御子柴の熱意が通じたのか、
「でもね。おれの孫がいるんだけど、そいつは少し目があるかな」
「お孫さんですか?」
「今は大学で獣医になってるよ。あいつだけは俺の感覚が少しはわかるみたいだ。小さいころから色々面倒を見たからね。あの子も馬が好きでさ、俺の所で修業もしたんだよ」
「何ていう方なんですか?」
「福原碧って名前で、大学の先生だよ」
「え、先生ですか?」
「馬の研究に没頭しすぎていまだに結婚もしてないよ。歳はあなたぐらいなのかな」
「30歳ですか?」
「もう少し上だったかな。まあそのくらいの歳だな」
「そうですか。その方に見てもらえたりしますかね」
「どうかな。研究者だからな。その馬が研究対象として興味が持てたらってところかもしれない」
「なるほど、学者さんですもんね。そうですか、ところでお孫さんの連絡先はわかりますか?」
「ああ、わかるよ。ちょっと待ってな」
福原が別室に行って手帳の様なものを持ってくる。御子柴は少し期待の持てそうな話で内心ほっとする。
「これが電話番号だな。ああ、ちょうど栃木の大学じゃねえか」
「え、そうなんですか?」
「宇都宮大学だから、そうだよな」
御子柴が手帳の住所を確認する。確かに宇都宮大学とある。
その後、本人と大学の連絡先を確認してからも御子柴は福原にまつわる様々な話を聞いた。ヒーロー誌に載せるためである。さすがの知識量で今までに携わった過去の名馬が次々と出てくる。御子柴も良く知らなかったが、そこまで多くの馬が福原の治療で競走馬生活を続けられたことに驚いた。
福原のインタビューが終了し、当初の予定通り、飯坂温泉の旅館に一泊する。ここはけっこういい温泉場だった。大きな露天風呂があり、隠れた名湯かもしれない。平日と言うこともあり、ゆっくり浸かって、十分、疲れを取ってから翌日、東京に戻った。
早速、福原碧に連絡をとるが、個人の電話はつながらなかった。不在のようだった。
宇都宮大学の福原碧を調べると、宇都宮大学農学部の講師らしい。所属は青嶋研究室だった。やはりとちぎ競馬には近い。31歳なので御子柴と同年代である。自宅の電話がつながらないので大学に電話をしてみる。すると、なんと彼女はアメリカのケンタッキー大学に留学中であった。アメリカには8月いっぱいいるらしい。日本には9月から復学するとのこと、これは困ったことになった。
御子柴はこれまでの結果を踏まえて、村井調教師に電話をする。
「御子柴です。お疲れ様です」
『村井です、どうもお疲れ様です』
「村井さん、例の伝説の装蹄師を見つけました」
『え、そうなんですか』さすがに声がうれしそうだ。
「その方は福原朗さんとおっしゃるんですが、残念ながらもう引退されていて装蹄作業は無理だと言われました」
『ああ、そうですか、それは残念でした』電話からも村井の失望が伝わる。
「はい、ただ、その福原さんにお孫さんがおられて、宇都宮大学で講師をなさっている方なんですが、彼女なら少しは力になれるのかもとおっしゃってくださっているんです」
『はい』再び村井の声が跳ねる。
「ただ、今現在、アメリカ留学中だそうで9月にならないと日本に戻られないそうです」
『ああ、そうですか、ついてないですね』また、落ち込む。
「お力になれなくてすみません。また、9月になったら動いてみますね」
『はい、どうも色々すみませんでした』明らかに落胆したのがわかる声だ。
「それでアムロですが、予定通り青葉賞へ出走されるのでしょうか?」
『はい、出走登録しました』
「そうですか、それは楽しみですね、ご検討をお祈りします」
『はい、がんばります』
御子柴は電話を切る。いよいよアムロが中央競馬でその姿を現すのか、楽しみが大きい。ただ、屈腱炎の程度がよくわからない。本当に出走していいのかも不明だ。
厩舎の中では電話を切った村井が立ち尽くしている。厩舎内には歩美以外のスタッフが全員いる。村井は失望感が大きい。このままアムロを走らせて大丈夫なのか不安だらけだ。
騎手の御手洗、厩務員のごんじい、それと調馬師の近藤が電話の内容を推し量る。
「村井さん駄目だったんですか?」
「うん、装蹄師は海外出張中らしい、しばらくは帰国しないそうだ」
「伝説の装蹄師が海外出張?」歩美が不思議そうな顔をする。
「あ、いやいや、伝説の装蹄師はもう引退しててさ、その孫が装蹄できるみたいなんだけど、彼女が出張中だってこと」
「孫か」歩美が言う。
「そうですか、仕方ないですね」御手洗も落胆している。そんなみんなを元気づけようと村井が話す。
「とちぎ競馬の装蹄師でなんとかやるしかないな。今までもやってきたんだから、なんとかなるとは思うぞ」
しかし、メンバーの表情は暗い。近藤が話す。
「アムロが走らないと、うちだけの話じゃなくて、とちぎ競馬自体がやばいよ」
「わかってる」
「この前も県の連中に聞いたけど、いつまで競馬が続けられるかわからないみたいだよ」
「赤字続きだからな。県議会でも廃止の話が毎回出ているらしい」
「足利競馬場が3月に廃止で高崎だっていつ廃止になるか。北関東自体がなくなりそうじゃないですか?」
「ああ」
「今回のアムロ景気でうちは少しは希望が持てるみたいだけど、そのアムロだってどこまで走れるか、いずれはじり貧ですよね」
御手洗がごんじいに話をする。
「ごんじいはうちが無くなったらどうする?」
「俺はもうやめるよ。60歳もとうに過ぎてるし、最近は体に色々ガタがきている。馬の世話も大変だ」
「ほかの地方競馬に行くにしても、数に限りがあるからな。それにどこの地方競馬だって同じような状況だからな。村井さんはどうするんだ?」近藤が話す。
「そうだな。子供もいるから、おれは競馬をやめるかもな」
「やめてどうするんだ?」
「やれる仕事も限られてるよな。おれなんか学歴もないし、まあ、力仕事かな」
「県のほうは何か仕事を斡旋してくれるのかね?」
「まあ、ハローワークに行けって言われるんだろうな。今は景気も悪いからな」
「そうだよな。武はどうする?」
「俺も馬に乗るしか能がないからな。他場の試験を受けて受からなければ、どこかの牧場に行くしかないかな」
「中央は厳しいのかい?」
「無理無理、条件が厳しいし、それをクリアしたってその後の試験で落とされるよ。おれ、頭悪いからな」
「他場だって試験あるだろ、同じじゃねえのか?」
「そうかな。ここの試験は受かったんだから、大丈夫じゃねえの」
「とちぎの試験レベルは低いのかもしれない」歩美が余計なことを言う。
そして近藤が一番、重要な話をする。
「いや、それよりも乗せてくれるかが問題だろ」
「そうでした。少なくともここでリーディングを取ってないとだめだな」
そんな御手洗に村井が話す。
「武、お前はいいセンスしてるよ。俺もお前ぐらいの力があれば、騎手を辞めてないよ。限界を感じたな。武は上を目指していけよ」
「村井さんにそう言われると頑張る気がでてきますよ」
「近藤さんも他場で十分やれる力はあると思うよ」
「はあ、できれば続けたいです。そういう意味じゃ、村井さんだって十分、やれるでしょう、とちぎでももっといい馬が集まればリーディングだって張れるよ」
「いや、そこが難しい。おれはどうもそういった馬を集めるだの、オーナーの機嫌を伺うだのが上手く出来ない。だから結局、いい馬が集まらない」
「そうかな、おれはよくやってると思うよ。めぐりあわせの問題だよ」
「ありがとね。まあ、とにかく、今やれることをやるしかないな。明日は明日の風が吹くだ。じゃあ、仕事に戻るか」
各自が自分の仕事に戻って行く。
ただ、村井は内心、とちぎ競馬の廃止は時間の問題だとは思っていた。近い将来とちぎ競馬はなくなるはずだ。
5
アムロのオーナーである阿部裕一郎は元々、都内の大手精密機器メーカーの設計部門にいた。実際そこでは設計部門のエースとして仕事をしていた。設計部門でありながら加工機についても勉強したため、設計から加工まで仕事はオールマイティにこなせていた。最終的には管理職に昇進し、設計部門を任されるまでになった。ただ、元から上昇志向が強く、一介のサラリーマンで終わるつもりはなかった。
そして阿部が35歳の1989年に一念発起し、独立起業した。バブル経済最盛期の頃で世間が完全に浮かれていた時期である。当時の関係先であった事務機器メーカーからの仕事が見込めたことから、その会社がある宇都宮で起業した。ちょうど宇都宮市が事業支援の形で土地については低金利で融資してくれることもあった。その時に同じ会社で働いていた設計部門の後輩の岸田と経理部門の同期の岡部を誘って現在の阿部工業の母体が出来た。
メーカーから依頼された主な仕事は事務機器に使うユニットの組み立て部品だった。阿部は元々、そういったユニットの設計、組立てはお手の物であり、一定の受注数を見込めたことから、会社として初期投資もかなり行った。バブル景気のこの時期はどこの金融機関も大盤振る舞いで融資は簡単に通った。収益見込みもあったことから、必要な成型機、加工機なども一気に購入した。同期の岡部は経営肌で、経理部門にいたが営業能力も高く、彼の手腕で他の業種にも参入し、会社として製造販売を拡大していった。一時期は30名以上の社員を抱え、さらに工場を広げようかとも話をしていたほどである。
そして何の前触れもなく、バブル景気が崩壊した。1991年には各メーカーからの受注も減り、さらにその後に価格競争が始まった。物が売れないためである。また、大手メーカーも負債を抱えており、新規受注なども激減した。
それでも阿部工業は持ち前の技術力でなんとか難局を乗り越えてやっていたが、2001年になり最も当てにしていた事務機器メーカーが倒産してしまった。徐々に受注も減り、不安視はしていたが、阿部にしてみれば青天の霹靂であった。売り上げの50%はその大手メーカーからの注文だったために、一気に会社経営が厳しくなる。
さらにはバブル以降の各メーカーからの部品値下げ要請の嵐もあった。とにかく阿部の様な中小企業はメーカーからの注文が命である。そこが安い他社に部品注文を移すことは日常茶飯事で、同じような中小企業は生き残りをかけて採算度返しで注文を取ろうとする。そのため阿部工業の利益幅もどんどん小さくなる。
かつては30名以上いた阿部工業の従業員も現在は10名程度にせざるを得なかった。ほぼ正社員のみが残った形になる。阿部も従業員、人が会社の基盤である点は重々、承知しており、給料については昇級やボーナス支給は出来なかったが、支払いを止めるようなことだけは避けてきた。
その正社員たちは起業時に地元で集めた。基本はフリーターに毛の生えたような人材ばかりで、元ヤンキーなどが多かったが、阿部達経営陣の熱意もあり、また、従業員もその意気に答える形で成長してくれていた。そういった社員の知り合いからの入社する人間もも増えて、現在の構成になった経緯はある。彼ら彼女の団結力は強く、阿部工業がこんな状態であっても不満は述べるが残ってくれていた。
しかし、そんな中、経営の柱だった創立メンバーの岡部がついに退社し、会社としての営業活動が滞ってしまった。岡部の退社については、彼の家族を守るためにはやむを得ない選択とのことで、阿部も了承せざるを得なかった。
阿部は当初の設備投資の回収計画もうまくいかず、自身の貯金を切り崩し、なんとか会社経営をおこなっていた。
そして阿部自身の不幸は会社だけに留まらなかった。妻の玲子が2001年の洪水被害で亡くなってしまい、そしてその後、息子祐介の心臓病が判明する。ついには今年から入院という事態にまでなってしまった。まさに四面楚歌の状況であった。阿部にはまったく将来の希望が見えなかった。
阿部工業の2階の事務室。従業員もいなくなった深夜、阿部と幹部の岸田が話をしている。二人とも表情が暗い。
「社長、5月15日期限の手形が落ちないかもしれないです」
「そうか、1000万円だったな。再度の資金繰りが必要か・・・」
「そうです」
「昨年は臨時収入で乗り越えたが、今回は如何ともし難いな」
「はい」
「やはり、家内の生命保険を充ててる時点でどうしようもなかったんだな」
昨年の資金繰りは妻の生命保険3000万円を使って急場をしのいでいた。
「社長、言いたくはありませんが、やはり例の馬の売却を検討されては?今なら数千万円でも購入してくれる方がいると思います」
岸田が言うのはアムロのことだ。
「うん、わかってる。しかし、あの馬は息子の生きがいになっている。もう少し待ってくれ」
「はい、わかります。であれば、やはり何か大口の仕事を見つけないと」
「ああ、それもわかってる」
阿部はため息をつく。実際、関係先や昔の仲間に仕事の依頼を続けていたが、新たな大口案件を見つけられずにいた。
「やっぱり、俺は経営者としての才覚がなかったのかな」
「社長、弱音を吐いてる場合じゃないですよ。いつも言ってたでしょ、技術力さえあれば、仕事は見つかるって。うちには技術力があるじゃないですか」
「そうだな。営業力が伴っていないけどな」阿部が苦笑いする。
「岸田には悪い事をしたな」
阿部は大手から独立した際に同僚だった岸田を誘って起業した経緯がある。10数年間、苦楽を共にした仲である。歳は5歳下だが岸田の援助があって阿部が持っている。
「岸田はうちが無くなっても生きていけるだろう、それぐらいの実力はあるよ」
「社長、貴方の長所は底抜けのポジティヴ志向ですよね。それを忘れちゃだめですよ」
「うん、そうだったな。底抜けだったな」
こんな時にも力づけてくれる頼もしい後輩がいる。阿部が笑顔になる。
「ああ、とにかく、精いっぱい仕事探しと資金繰りに動いてみる。金融機関を当たるよ」
阿部は明日も関係先回りと金融機関めぐりに行くことを考える。