第六話 体育祭実行委員
退屈な午前の授業も終わり、杏子は2年1組の教室の前に立っていた。
桜子とお昼を一緒にするためであった。
外から教室を覗き込むと桜子は取り巻きのクラスメイトに一言二言声を掛け、杏子のいる扉の方へ向かってきた。
「ごめんね。行こうか。」
昼食の時間はいつもふたりで食べている。
桜子の取り巻きもご一緒したいのだろうが、おそらく杏子の存在が、そうさせないのであろう。
旧美術室、ここは中等部に上がってからほぼ毎日ふたりで昼食を取る場所である。この名門校は生徒数に対してあまりにも広大な土地に、お城のように広い建物であるため、存在が忘れられた教室も多くある。その一つがこの旧美術室であった。
教室の隅っこにのみふたり分の机と椅子が置いてあり、その席に向かい合うように座った。
お弁当を広げ、いつも通りに昼食を始める。
「そういえば、授業にはついていけてる?」
桜子が心配そうにこちらを見る。
これは本当に心配している顔だ。
「俺も心配だったんだけど、どうやら杏子はそこそこ勉強できたらしい。今の所問題ない。」
記憶が戻る前の杏子の成績は学年上位20位以内であった。生前の中学時代まともに勉強した事ない現在の杏子にとって不安要素であったのは事実だ。
「ならよかったけど。成績落とさないように勉強しないとね。一緒にいれなくなっちゃうから。」
「やっぱ、私立中学だと成績次第で退学とかあるのか?」
「もちろんあるわ。一応名門校だしね。テストも近いし、放課後に家か図書室で勉強する?」
杏子は昨日の約束を思い出した。
「あ!そうだ今日、朝野さんと放課後図書室で約束があったんだ。絵を描く約束。お前も来るか?」
桜子は少し考える間を置いて答える。
「私はやめておくわ。折角友達になったばっかりなんだから、今はふたりで遊んだ方がいいわよ。私が行ったら朝野さん萎縮しちゃうと思う。」
「そうだよな!朝野さんと遊ぶ時はしばらくふたりで遊ぶよ。いつか紹介するから。」
「そうね。楽しみにしてる。」
夏月杏子となってはじめてできた友達に会う放課後が楽しみな一方で、何を話そうかと心配になった昼休みであった。
午後のホームルーム、この時間が終われば今日も一日が終わる。しかし、杏子のクラス2年3組は終われない事情があった。
担任「お前ら。うちのクラスだけだぞ。体育祭の実行委員が決まってないのは。今日決まるまではホームルームは終わらないからな。」
そんなーとクラスから溜息が漏れる。
「わたくしお茶のお稽古があるのに。」
クラスの女子が呟くと、その囁きがクラス全体に伝染する。
「俺も今日はレストランで家族の食事が!」
「私もバレエのレッスンがあるのに…」
クラス中から囁かれる悲鳴の中、杏子も他人事ではないと焦っている。
「俺も朝野さんとの約束がー。遅れて行って嫌われたらどうしよう。」
杏子は頭を抱える。
「じゃあ立候補いるか?」
クラスが沈黙する。
杏子はこの雰囲気が嫌いであった。
誰かやれよと心の声が聞こえてくるような静寂。うじうじと他人任せの連中に埒が明かず、最終的にクラスの立場のよくない者に押し付けて終わる。そもそも、クラスでデカい顔してる連中が大事な時にクラスを引っ張らないのにも納得がいかない。
「せんせー私やりまーす!」
杏子の手は自然と上がった。
クラス中の目線が一斉に向く。担任教師ですら驚きの表情を隠せないでいた。
「な、夏月本当にいいんだな?」
それもそうである。普段ぼっちでクラスのどのグループにも所属せず、過去のイベント事にも消極的であった。杏子の行動は驚くべきものであった。
「めんどくせーから、やるよ。これでお開きでいいだろ。」
普段知っている杏子から考えられない言葉遣いにクラスにいる全員が驚愕した。
「じゃあ1人は夏月だな」
黒板に名前を書いた。
「え?まだ決めんの?」
杏子が担任に少し大きな声で問う。
「聞いてなかったのか。男子2人、女子2人だ。女子はあと1人になったが男子はどうなんだ。」
クラス中の男子が少し間を置いて一斉に手を挙げ出した。
ハイハイと手を挙げる男子の目的は単純なもので、クラスの美少女の夏月杏子と同じ委員をやりたいと言うだけの理由であった。
担任は待て待てと掌でクラス全体を落ち着かせる。
「じゃあ男子はじゃんけんできめろ。」
男子連中のじゃんけん大会が始まった。
勝ち上がったのは小太りで眼鏡をかけたタケと呼ばれるいかにもオタクな男子とタケの友達と思しき、もやしのようなヒョロヒョロの体に特徴的な前歯をもつコウちゃんと呼ばれる男子であった。
男子から落胆の声が上がり、無事男子の実行委員は決まった。
「こいつらが体育祭実行委員かよ。本当に大丈夫か」なんて杏子が思っていると。
場を仕切っている担任は最後の1人の女子を決め始めた。
「女子は立候補いないな?じゃあ推薦はいるか?」
するとポニーテールの女子が手を挙げ発言を始めた。
「星宮さんがいいと思いまーす!」
杏子は昨日自分に嫌味を言ってきた女子だとすぐ理解した。
「あいつ俺以外にもいびってる奴いんのか?」
ポニーテールの取り巻きも賛同をはじめると、クラス全体がその空気に染まるのはあっという間だった。
担任はこの空気を察した。
「星宮。お前推薦されてるがやりたくないならはっきり言えよ。」
しかし星宮の返事はなかった。
杏子は星宮と呼ばれる人物を探し、クラスを見渡す。
すると制服の上からトラックジャージを着て、いかにもサブカル風な女が机に突っ伏して寝ているのを確認した。
「星宮!」
担任の一喝に星宮は気だるそうに顔を上げた。
「お前実行委員に推薦されてるけど、どうする?」
星宮は目を擦りながら答える。
「別に構わないっすよ。」
実行委員が決定しクラス全員は安堵に包まれた。
「実行委員になった4人来週会議あるから、よろしく頼んだぞ。」
場はお開きとなり、担任が教室を出る。
急いで図書室へ向かうために帰り支度を始めると、クラスの女子からヒソヒソと杏子に対しての陰口が聞こえた。
「昨日からあの子変じゃない?」
「人が変わったみたいね。」
「中二病でも発症したんじゃない?」
「下品な子ね?あんな子だったんだ。」
色々と聞こえてくるが、気にせず図書室へ向かおうとすると。
目の前に小太り眼鏡の男子生徒と特徴的な前歯の男子生徒が前に立ちはだかった。
杏子はたしかタケとコウちゃんかと思い足を止める。
「何?急いでるんだけど?」
はじめて美少女と会話するタケの緊張は杏子にも伝わった。
「な、夏月嬢、拙者たちと、た、体育祭盛り上げていきましょう!!」
最後声裏返ってたよなと思っていると。
コウちゃんも続ける。
「わ、私たちがいれば。問題はナッシングのノープロムでやんすよー。」
杏子は困惑する。生まれ変わる前の記憶を辿っても出会ったことのない人種であった。とにかく生理的な恐怖を覚えたが相手を傷つけないように話す。
「嬢はやめてよ。一緒に頑張ろうね!」
最後にとっておきの笑顔を見せる。
「「グフッ」」
タケとコウちゃんは顔を赤くしながら、大きな唾を飲み込む。杏子は同時に2人の男子中学生を恋に落とした事を自覚した。
「最後の笑顔は余計だったな」なんて思っていると、硬直した男子生徒ふたりは「では!」と言いながら逃げるようにこの場を立ち去った。
杏子は待たせている朝野の元へ早く向かわなければと思ったが、実行委員のもう一人の女子である星宮へ挨拶だけしておこうと思った。
気怠そうに帰り支度をする星宮に杏子は声をかける。
「星宮さんよろしくね。実行委員頑張ろうね。」
星宮は無言でこちらに目を向ける。
「あぁ、あんたがもう一人ね。わかった。」
塩対応だ。このコミュ症め。と思った杏子であったが、体育祭を無事に終わらせるためにも少しでも上手くやろうとしていた。
しかし、星宮はヘッドホンを鞄から取り出し、首にかけ帰ろうとしている。杏子は少しでもコミュニケーションを取らなければと思い声を掛ける。
「あんな決まり方だったけど、やってみたら、案外楽しいかもしれないね?」
しかし、星宮は杏子から背を向けながら答える。
「仕事はやる。必要であれば雑用でも言ってくれたらいい、ただ私と関わろうとするな。」
そう言うと教室から出て行った。
杏子は誰もいなくなった教室でひとり呆気に取られていた。時計の針は16時を示していた。