18ー行かなくちゃいけない気がして
治安維持隊は、今、劣勢の中で戦いを強いられている。バレッティやナナハツが手を出していない東と南の戦場でも、それは同じだった。居住区襲撃による戦力の分散が、思いの外効果を発揮している。革命軍の猛攻は、止まることを知らず、治安維持隊の陣形を、内へ、内へと追いやってゆく。しかしどうあっても、皇域を明け渡す訳にはいかない。
例え、この戦場を有利に導いていたBLACK隊員が、突然、別の部隊の応援に向かって、圧倒的不利になろうと、ここで負ける訳にはいかない。光弾を一斉に放ち、弾幕を張り、侵略に、抗う。
火の手が上がった居住区第四区、五区、七区では、分散された治安維持隊が、各地の暴動の対処に当たっていた。隊員達を乗せた大型ビークルが、サイレンを鳴らし、現場へと急行する。現場での戦闘を想定し、車上で装備を整える。中央都市での戦闘で傷を負った者達は、鎮痛剤の注射を肩に刺し、『リジェネール』を傷口に塗りたくった。
通称、『リジェネール』。正確には『応急処置用細胞再生促進剤』といい、傷口に塗ると傷が治る速度が通常の3倍になる、というゲル状の薬だ。
傷をなんとかして癒しながら、隊員達は到着の時を今か今かと待つ。
業火から放たれた熱風が、車の窓から吹き込んできた。ばちばちと火の粉が降り注ぐ音がする。鼻をさす煙幕と、コンクリートの焼ける臭いがする。周りの景色が熱を帯びて、鮮やかな赤橙に染まる。人の狂騒が、まだ聞こえる。この騒音は全部、テロの混乱より生じる狂騒だ。
「着いたぞ!第四区だ!行くぞお前ら!」
部隊長の声で、隊員達が一斉に立ち上がる。パルスマシンガンをしっかりと脇に抱え込み、車の二台から列をなして飛び出す。駆け出す足音は、一気に大きくなってゆく。炎が揺れる方へ、射撃の陣形をとりはじめた。
だがしかし、射撃体制がそろそろ整う、その時だった。
「おい、待て!一同その場で止まれ!」
命令のままに、隊員達の動きがぴたりと止まる。炎は、猶もごおごおと燃え盛っている。
そうだ。目の前では確かに火の手が豪勢に上がっている。しかし、その実行犯はどこだ。何度見回しても、辺りには炎に焼かれる居住ビル群の中、逃げ惑う人民の姿しか目に映らない。ここで暴動を起こしている『はず』の反乱分子が、いない。第四区も、第五区も、第七区も、どこを探しても、反乱分子の姿は見当たらない。
「…部隊長。消火の開始と人民の避難誘導を。」
「まんまと奴らにしてやられたって事かよ…!」
編成部隊第一隊、第二隊、第三隊は、すぐさま事態の収集をつけるべく、それぞれの場所で、消火活動と避難誘導を開始した。
本来、護衛対象であるはずの治安維持隊本部に背を向け、西の戦場へとバイクを走らせていく。身体から湧いてくる得体の知れない衝動で動いたのは、これが彼のとって初めてのことだった。
今、バルキンは、ザナエルの事が心配で仕方がなかった。横を通り過ぎる風を感じながら、モニターに映っていた、ザナエルの苦しげな表情を思い浮かべた。すると、彼を突き動かしたあの時の衝動が、より強くなってゆくのが分かる。
BLACKの『仕事』を目の当たりにしたあの夜。今まで彼の中で渦巻いていた『捩れ』が、ようやく真っ直ぐになった。彼の姿が、『捩れ』を真っ直ぐにしてくれた。彼には、ザナエルがここで死ぬ器だとは到底思えなかった。一隊の隊長が、たかがZ階級の『殺人鬼』を助けにいくだなんて、これ以上に馬鹿げた話はない。だが彼は、行かねばならなかった。
それと別にもう一つ、彼には気がかりな事がある。人権革命軍は、何故か、この治安維持隊本部を全く襲って来ない。
本部の周辺に待機していた隊員達は、戦火が皇域側の戦場で上がっていると知り、本部の守りを捨てて、加勢に向かっていった。本部に居座る指揮系統を護る者が居なくなっても、指揮は滞りなく伝達できた。
宣言では確かに「皇域と本部を襲う」と言っていた。記録しておいた3日前の宣言映像を何度見返しても、確かにそう言っている。しかし現実には、その気配は一向に現れず、皇域周辺での戦いが勢いを増すばかりである。
あれは、革命軍側が戦力を少しでも分散しようとしてついた嘘だったのだろうか。最初から狙いは、皇域ただ一つだったか。今はそう思い込むしか無い。
バルキンの中で、焦燥と葛藤と疑問符が、ぐるぐると巡り、混ざって、胸のあたりに嫌なものを残す。がしかし、今は、まだそれを思い悩む時では無い。
こんなことをしても、彼等には足手まといにしかならないだろう。バルキン1人来た所で、戦況は、何も変わらないだろう。がしかし、彼は行かねばならない。あいつを、ザナエルを信じようとした、『衝動』の正体を、何としても暴かねばならない。自分との約束を、あいつに果たして貰わないといけない。自分の正義を、街の平静を守りたいという正義を、信じてくれた彼を、ここで死なせることはできない。何でもいいから、彼の力になりたい。
俺は、行かなくちゃいけないんだ。
胸の奥底から輝きを放つ意思が、混ぜこぜになってしまった訳のわからぬ不安を攫って、かき消してゆく。中央道を突っ切り、風が左右へ流れてゆく。火の手が一番大きな場所を遠目で確かめる。前を向いて、睨む。
アクセルを思い切り回すと、バイクはぐんぐん加速していく。動力機関のコオオオオオッという駆動音が音階を上げて、中央道を疾る。走る。駆けてゆく。