9ー噛み合わない、戻れない
セントラル中央都市治安維持隊本部。その地下4階に、彼等、BLACKは幽閉されている。そこに帰ってきた後でも、彼らは真っ黒なミッションウェアを着ている、ということはなく、任務が終わると装備は回収され、全員がそれぞれのコードの入った患者服のような布を羽織る。BLACK隊員は、そうする事を強いられている。
現段階でBLACK隊員は、Z786、Z787、X402、Y056の4人。しかしこれでは呼びづらいので、互いにそれぞれが、ザナエル、ザナエナ、ゼフォーツ、ユレイゴロと呼び合っている。
…ゼフォーツを除いては、だが。
「こんな狭っ苦しいとこに閉じ込めてさ、きっと上の奴らは嗤ってんだろうな。」
ザナエナの左頬を、ゼフォーツの右拳がかする。そこらに散った汗の粒がぶつかり合う。
この静閑な収容施設では、たいていゼフォーツが話を切り出している。が、そんな事は誰も望んでいないのである。しかし、こうしてたった4人で戦闘能力の向上に黙々と努めるのもそれはそれでつまらないので、ザナエナが仕方なく話に乗ってやっている。
「ゼフォーツ。私達の力は、軽々しく扱うと治安維持隊の秩序そのものを揺るがしかねないから、こうして地下に幽閉するしかないの。」
「けど流石に生体の完全管理はやりすぎじゃないか?24時間ずっと身体見張られてちゃ、落ち着いてクソもできやしねぇ。プライバシーってのがねぇんだよ。」
「最下層である俺たちに、そんなもんあると思うか?」
着替えを終えたユレイゴロはそう言ってザナエナと入れ替わった。すぐさま拳を構える。訓練でも、4人とも容赦はない。
「俺たちはこの『アラストル』の力の適性があったからここにいるってだけだ。俺たちの立場そのものが変わった訳じゃ無いってのは、お前もわかってるだ、ろっ!」
「っっ!」
早速ずんぐりとした腕から爽快な一撃がゼフォーツの右肩に入る。意外といい威力だ。反射で肩を押さえざるを得ない。
ユレイゴロの額の汗が少しベタつく。
「だから、せめてこの施設の中での静かさだけでも身体に刻んでおくといいぞ。俺たちの仕事は、人殺しだからな。」
「…人の素性も知らないくせに、知った風な口を聞くなよ。」
訓練の終わりはいつでも唐突に来るが、今の彼の一言で、場は確実に訓練を続けられなくなった。ゼフォーツは黙ってシャワー室へ向かった。
「…えっと…。おじさんなんか言いすぎたか。」
「さあ。彼はいつでもああですから…。」
別に、皆んな彼の事が嫌いだというわけでは無い。しかし、彼がひねくれている以上仕事仲間として接するのは無理だろう。
動き足りないので、ユレイゴロはもう少し訓練を続けることにした。
ところで、ザナエルが見当たらない。
「ザナエナ、ザナエルはどうした?」
「私がゼフォーツと組む前に組んでて、終わった後に少し1人になる、って部屋を出ましたよ。」
「そうか…。じゃあ彼に、俺と組んでくれないか頼みに行ってもらっていいかな?」
「分かりました。」
ザナエナは部屋を出て、ザナエルを探しにいった。
彼らBLACKの居住施設は、大きく分けて、トレーニングルーム、スリーピングルーム、ミーティングルーム、シャワールームに分けられる。ヘリポートへ続くエレベーターから降りると、大きな廊下があり、右側にトレーニングルームとシャワールームが奥に並んでいる。左側は手前が、大きなモニターとテーブルがあるミーティングルームで、奥がスリーピングルームになっている。
スリーピングルームの就寝台は正直そこまで寝心地は良くない。腰あたりの壁から台がせり出していて、その表面がカーペットのような素材でできている。支給される薄いブランケットを腹にかけて、その台の上で寝る、という何とも安眠できそうに無い使い方だ。
しかし、その形のせいで、椅子としての方が使い勝手はいいのだ。
ザナエルは、その“椅子”に座り込んで静かに俯いていた。
「あ、いた!ザナエル!」
「ザナエナ。」
ザナエルが見当たらないとき、彼は大体ここにいるので、ザナエナは彼を探すのにそこまで苦労しない。安心したように微笑みかけ、彼女は部屋に入ってきた。
「何してたの?」
「…何も。」
「ユレイゴロさんがザナエルと組み手したいって。」
「すぐ行くと伝えてくれ。」
「うん。」
返ってくる彼の言葉は、どれもがあまりにもか細い。俯いたまま、彼は動かない。息の1つも、はっきりとは聞こえては来ない。ザナエナの性分で、そんな彼を放っておけるはずがなかった。
「…ザナエル。隣、いいかな?」
「構わない。」
彼女は、彼と同じ台に座り、少し肩の距離を寄せた。
じっとしていると、時間が過ぎてゆく。ほんの2分、3分だ。でもそれが彼女にとって、まるで秒針が普段の半分の速さで進んでいるような、ゆっくりとした時間だった。隣に、彼もいてくれている。
「ねぇ、こうしてると思い出さない?私達が初めて会った時。」
「…ああ。」
「暗い暗いビルの隙間だったね。そこでザナエルが座り込んで少しかびたおっきなパンを食べてて、その隣で私が空腹で死にそうになってて。」
「…君にそのパン、全部やったな。」
「そうそう。死にそうだったところに、ザナエルが寄ってきて、食べてたパンを私の口に突っ込んで。泣きじゃくりながら頬張ったなぁ。」
話していると思い出が色濃く蘇って、彼女はクスッと笑えてきた。
「その時私、すっごい嬉しくて。その後もずーっとザナエルの後を追いかけ回してさ。ザナエルは何も言わなかったけど、勝手についてきた私のこと、突っぱねたりもしなくて。私嬉しかった。」
「そうだな。」
「一緒にゴミ袋の中漁ったりして2人で暮らしてた時に、黒い服の人から適性ありって言われて。いい暮らしができるってことで、私達2人ともそのまま手術を受けてBLACK隊員になったね。ちょうど5年前くらい。11歳の時だね。」
「そして『アラストル』を授かった…。」
「懐かしいなぁっ。」
思い出に浸り、笑みをこぼすザナエナ。
しかし、ふと、彼の、ザナエルの様子に気づいた。表情が動かない。先程からぴたりとも動かず、彼は俯き続けている。
心配になって彼女は彼の顔を、目を、覗き込んでみると、やはり、彼の目には何も映っていなかった。全てが終わり尽くしたような、そんな佇まいをしていた。それが、彼女にとっては、哀しくて仕方が無かった。
「…やっぱり、変わったよね。エル。昔はあんなに優しかったのに。」
「…“エル”はやめてくれ。」
「戻ろうよ、エル。また私を、“エナ”って呼んでよ。」
彼が変わってしまったのは、BLACKに入隊してからだった。当たり前だ。人を殺すことを道とされて、それで誰があの頃の自分のままでいられるのか。生きる為に誰かを殺さなければならない。彼はそんな世界に引き入られてしまったのだ。いつしか彼は、考えることをもやめていた。それが、Z階級である彼が救われる、唯一の方法なのだから。
『エナ』の言葉は、彼への切なる祈りのようであった。
「…戻れないよ。この力を貰って、人殺しをして、それでいいだなんて。今更、戻れないよ。」
眼は何も語らぬまま、彼は立ち上がり、ユレイゴロのもとへ向かおうとした。
「私はまだあなたのことを“エル”って呼びたい!」
彼女の声が、彼を一瞬、引き止めた。が、やはり、彼は脚を止める訳にはいかない。
返す言葉もなく、ザナエルはトレーニングルームへ向かった。彼女を部屋に、1人残して。