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適性者探し

 SNS、掲示板、マッチングアプリ。何処を探しても駄目だった。


 死にたいという言葉をファッションブランドとしか思っていない下らない連中ばかりだ。

 人を殺すと決めてからもう三日経つ。


 早く殺してやりたい。一刻も早く、この胸の空洞を埋めたい。


 俺はこの三日間、目標遂行の為に適性者を探している。心の底からこの世界に絶望している人間を、見つけ出さなければならないからだ。


 人を殺すと言っても誰でもいい訳じゃない。今すぐナイフを取り、駅前のスクランブル交差点を血で染めるのも悪くはないが、それは本望ではない。俺は優しい人間なんだ。


 死にたくない奴を殺したくないし、悲しむ遺族の姿も出来れば想像したくない。

殺すなら、死んでも誰も悲しまないような人間がいい。


 初めからいなかったみたいに、翌日の夕刻を待たずとも忘れ去られるような露命を奪いたい。

そうすれば誰も悲しまずに済むし、そいつの人生を俺だけの物に出来る。


 俺は半ば惰性的にSNSの検索フォームに『死にたい』と入力する。


 電子世界に散りばめられた無数の叫びを一つ一つ汲み取り、書き手の人物像を想像し、適性者を探す。

 彼らの文章を散見している内に、俺は意外なことに気が付いた。


 どうやら死にたいと言うのは生きたいとよく似た言葉らしい。


彼らはあくまで、不幸が重くのしかかり、ひたすら悲歎に暮れるだけの人生ならば死にたいのであり、孰れ幸福が訪れるのならば生きていたいのだ。


 死にたいという言葉を誤解なく伝えるとするなら、それは「このまま生きていたくない」という表現になるだろうと俺は思う。


 無論、全ての死にたいが生きたいの写し鏡だと定義することは出来ないし、純粋に自死だけを願っている者も大勢いるだろう。



『死にたい』



 自己完結的な惨憺たる呟き。そしてその返信欄には『じゃあ死ねよ』という、的外れで、鋭利に尖った言葉という名の凶器が不法投棄されていた。


 人体への損害は罪として裁かれるのに、所謂、心と定義される内面への損害に関しては、何故賠償請求すらされないのだろう。


 言葉によって傷付き、嫌悪によって自負心を喪失し、血反吐を吐いて道端に行き倒れている無数の尊厳については、何故誰も警鐘を鳴らさないのだろう。


その無関心という暴力によって生まれた俺という怪物が今まさに、人の命を以てして、それを奪い返そうとしているというのに。


 人はいつだって自分の痛みには敏感で、それでいて他人の痛みには鈍感なのだ。


 ともかく『死にたい』で対象を絞るのは辞めだ。もっと有用な言葉がある筈だ。俺の目的を達成するに適した人物を探し当てるだけの、甘美な言葉がある筈だ。


 そう、死にたいより、殺されたい人間を見つけ出すべきだ。だがそれを公言する馬鹿は駄目だ。

 殺してくれませんかなどという呟きがあったとして、馬鹿正直にそいつを殺せば独房へ直行だ。


 どうにかして捕まるのは避けたい。今更こんな人生はどうだっていいが、不自由は嫌いだ。

 それに、そんな奴は殺すにも値しない。聡明でなくても、ある程度の知能がないと面倒なことになり兼ねない。殺し、殺される契約を交わしたとて、直前になって命乞いでもされたらたまったものじゃない。


 とは言え、インターネットで対象を探すなら、それも無理な話だ。心を読む力でもない限り、やはり言葉として『殺して』という三文字がないと適性者など見つけられる訳がない。

 全く…どうしたものか。


 こんなことなら、中学時代俺にしつこく暴力を振るってきた同級生か、ネグレクトな両親でも殺した方がマシなのではないだろうか。……しかしそれはそれで問題がある。


 妙な話かもしれないが、俺は彼らを憎んではいないのだ。あのクソ野郎も、世間体しか気にしない母も、無関心な父も、彼らなりの意図があってそうしていたのだ。


 両親に愛されなかったのは、俺に愛される価値がなかったからで、いじめられたのは、学校という小さなコミュニティの中で俺が上手く立ち回れなかったからだ。


 それでも人を殺したい程憎んでいるのは、親でも、クソ野郎でもなく、俺を不幸にしたこの世界だ。

 寧ろ彼らに関して言えば、俺はこの先ずっと笑って生きて欲しいとすら思っている。


 俺をいじめた過去があるからと言って、後ろめたさを抱えて生きて欲しくないし、あわよくば新しい子供でも作ってさっさと俺を忘れて欲しい。


 両親が二児を産まなかったことについて、俺はかなり負い目を感じている。俺という成り損ないのせいで、子供に対する興味を失くしてしまったのではないかと思っているからだ。


 俺が言うことではないかもしれないが、両親の境遇を考えると気の毒だとさえ思ってしまう。

 幾億の精子の中で、最も失敗作の俺を見事に引き当てたのだから。逆説的に言えば、途轍もない強運の持ち主と言える。


 俺は長い間、同じ妄想に取り憑かれている。もし、産まれてくるのが俺じゃなかったら、母さんも父さんもきっと、毎晩その子供と楽しくやれていただろう。

 色とりどりの温かい手料理で一杯になった食卓を家族みんなで囲み、母さんは子供にこう投げかける。


「たくさん食べてね」


 その子は明るい声で元気に返事をし、次の瞬間には、その日学校であった楽しい話題を笑顔で両親に提供するのだ。

 その幸福とも名付け難い世俗的な家庭の日常に、俺はいらなかった。


 生きる価値のない人間はいないと、時に人は唱えるが、俺はそれが戯言であるということを、この身を以て証明した。俺が死んだ後、泣いてくれる人間は一人もいない。


 それだけならまだいい。自分で自分の存在を認めてやれるなら、誰に弔われなくとも、自己肯定という形で報われることが出来るだろう。


 しかし、俺にはどちらも掴めなかった。自分を好きになることも、人に好かれることも出来なかった。


 だから俺は奪うことにしたのだ。俺の人生に何一つとして意味がないのなら、価値がないなら、奪えばいい。


 暗海(あんかい)に漂流し、未だ救難艇を待ち惚ける胸臆(きょうおく)の隙を数秒でも埋めることが出来るのなら、仮令(たとえ)その先に待っているのが取るに足らぬ達成感だとしても構わない。


 常夜(とこよ)(ふち)に吹き溜まる落涙(らくるい)の海から、泥中(でいちゅう)(はす)のように芽吹いたのは愛ではなく、憎悪という曼珠沙華(まんじゅしゃげ)だった。そして俺にはもう、その憎しみくらいしか残されたものなどないのだ。



 俺は休憩がてらショートピース片手にベランダへ出る。



 二階のベランダで吸う煙草は不味い。アパート正面の道路を往来する人々に、まるで視姦されているような気分になる。黄昏(たそがれ)の喫煙空間は聖域なのだ。誰にも邪魔はされたくない。


 実家のマンションが七階だった為、二階の低い視点に慣れないというのもあるが、煙草を吸うには適した場所というものがあるのだ。


 俺が両親からの支援を元手に、このアパートに越して来たのは三年近く前のこと。

 両親には、通学に都合がいいからと取って付けたような説明を展開したが、実際はただあの家に居たくなかっただけだ。


「よくそんなの吸うよね」


 さっきまで物音もしなかったのに、ずっとしゃがんでいたのだろうか?


「居たんですか……あなたも吸ってるでしょ」


 隣人の彼女は一年程前に長らく空き家だった隣室に越してきて、それからから時々こうして俺に話を振ってくる。

 二十二歳の女子大学生で、明るく染めた髪色がよく似合う華々しい顔の持ち主だ。


「五ミリだし」


「煙草は煙草ですよ」


「相変わらず可愛気ないねー。君のは未成年が吸う銘柄じゃないよ」


「美味いから、仕方ないんです」


「またそんなこと言って、恰好つけでしょ?」


「少なからずそれもありますよ。でも喫煙者で、煙を吐く自分に一度も酔ったことのない人間なんていないでしょう?」


「まあ、どうだろうね」


 ベランダで二人並び、こうして他愛もない会話をするのは、正直嫌いな時間ではなかった。

引きこもり同然の生活を送っている俺にとって、生身の人間と話す機会は貴重だ。


 最近では隣人の彼女とコンビニ店員くらいしか他人と言語を交わしていない。

 自分自身とは毎日のように、否定と肯定の言葉遊びを行っているが、やはり全く別の考えを持った他人との交流というのは、それとはまた別の有意義さがある。


「今日は学校休みなんですか?」


「日曜だからね」


「え、あぁ、そうでした」


「ていうか、君も学生じゃん。……もしかしてまだ学校休んでるの?」


「今年はもう留年することにしました」


「……大丈夫なの?そんなんで。ここ最近ずっと顔色悪いし、今日こそ普通だけど、大体いつもお酒臭いしさ」


「平気ですよ。俺はこれがデフォルトなんです」


「別に進級については厚かましくどうこう言うつもりはないけど、折角休んでるんならどっか遊びにでも行けばいいじゃん。精神的にもリフレッシュ出来るだろうし」


「外に出るのが億劫(おっくう)なんですよ。コンビニとベランダに出てるだけまだマシな方です」


「ベランダが外扱いってのは、中々重症だね」


「考え方は人それぞれなので」


「それ言ったら無敵じゃん」


今まさに雑談をしている相手が、近い内に人を殺そうとしていると知ったら、彼女はどんな反応を示すのだろうか。


 ……そうだ。どうせなら彼女から何か着想のヒントをもらえないだろうか。

 煮詰まっている状況を改善するにあたり、最も手っ取り早いとされる、他人の意見を聞くという通俗的な方法を試してみよう。


「あの、少し相談に乗ってもらってもいいですか?」


「相談???全然いいけど、珍しいね、君が相談なんて。性に合わなそうなのに」


「趣旨の掴みづらい話だと思うんですが……」


 俺はそう前置きをしながら、何をどう聞こうか思案する。


「自分と近しい思想の人間を探すにあたって、最適なネットの媒体はなんだと思います?」


「うーん?近しい思想……えーっと……質問に質問で返すようで悪いけど、つまりは共感出来る人を探したいって話?」


「まあ、大体そんなところです」


「共感かぁ……共感と言えば、SNSが固いんだろうけど、言うて私もその辺疎いしね…」


 彼女は遠方の景色を眺めながら、ベランダの柵に左肘をついて、左手の親指で顎を掻く。


「私はよくブログとか見てるかな」


「ブログ……」


そうか、それがあったな。普段全く利用しないから思い付きもしなかった。


「変わった日記を書いてる人がいてね、一般の方なんだけど、中々面白いんだ。そう、私が感じていたのはこれの事だ!って、気付くというか、共感するというか、自分で消化しきれなかったもやもやを言語化してくれてる感じがするんだ」


 日記。人目につくことよりも、心象を吐露することに重きを置いた純粋な綴り。

 俺が求めていたのはそれだ。自己顕示欲を満たす為に書かれた不純物の文章じゃなく、虚栄をかなぐり捨てたノンフィクションの感傷。


「なるほど、いいですね、ブログ」


「役に立ちそう?」


「はい。少し活路が見えた気がします」


「そ。ならよかった。でも…なんか思い悩んでるなら話聞くよ?誰かに自分の気持ちを分かって欲しい、とかならさ」


「そんなんじゃないですよ。ただ……少し複雑な事情があるんです」


「共感を得たい、複雑な事情?」


「他人なんで」


「人に聞いといて、自分のことは話したくないって訳ね」


「人に弱みを握られるのが怖いんですよ。利用出来るだけ利用して投げ捨てたところで、最悪嫌われて終わりですから」


「利用って……君、変なとこで素直というか、正直だよね」


「俺より素直で正直な人間はいないですよ」


「あ」


 派手な髪色をした隣人は、脈略もなく一驚する。


「どうしたんですか?」


「一本ちょうだい。愛しのクールブーストちゃんがお亡くなりになった」


「あぁ、まあ…いいですけど…はい」


 タール差的に大丈夫だろうかと心配しつつ、俺は彼女にショートピースの箱を手渡す。


「一本でいいって」


「直接触れられたくないかと思って」


「そういう変な気遣い逆にキモイよ?」


 こちらの配慮を無下に吐き捨てながら、彼女はジッポライターで煙草に明かりを灯し、口を付ける。


「うわっ、めっちゃ口ん中に葉っぱ入ってくんだけど」


「コツがあるんですよ。唇に触れるか触れないかくらいで咥えてみてください」


「いや…やっぱいいや。今からコンビニ行って自分の買ってくるよ」


 彼女はそう言って一口だけ吸ったショートピースを灰皿に押し付けると、自室に戻って行った。


 あの自由奔放な立ち振る舞いは俺も見倣うべきかもしれないな。

 ……とは言え俺だって自分勝手に生きてやると決めた所だ。今更自分の人間性なんて顧みたって、仕方がない。


 俺は一服を終えて部屋に戻り、保留にしていた問題の解決に再度熱を出すことにした。


 デスクの前の椅子に腰を下ろし、日本有数の大型ブログサイトへアクセスする。

 彼女が示した指針を頼りに、ブログから探すと決めたはいいものの、肝心の検索キーワードはどうする?


 殺して下さい?


 いや、そんなんじゃない。もっとありのまま、俺の思うことを情欲的に吐き出せばいい。

 これまでと同じ切り口から進めても意味がないし、これ以上無駄に思考を(せん)じ詰める必要はないだろう。


 俺は野暮(やぼ)思弁(しべん)を捨て、無心でキーボードを鳴らす。



『こんな世界はもううんざりなんだ 誰か殺してくれ』



 推敲(すいこう)などする間もなく小指でエンターキーを叩くと、一件だけ、検索結果に表示された記事があった。まさかこのワードでヒットするなんて。思わぬ収穫に胸を躍らせながら、俺はその記事をクリックする。

 

記事のタイトルは『無題』と書かれており、ブログのタイトルは『ひとりごと』という味気ないもので、内容はこうだ。






『無題』





 聞きたくもなかったクラスメイトの陰口が、ずっと耳に残っている。

読書に勤しむ私を盗み見ながら「あの子は変わっている」「何を考えているか分からないと」ひそひそと話す彼女達の姿が、目に焼き付いている。


 私は自分が変わっていると思ったことはない一度もない。

 コミュニティ内でのカーストを保持する為に、大して好きでもない人の顔色を窺い、腹を探り合って陰口を叩き、毎日毎日飽きもせずに作り笑い合う。


 上面の関係の為に、自分の人間性を無下にし、ピエロのように愛想を振りまいて生きている彼女達の方が、私には何を考えているか分からない。


 人を傷付ける言葉を同調の種としてしか思っていない人間がまともだというなら、普通の人って言葉が持つ意味は、狂人のそれとさほど変わらない。


 それに、どうせ傷付けるんなら、いっその事そのまま殺してくれればいいのに。生殺しのように、ギリギリ生きていられる程度に私を傷付けて、とどめは刺してくれないなんて、あんまりじゃないか。


 優しくしてくれないならせめて、とことん非道に、残虐な悪意を向けてくれた方がまだいいい。

 そしたら私はこの世界を憎むことが出来る。私がこの世界に溶け込めないのはあいつらのせいだと、その傷跡を大義名分(たいぎめいぶん)として、憎しみを原動力に生きていける。


 私はきっと、生まれる場所を間違えたんだ。みんなが大事にしてるものに、楽しいと感じるものに、私はこれっぽっちも価値を感じない。


 神様の手違いか、運命のいたずらかは分からないけど、とにかく、私はこの世界に嫌われている。

 そして私も、この世界が嫌いだ。


 こんな世界も、こんな自分も、もういい加減うんざりだ。私はもう生きていたくない。

かと言って、自分で死ぬ勇気も、私にはない。


 誰か私を殺して。


 毎晩ベッドの上で、そんなことを考える。






 ――ありきたりな厭世観(えんせいかん)(つづ)った日記だったが、共感出来る箇所も多かった。

 俺が両親に対して思っていたことが簡潔に記されている。


 そう、中途半端な嫌悪だから、俺も両親を憎み切れないのだ。いっその事暴力的な虐待でもしてくれていたら、俺は(しん)から復讐を誓うことが出来たかもしれない。


 俺は常日頃から彼らに思っていた。どうせなら悪役に成り切ってくれと、気まぐれに優しさを振り(かざ)さないでくれと。


 愛してくれないならせめて、殺意を抱くほどの凄絶(せいぜつ)な憎悪を、暴力という形で(ほどこ)して欲しかった。俺をここまで歪めた彼らを憎む大義名分が、恋しかった。


 俺はこの文の書き手に興味が出てきた。一体どんな背景があって、ここまで生に憂悶(ゆうもん)するようになったのだろう。


 クラスメイトという単語に加え、私という主語。恐らく、中学生から高校生あたりの女が書いたものだ。

 出来れば未成年は避けたかったが、死にたくて、殺されたい奴なら誰だっていいし、大学生という可能性もなくはない。


 何より、この世界に嫌われていて、私もこの世界が嫌いだという綴りは個人的にかなり気に入った。


 俺もこいつと同じだ。俺もこの世界から嫌われていて、そしてこの世界が嫌いだ。


 適性者は見つかった。心の底からこの世界に絶望している人間、殺すならこいつしかいない。


 俺はすぐさまサイトのアカウントを作り、この記事の書き手である、『( ひな)(さえず )る』宛にダイレクトメッセージを送信した。



『俺なら君の問題解決に役立てると思う』

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