「九龍」1
第三章「九龍」1
第三章、拓編スタート。
香港にやってきた拓たちは、日本人が行っているという演奏会に出かける。
そこにいたのは、確かに日本人だった。
会った事のない少年だった。
だが、その少年……篤志は拓たちを知っていた。
不思議な縁が繋がる……。
***
中国 香港市 九龍地区。
ここには香港市の中でも古い市街が残っている。
同地区内でも新九龍地区は大きなビルや商業施設が並んでいる。九龍城区は閑静な住宅街があり、油尖旺区には昔ながらの街並みがみっしり集まっている。九龍地区は香港市の中心的なエリアの一角だ。
しかし、この世界的な大都市も他の都市同様世界の崩壊からは逃れられない。何者がどうやって破壊したのか分からないが、ランドマークになりそうな大きな建物は破壊されている。
住人はいる。だが多くはない。
<香港>の案内人、楊の話によれば香港市内には約4000人の人間が住んでいる。香港市は東京23区の倍ほどもあるから、人口は少ない。大体20、30人ほどの集団が点々と住んでいるような状況だ。
ただ……住人たちに活気はなく、全体的に裕福さはなく、どこか貧相で荒廃していた。
が……夜になると、ぞろりぞろりと尖沙咀の港のほうに向かう人々がいた。
その人々だけは、どこか活気があった。
「どうやら今日らしい」
拓は上着を深く羽織り直した。
「しかし本当かね? 日本人の音楽家ってのは」
時宗が隣で煙草を吹かしながらスプリングコートのポケットに手を突っ込む。
「夜になると現れる。そして演奏会を開く。客は自由に礼を置いていくが、別に報酬が決まっているわけではない。何もなくても自由に聞いて帰ってもいい。ただ、どうやら<香港>の組織の人間が仲介にいるらしく、手ぶらが続けば目を付けられる……という話だが」
姜は黒いロングコートを着ている。
三人は噂の日本人音楽家を見るため、夕方に隠れ家を出た。
三人共上着を着ているのは、拳銃を持っていることを隠すためだ。この香港に住む住人たちも銃を持つ者もいるようだが、大っぴらに出して歩いているのは<香港>の組織に属している人間だけだ。拓たちも余計ないざこざは起こしたくない。
「音楽か。祐次じゃないよな?」
拓は首を捻る。
祐次の趣味がギターなのは仲が良かった日本人は知っている。
「祐次はコンサートしねーよ。あいつ、人見知りだしな」
ああ見えて祐次はそこそこ音楽の才があり、即興で弾き語りや歌を歌ったりする。が、あれは自分が好きで弾いているだけで、人に聞かせたくて弾いているわけではない、そういうタイプだ。だから仲のいい友人たちの間でしか演奏はしなかった。好きな洋楽を自分のアレンジで編曲して歌ったり、有名な曲はなんとなく楽譜なしで弾けたりしたから、天才とまではいえないが、才能はあった。
「娯楽がない。だから貴重なのだろう? 音楽に国境はないからな」
姜の言うとおりだろう。拓たちもそう思う。いまやテレビもラジオもない時代だ。
だがどうして夜やるのか……そこが少し引っかかっていた。
***
尖沙咀のスターフェリー乗り場に集まった住人は約300人ほどだろうか。
港の一角に大きな篝火が炊かれている。
人々が大きな円を作っていた。
その真ん中に、二人の人影があった。
一人は若い男……少年だ。15、16歳だろうか。東洋人で、柔らかい栗色の髪をもつ優しげな風貌をしていた。美少年だといっていい。
少年の傍で、もう一人いる。頭からすっぽりフードを被り、年齢も性別も分からない。
少年は人々が集まったのを確認すると、奥に控える<香港>の一団らしき男たちに一礼。それからゆっくりとヴァイオリンを持ち上げた。
演奏会が始まった。
最初に奏でられたのは、有名なヴァイオリン協奏曲ヴィヴァルディー『四季』だ。
見事な演奏だ。
クラシック音楽を嗜まない拓たちにも、この音楽がいかに素晴らしく心地いいか分かる。
娯楽のない世界でこの音楽は何よりもご馳走だ。
続いてベートーベン協奏曲。チャイコフスキー協奏曲……と有名なヴァイオリン曲が続く。
人々は、その美しい旋律に吐息を漏らした。
テレビもラジオもない崩壊した世界で、美しい音楽は何よりも心地よい娯楽だ。
曲は、クラシックだけではなかった。
次に少年が弾いたのは、オードリー・ヘップバーンで有名な「ムーン・リバー」だった。
すると……座っていたフードの女が、英語で歌い始めた。
絶妙な歌声で、素晴らしい。
「驚いたな。クラシック・コンサートじゃないのか」
人混みに混じり曲を聴いていた拓が感心しながら頷く。元々習ったものではなく、演奏会で人々を喜ばせるためオリジナルで弾いているのだろう。だとしたら相当な腕前だ。
次の曲も歌謡曲でカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」、最後はセリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」だった。
この曲を聴いた拓と時宗は、顔を見合わせた。ようやく気がついた。
どれも元々ヴァイオリン曲ではない。だが曲の癖が、どこかの誰かが弾いていたギターの曲調によく似ていたのだ。そして全て古い洋楽好きのあいつの得意曲だ。
「知り合いか?」と姜。
「いや、知らねーガキだ」と首を横に振る時宗。
「だけど日本人のようだ。欧州から来たのが本当なら……」
確か、話では300日の時差がある。だから有り得るかもしれない。
しかし、この少年は初めて見る。日本にはいなかったし、第六班でも第八班でもない。
少年は演奏を終え、静かに一礼した。
観客たちは惜しみなく拍手を送る。
そして観客たちは、それぞれ持ち寄ったお礼を少年たちの前に置いていった。食料だったり酒だったり時計や指輪だったりと、特に決まってはいない。そして集まった報酬は、少年と女ではなく、控えていた<香港>の組織の人間が集めて持っていく。代わりに<香港>の組織の人間は何かを少年に手渡していた。どうやら<香港>の組織が取り仕切っている事は間違いないらしい。
少年は余計な言葉は発せず、ヴァイオリンをバッグに戻し、女と共に立ち去ろうとした。
そこに、拓たちは進み出た。
「待ってくれ」
拓は、日本語で少年に問いかけてみた。
少年は立ち止まった。日本語が分かった。間違いない、日本人だ。
拓たちを見た少年の顔に、驚きが浮かんだ。
「仲村拓さん……と……福田時宗さん……ですか?」
少年の言葉に今度は拓たちが驚く。むろん日本語だ。
「何で俺たちの事知っているんだ? お前」
「やっぱり……仲村さんと福田さん……なんですね?」
拓と時宗は顔を見合わせた。
「どこかで会った事がある?」
「いいえ。初めてです」
そういうと少年……篤志は懐から一枚の写真を取り出し、拓たちに差し出した。
それを受け取った拓は、さっき抱いた予感が的中していたことを知った。
写真は、拓、時宗、祐次、そしてJOLJUの四人が写っている。これは東京にいた時、JOLJUのスマホで撮ったものだ。そして裏には祐次のメッセージが書き残されている。
<もし仲村拓と福田時宗という若者が生きていたら頼れ。俺の名前を出せば力になってくれる>
「間違いねぇー! 祐次の筆跡だ。なんて偶然だ」
「君は?」
「僕は荻野篤志。ドイツから日本を目指してここまで来ました」
篤志の表情に笑みが浮かんだ。
そして、そっと右手を差し出した。
拓たちは顔を見合わせ……代表して拓がその右手を握る。
「嬉しいです。日本の人と会うのは久しぶりですから」
「こっちも驚いたよ。まさかこんなところで日本人がいるなんて。でも……どうして香港で演奏会なんかしているんだ?」
「色々事情があって……中々この街から出られないんです」
そういうと、篤志は傍で控える女性を見た。
「貴方たちなら……この人の事を教えても問題ありませんよね?」
「さっきの歌手? この人も日本人?」
「違う。私は日本人ではない」
女がそう答えた。そして金属の首輪に触れた後、僅かにフードを捲った。
特徴ある青白い肌と顔の刺繍が目に入った。
拓と時宗はすぐに分かった。
「ク・プリアン!?」
「ク・プリを知っている。どうやら日本にク・プリアンが保護されているということは事実のようだ。私はレ・ギレタル。ク・プリの航海士だ。歌は趣味でね。喜んでもらえて光栄だ」
「…………」
思いもかけない出会いだった。双方にとって。
互いに初めての出会いだが、この出会いが重要なことは双方分かった。
「よければ来ますか? 僕たちの船へ。良かったら泊まって行って下さい」
「俺たちまだ他に三人仲間がいるけど、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。街より快適だと思いますよ。ああ、でも今ここにきたボートにはそんなに乗れませんけど」
「……じゃあ、とりあえず俺たちだけで……」
思いもかけない展開になっていった。
第三章「九龍」1でした。
第三章本編スタートです。
第三章は、拓編、エダ編、拓編、エダ編……という感じで交互になります。
ここで篤志君とレ・ギレタルが登場して拓たちは接触しました。
前回の話と繋がったというわけです。
あのドイツの外伝短編から結構時間が経過しています。
大体10カ月くらいです。
つまり祐次たちのエダ編とも半年以上のズレがありますが、その分エダたちのほうにその分だけ色々事件があるわけですが。
香港は4000人くらいすんでいますが、ここは無政府状態です。
さて、拓たちの香港活動編が色々始まります!
まずは篤志との出会いから。
これからも「AL」をよろしくお願いします。




