「衝突」1
殺人事件を捜査する拓ち。
通訳にレンがやってきた。
しかし情報は得られない。
拓は時宗とレンと別れ、町を行く。
そして懐かしい人物と再会を果たした……。
***
街道から少し外れた山間に小さな小屋があった。元々農家か猟師の休息所用に作った掘っ立て小屋で、錆びた農具と椅子だけが残されていた。
優美と啓吾は、ここに武器とガソリンと水、そして保存食を隠すことにした。
入り口からは見えないところにそれらをかためて置き、田圃で拾ったボロボロの布の被せ、さらにその上に薪を置いた。そして念のため小屋の入り口のところにも薪を並べた。
見る限りこの周囲に人が入ってきた気配はないから、多分ここはまだ誰にも見つかっていない。
一応周囲を入念に偵察し、さらに尾行などない事も確認して、そして入念に隠した。
「これでいっか」
「かなりしっかり隠したしね」
二人が隠したのはM4カービン1丁、リボルバー1丁、弾50発。水、食料4×2日分、ガリソン20Lだ。貴重だが、こんな数はALの群れの一つに一度遭遇するだけで消えてなくなってしまうしガソリンも精々広州市あたりに着くのが限度だ。
「食料とガソリンはここに貯めよう。半径40キロまで伸ばせば、ガソリンはまだ手に入るよ」
「そうね。あんまりガソリン飲みたくないけど」
ガソリンは意外に放置してある車などに残っている。皆エンジンがかからないからガソリンがない、と思い込んでいることが多いのだ。そして抜き出すためには給油パイプのようなものが必要なのだが、必ず持ち合わせているとは限らない。結果意外にガソリンは手付かずで残っていたりする。給油パイプがなければゴムホースでもいい。ただし最初に口で吸い込まなければならない。一度吸い込み流れを作れば地面との高低差と気圧の関係でタンクのガソリンは全て外に出る。ただ、それをやるとき注意しなければガソリンが喉の中に入り込む。いち早くガソリンの気配を感じたらホースから口を離さなければならない。日本で調達班をしていた二人はこのあたりは大分慣れているが、それでもたまに口の中がガソリンまみれになる。むろん一度口に入ったガソリンは水分が混じったので使えない。
「問題は、拓たちだけど……」
「殺人事件か。変なことに巻き込まれなければ良いけど」
あまりいい予感はしない。
それは拓も同じなのだろう。だから物資を外に隠させた。
こうなったら、一日でも早く<新世界>を出たほうがいい。物資が少ないのは工夫と知恵でなんとかなる。
悪い予感がした。
***
一方、拓と時宗。
色々観察しながら屋敷の門まで戻ると、レンが黙って二人を待っていた。
可愛い女子が加わったことに時宗は喜ぶ。
「よかった♪ 拓と二人、地獄かと思った」
「なら一人で冥途に行け」
「通訳、したらいいの?」
多少外国人らしいちょっと不自然なイントネーションはあるが、日本語は問題ないようだ。
「ああ、頼む。でも、君がこっちに来たら矢崎さんは困らない?」
「矢崎は、大分中国語が喋れるから、問題ないの」
「そっか。一年もいれば嫌でも覚えるか」
確か矢崎は元々外資系の会社員だった。元々多少使えたのかもしれない。
ということで、三人で住人たちに昨夜の事について聞き込みを始めた。
しかし有益な情報は何もない。
基本夜は皆出歩かないし、住んでいるのも屋敷の近くが多く、町の入り口辺りの事は分からない。夜になればあたりは暗闇が濃く誰も出歩かない。
それに町の住民は覇気がなく、人が死に、殺人犯がどこかにいるのに、みんなどこか無関心だった。
結局一時間ほど聞き込みをしたが、何の収穫もなかった。
「どうするよ、拓」
何も分かりませんでした、では気まずい。
「俺、廃屋めぐりしてくるわ。お前はレンちゃん連れて屋敷に帰っていていいよ」
「俺とレンちゃん二人で廃屋巡りしてこようか? 二時間くらい」
「俺一人で屋敷に帰ってどうする」
下心が分かりやすい男、時宗。ここまで自分に素直な男は珍しい。前世はイタリア人かもしれない。
「そういや、屋敷の奥にも長屋があったな。あそこはまだ見てねーな」
「ああ、あったな。確かに行ったことない」
「……じゃあ、案内する」
レンは静かに言うと、黙って歩き出した。なんだか少し不機嫌になった気がする。
「ま、いいわ。行ってくる。一人でベソかくなよ」
そういうと時宗はレンの後を追って屋敷に戻っていった。
拓は二人が戻ったのを見て、一人町の西側の廃墟郡目指して歩く。
***
すぐに人気がなくなり、無人の町になった。
入念に周囲を見回し一軒家に入った。そこは家具など一切なく、ただ土間があるだけだ。
拓は一度二階を確認し、再び一階に戻ったとき……ボロボロの大きな布を頭からすっぽり被った人影が出現していた。
予想したとおりだ。犯人はずっと拓を見つけて尾行していた。その気配は全く分からなかったが、実は拓は今回の事件を知ったときから犯人が誰か分かっていた。そして拓たちでは探しても見つけられない特別な相手である事も。
「良かった。無事生きていて」
「ああ。生きている」
そういうと人影は頭から被った布を取った。
そこにいたのは北朝鮮軍人、姜 英姫。一週間ぶりの再会だった。
姜は以前と違い、中国の農村にいる普通の服装になっていたが、腰には大型ナイフがあり、懐には大型の拳銃がホルスターに入っている。
姜には殺気はない。だが拓との再会を歓迎している風には見えなかった。
拓としてもどうしたものか。
「門兵を殺したのは君?」
「ああ、私だ。敵を殺すのに理由はいるか?」
「殺さなくても! 普通に入ってきたら良かったのに!」
「そうはいかん。お前たちからは返してもらわねばならないからな」
「何を?」
「銃だ。我が同志たちの銃を奪っただろう?」
あの拓たちと一緒にいた村で転がっていたAK47とSMGの事だ。あの後拓たちの情報を聞いて矢崎の手下が回収にいった。それを姜に見られていたのだろう。そしてここを突き止め、ついに襲ってきた……という事のようだ。
これはどうやら双方話し合いで解決しそうにない。
「全部取り戻すまでやるのか?」
「あれは我が祖国人民のものだ。奪うことは許されない」
「交渉したらいいだろ!? どうして殺すんだ! 取り返しがつかない!」
「悪いが交渉できるような文明人ではないようなのでな。蛮族には武力しかない」
「どういうことだ?」
「ならば聞くが、ここは文明と道徳に満ちた理想郷か? 暴力と強欲が人民を従わせている蛮族の地ではないのか?」
「…………」
「<新世界>? ただの野蛮な地だ」
「かもしれない。だけど人は殺していない」
「殺すより悪逆な事をしているのに、か?」
拓は黙った。
姜が日本人に対して差別的な偏見を持っていることは知っている。だが彼女自身偏屈なわけではない。20代前半で多国言語を操る才女ですでに崩壊世界に順応している。あの村でもALに対してすぐに共闘できたし、今もこうして会話が成立し、襲い掛かってくる気配はない。
彼女は話が通じる相手には、こうしてちゃんと話が出来るのだ。
そんな彼女が、矢崎は話が通じない相手だと判断した。だから問答無用で殺した。
矢崎は何かしたのか? 何か隠しているのか?
「俺はここの全てを知っているわけじゃない。矢崎さんが悪い事をしているのなら知りたい」
拓がそう言って姜に近寄ったときだ。
これまで平静だった姜の顔に嫌悪感が浮かんだかと思うと、一瞬にして拓に飛び掛った。
そして拓に圧し掛かり、腰のナイフを抜くと刃を拓の喉に当てた。抵抗する暇もない。
「見損なったぞ! 貴様も堕落したようだな!」
「何を……!?」
「気づかないとでも思ったか! これだから日本人は!」
「だから何を!?」
「阿片だ! 世が崩壊したら早速阿片か!? 度し難い民族だ!」
何だって……!?
拓は姜の言葉に愕然となった。むろん阿片などやっていない。
だが……すぐに心当たりがあった。
矢崎の部屋に満ちていた独特の甘い匂い……あれは阿片の煙か!?
その匂いが服に移った。その僅かな芳香に姜は気づいた。彼女は特殊工作員だ。麻薬関係にも精通しているのだろう。
「俺はやってない。多分どこかで匂いがついただけだ」
「…………」
「俺がどんな人間か、君なら分かるだろ!? 俺が麻薬に溺れるような人間か!?」
「……なら確認させてもらう……もし他にもお前が悪逆の道に堕ちていたら、即殺す」
「確認?」
そういうと姜はニヤリと笑う。
そして拓の顔に近づき、拓が抵抗する間もなく、拓の唇に自分の口を当てた。
「!?」
突然のキスに驚く拓。だが口は塞がれて声は出ない。
愛などではなく、本当に確認でもするかのように、姜の舌が拓の口の中で蠢く。
離れた。
そして姜は立ち上がると、濡れた唇を手で拭い、右手に握ったナイフをホルダーに戻した。
「阿片臭はない。どうやら衣服についたというのは本当のようだ。信じてやる」
「あ……ありがとう」
拓のほうが度肝を抜かれてしまった。これがファーストキスというわけではないが、さすがに突然美人と濃厚なキスをするとは思わず頭が真っ白になっている。
だが姜はふざけたわけでもなく、からかったのでもない。これで重要な事を確認した。
「女の匂いもない。つまりお前はシロだ。殺さないでおいてやる」
「…………」
女の匂い? そりゃあ女っ気はないが……。
姜はそんなことを言っているようではなさそうだ。
その時、唐突に……拓はある事実に気づいた。
10代半ばから後半……いや、二十歳半ばまで広げて……独身の若い美人の姿をこの<新世界>では見ていない。例外は優美とレンくらいだ。
いないはずがない。日本では生存者は比較的若い者が多く老人が少ない傾向にあった。それはここも同じだと思う。200人の小さな集団だとしても、5人くらいはいるはずだ。
今ひとつ矢崎に心を許していない元気のない住人。血色がよく威勢のいい兵士たちの差。
そして優美の聞いた言葉、今朝のレンと、姜の嫌悪感。
「まさか……」
拓は思わず言葉を失った。
もしそれが事実であれば……姜は絶対に矢崎を許すことはない。そして拓も、それが事実であれば、この場にとてもではないが居られない。
***
時宗は、レンの先導で屋敷の北になる長屋に向かっていた。
ここに向かうことにしてから、レンは一言も口を利かない。
「結局、あそこは何があんの?」
これでこの質問は何度目だろうか。ただ沈黙して歩くのも嫌なので喋っているが、レンは答える様子はない。
長屋のところには兵士が一人いた。
時宗の姿を見て訝しそうに立ち上がったが、先頭にいるレンを見ると相好を崩し、何か中国語で口早に言うと、道を開けさっさと屋内に引っ込んだ。
「なんか妙だな?」
明らかに雰囲気が町と違う。屋敷とも違う。そしてレンと兵士の間では暗黙の何かがある。これは、殺人事件とは別の何かだ。
レンに案内されて中に入った時宗。中は6つほどの部屋に分かれている。ドアは全て閉まっていて薄暗い。
そして、かすかに聞こえる荒々しい男の息遣いと、嗚咽する女の声。そして喘ぐ別の女の声。
時宗の顔から、いつものうすら笑いが消えた。
レンは気にすることなく、近くの部屋のドアを開け、中に入った。
中には粗末なベッドが一つ。ベッド脇の小さなテーブルに葉巻のようなものとマッチ。
「ポイントは1000。それで一時間。だけど、屋敷の男は、100ポイントで利用できる」
「…………」
時宗の後ろで、スルスルと服摺れの音がした。
時宗は振り返った。
レンはズボンを脱ぎ、上のシャツを肌蹴させていた。
ここは、売春宿……いや、慰安所だ。むろん女たちは同意も望んでもいない。
時宗はテーブルの上の葉巻を手に取り、匂いを嗅いだ。明らかに煙草でも葉巻でもない。手製で乾かした葉だ。
「マジか……これ麻薬じゃねーの?」
「それは楽になる薬」
レンはそういうとそれを一本取り、口に咥える。そして火を点けた。
「強い男だけが子孫を残す権利がある……矢崎、そう言っている」
「何言ってやがる」
「嫌な現実が忘れられる薬。私、忘れる。その間、体は好きにして」
「正気じゃねーだろ? って、逆か。だから正気を無くすってか? マジかよ」
そういうと時宗はニヤリと笑うと、レンの手から阿片の葉巻を奪い取り、握りつぶした。
「どうしたの? それとも、もう始める?」
「レンちゃん。君、矢崎の恋人じゃねーの?」
「違う。私は……あの人に拾われた、ただの道具。玩具」
「…………」
「だから貴方も気にせず玩具で遊んで」
レンの声に生気はなかった。表情がなく、ただ瞳だけが湿っている。
これは彼女にとっての日常。そして逃れられない地獄の世界。
彼女は若く眼帯をしていれば愛らしい。どれだけの男に弄ばれてきたか……麻薬に手を出さざるをえないほど……。
時宗の目が鋭く光った。
「レンちゃん。俺ぁ、いつでも女の子とラブラブしたいと思っている。恋人絶賛募集中よ。でもな、レンちゃん。俺は愛のないエッチはしねぇーんだわ」
「……抱かないの……?」
「ああ。レンちゃんが俺の事を、心の底から好きになってくれた時……そんときまた誘ってくれ」
「そんなの、私には無縁」
「なんでよ?」
そういうと、レンは自分の顔を覆っていた眼帯をずらした。
時宗は息を飲んだ。
彼女の左目は醜い切り傷で目が潰されていた。
彼女の頬に、一筋の涙が伝った。
「こんな酷い顔の女の子……生きていくためには……それしか方法、ないから」
時宗は顔を上げた。これまでレンの言葉に感情は宿っていなかった。だがこの言葉だけは違う。この言葉は彼女の本当に言葉だ。
そして分かった。
この傷は、ALじゃない。人間がやったものだ。
この愛らしい少女の心を折るためか。矢崎の独占欲か。それとも地獄に耐え切れず自分でやったのか。
時宗は黙って床に落ちた彼女の衣服を手に取り手渡すと、立ち上がった。
「この続きは、いつか俺に惚れてくれた時やろうぜ」
そういうと時宗は黙って部屋を出た。そして外に出て、真っ直ぐ屋敷に向かった。
「衝突」でした。
ということで犯人は、薄々分かっていたとは思いますが姜姐さんです。
そして彼女から聞かされる<新世界>の秘密。
時同じく、非道な慰安所の存在を知った時宗。
これで拓たちは矢崎を信用できなくなりましたね。
だが姜を差し出せば彼女は殺される。
第一素直に従う彼女ではない。
一方時宗のほうも、チャラチャラしていますが怒り心頭です。
なんだか人間関係がこんがらがってきました!
敵は矢崎か、姜か、それとも……?
ということで次回、「衝突」3になります。
拓と時宗はどういう行動に出るのか!?
楽しみにしていてください。
挿絵は……なんかいいものが思い浮かばず……後日入れられたら入れますw
これからも「AL」をよろしくお願いします。




