「君だけでもせめて」2
「君だけでもせめて」2
三人の自殺……。
その事実に、ついにエダたちの心も折れる。
だがそんな三人を叱咤する人間が。
そして、トビィの合流。
彼らは走った。
一秒でも生き永らえるために! 生きるために!!
***
エダは呆然と冷たくなったクレメンタインの手を握り涙を流した。
クレメンタインだけではない。すぐ近くにはデービットとアドラーの死体もあった。
切り刻まれたのではない。
三人とも、ショットガンで撃たれて死んでいた。
ショットガンは昨夜死んだカイルのものだ。
それをデービットが拾い、躊躇うことなくアドラーとクレメンタインを射殺し、最後に自分の胸を撃って死んだ。
躊躇った様子はない。三人とも、止められる前に素早く行い、死んでいた。
エダも、ジェシカも、バーニィーも……これが三人の本当の狙いだと知り愕然となった。三人はもう生きていく気力も希望も失い自ら死を選んだのだ。
これまで何人もの仲間の死を見てきた。
だが今回が一番衝撃的だった。
この世に希望などない。それがまざまざと痛感させられた。
そして、飛び出してきた三人を追ってALが集まり周囲を取り巻いている。
かなり走ってきた。もう教会には戻れない。
ジェシカとバーニィーは銃を持っているが、この惨劇を目の当たりにして、もはや逃げる力が出てこない。
どう足掻いたところで、待つのは死だけではないか。
周囲を取り囲むALは30体近い。いや、この通りにはもっとALがいる。
三人は抗う力もなく、ただ迫ってくるALをぼんやりと見つめていたときだ。
銃声がして、今にもエダに飛び掛ろうとしていたALが破裂した。
続けて3発。弾丸はジェシカとバーニィーの前にいたALも倒す。
ALは、一斉に新たな襲撃者のほうを見た。
エダたちも、見た。
そこにいたのは信じられない人物だった。
「フィリップ……先生……」
「立ちなさいエダ。そして走りなさい」
フィリップは静かに言うと、また1体、ALを撃つ。
「三人とも、走るんだ!」
「先生……」
「先生の最後の教えだ。走りなさい!」
エダには分かった。
これがフィリップの遺言なのだと。彼はALを引き受け、死ぬつもりだ。
エダは立ち上がった。
それを見て、フィリップはとても清々しい優しい笑みを浮かべた。
もう昨日の狂態は嘘のようになく、悟りきった表情だ。手にはしっかりHK USPが握られている。後10発……それだけの時間を稼いで死ぬ。一緒には逃げない。彼が息絶えるまでの時間は、エダたちはALから離れられる。
その覚悟を、エダは知った。
止めても無駄だ。そして口論をしている時間はない。
エダは立ち上がるとジェシカの腕を引っ張った。
「今のうちに走ろう! 精一杯っ!!」
どこに……など関係ない。もう、足が千切れるまで走る。運命が自分たちに死の宣告を下すその瞬間まで、希望は捨てない!
ジェシカも走り出す。そしてバーニィーも二人を追って走った。
前方にはALの群れがいる。その奥にもまた群れが。
それでも全速で前に走る!
後ろで銃声が止んだ。そしてALの奇声が上がった。
フィリップが死んだ。
その時、一台のバイクが通りに現れた。
トビィだ。
「トビィ!!」
その登場に、三人は思わず叫んだ。
「走れ!!」
トビィはバイクで5体ほどのALを引き倒すと、バイクから転がるように飛び降り、そしてすぐに周囲のALをブローニングHPで薙ぎ倒す。完全に背後から襲われたALは簡単に打ち倒されていった。
トビィはマガジンを交換した。
そして走ってきたエダの手を掴むと、一緒に走り出す。
「もう駄目かと思った! トビィ!! 良かった!!」
「グッドニュースだ! ユウジさんがすぐ近くまで来ている!!」
「えっ!?」
「俺を手当てしてくれた。手違いで西の住宅街に行っちまった! だけど! この銃声を聞けば助けに来てくれる!!」
「ほ、本当に!?」
「だから希望は捨てるな! 走れ!!」
四人は駆けた。
銃を撃ち、必死に血路を開きながら、前にと駆けた。
バーニィーのショットガンの弾が切れ、ジェシカの銃も弾が切れた。
「くそたれ!!」
バーニィーは叫ぶ。そしてトビィを見た。
「Good luck. My friends」
そういうとバーニィーは14歳とはとても思えない、逞しい笑みを浮かべると、撃ち尽くしたショットガンを逆手に持ち、走るのを止めた。
瞬く間にALたちに取り囲まれる。それをショットガンを振り回し払いのける。
「トビィ! バーニィーが!!」
ジェシカは叫ぶ。
だがトビィは振り返らなかった。
「走れ」
「でも!」
「走れ!!」
バーニィーは勇者だ。彼は仲間のため、自分が犠牲になることを決意した。
あのフィリップが数十秒稼いだように。自分の命を賭けて、僅か数十秒を稼いでやろうと思った。
この黒人の少ないロンドベルの町で、体が大きい黒人のバーニィーは目立つ存在だった。
だがトビィやジェシカたちは差別することなく同じ仲間として自分を信頼してくれた。男として、黒人の誇りに賭けて、最期まで戦い抜き、見事に死ぬ。
振り返らない。立ち止まらない。
それがバーニィーの勇気に対するトビィたちの思いやり。友情と信頼と尊敬。そしてはなむけだ。
この三日間、彼らを守護していた口数の少ない黒い戦士は、全身を切り刻まれながら、10体以上のALを相手に悪鬼の如く暴れ、獅子奮迅の働きを見せ、20秒近い時間を稼ぎ、静かに地面に倒れた。
三人とも、涙を流しながら走った。
それでも30mも走ると、次の群れが待ち受けている。
トビィは最後のマガジンを交換した。
「……トビィ……」
ジェシカは抱きつくようにトビィを掴んだ。
「エダを大切にね」
「何を」
「アンタ、いい男だよ」
そういうとジェシカはエダの手を握った。
「ジェシカ?」
「生きて」
ジェシカは笑った。すごくチャーミングな笑顔で。この笑顔を、エダは生涯忘れることはなかった。
ジェシカは走るのを止め、群がるALの中に立ち尽くした。
右手を上げ、「バイバイ」と手を振った。
バーニィーのように素手で戦えるわけじゃない。
だけど、せめて数十秒でも……数体でも自分が引き受ければ、あの二人はその分だけ生き永らえる。贅沢は言わない。ほんの数分だって、数秒だっていい。長く生きて欲しい。
事態を理解したエダが振り返ろうとしたが、トビィは強引にそれを体で防ぎ走る。
「ジェシカ!!」
「アンタたちに会えて、良かった」
その呟きは、二人の耳には届かない。
ALの無慈悲な爪が彼女の胸と腹を貫く。そして四方から爪に切り刻まれ、彼女も静かに地面に倒れた。
しかし運命は甘くない。
二人の必死の想いを嘲笑うかのように……行く手にはALが待ち構えている。
前方に20体。後ろにも20体。現実は非情だ。
ついに二人は足を止めた。
走ろうにも、もうエダは限界で足が動かない。肉体的にも、精神的にも。
エダはそっとトビィにしがみついた。
「あたしたち、死ぬんだね」
「死……」
「頑張ったよね。あたしたち」
「…………」
エダは泣いていた。泣きながら儚げに微笑んだ。
その時、トビィの脳裏にある光景が過ぎった。
二ヶ月以上前、レストランで立て篭もり、ALに襲われ、奮闘し死んだ死体。その内一人は自殺していた。そして……自殺した人間は切り刻まれていなかった。
……ALは動くものを殺す……死んだ人間は襲わない……!
そうだ。だから最初ログハウスで遭遇したとき、動かなかった自分たちは襲われずALは素通りしていった。仲間は動いていたから襲われた。
賭けだ。だが稼ぐ時間は少しでいい。これだけ銃を使えば祐次にも聞こえている。数分稼げれば、それでいい。
「エダ」
エダの体を衝撃が走った。
エダは何が起こったかわからず、そのまま意識を失った。
トビィが鳩尾に当身を入れたのだ。
気を失ったエダの体を、トビィは力一杯抱きしめると、そっと地面に寝かせた。
「お前と出会えて、よかった。初恋だった。お前を好きになれて、俺は幸せだった」
そっとエダの頬を撫で、そしてトビィは立ち上がった。
「連中は<死体>は殺さない」
トビィは銃を握る。残り8発だ。
「俺が最後の……囮だ」
そう呟き、ゆっくりとエダから離れる。
ALはトビィに集中し、エダにはまるで関心を示さない。
静かに……包囲が縮まっていく。
ALたちが飛び掛ってくるのと、トビィが銃口を向けたのは同時だった。
飛び掛るALを狙撃する。驚くほど至近距離でALが爆ぜる。
必死に相手の動きを見ながら、まるで舞踏のように軽やかなステップでかわし銃弾を撃ち込む。
鬼気迫るトビィの戦いは見事といってよかった。
だがALたちは人間にそんな感傷は抱かない。無慈悲に数で圧倒し、ただただ攻撃することしか念頭にない。
ついにトビィの銃の弾が切れた。
トビィは弾の切れた拳銃で飛び掛ってくるALを殴り倒す。
が……。
「あっ……」
背後から飛びかかっってきたALの爪が、トビィの背中を貫いた。
血がこみ上げ、口から吐いた。
正面のALの腹部に刺さる。それをトビィは蹴り飛ばす。
しかしここまでだ。トビィはついに足を着いた。
3体のALが跳躍した。
その時だった。
交差点に一台の黒いシボレー・アバランチが現れる。と、同時にフルオートの弾幕が群がるALを片っ端から薙ぎ倒した。
祐次だった。
祐次は車から飛び降りると、素早くマガジンを交換し、そこにいたALを薙ぎ倒していく。フルオートなのに祐次の銃の操作は完璧で、トビィには一発も当たらない。
「……ユウジ……サン……」
薄れ行く意識の中、トビィは祐次の姿をはっきりと見た。
……神は、いた……俺たちの願いを最後の最後で叶えてくれた……!
祐次はあっという間にトビィとエダの周りにいたALを掃討すると、道の奥で群がるALも一気に薙ぎ倒していく。事この場において、最強の存在は奴らではなく、この日本人だ。
祐次は3マガジンを使い完全に制圧した。もうこの周囲にALはいない。
そして倒れこむトビィを抱きとめた。
すでにJOLJUの運転で、車はすぐ傍まで来ている。
祐次は車のドアを開けると、トビィを中に入れた。
「金髪……女の子……生きてる」
「ユージ! そこの金髪の女の子生きてるみたいだJO!」
「何!?」
祐次は倒れているエダに駆け寄り驚く。この少女はどこにも目立った怪我は負っていない。脈も正常で気を失っているだけだ。
すぐにエダを抱きかかえ車に乗せた。
そして振り返った。
路上にまだ二人の男女が倒れている。だがこの二人は夥しい出血をし、ピクリとも動かない。
「どうするJO?」
収容するのか、治療するのか……死亡の確認をするのか……。
3秒ほど祐次は沈黙した。
そして言った。
「生きていたとしても手遅れだ。俺は一人だ。一人しか治せない」
そういうと車に飛び乗った。
「トリアージだ。助かる人間を優先する」
トリアージ……緊急現場において治療の優先度で患者の選別を行う事をそう呼ぶ。緊急治療者を優先し、程度の軽い患者や手遅れの者に時間は割かない。祐次は卓越した医者だが一人だけ。助けられる人間も一人だ。
「……つらいJO……」
一番辛いのは祐次本人だ。
何だこの様は、と自分で自分を罵倒したくなる。
この期になって地図を間違え、治療した患者を勝手に行動させて瀕死の重傷を負わせるなど何たる失態か。
何故もっとちゃんと話を聞かなかったのか。
何故しっかり眠らせてから出てこなかったのか。
もしかしたら助けられた命だったかもしれない。
だが諦めるのはまだ早い!
「病院に向かえ! すぐ手術だ!」
「合点だJO」
JOLJUは自分のスマホを操作し地図アプリを開く。こいつの地図アプリはJOLJUオリジナルで通信できなくてもカーナビのように使える便利道具だ。ここに来る前に病院の場所はあらかじめ調べていたからセッティングはすぐだ。JOLJUは2秒後「場所、分かったJO」というと車を発進させた。
助手席でステアーAUGのマガジンを新しいものに交換しながら、ふと倒れている年長らしき少女を見た。14、15歳の茶髪の利発そうな少女だ。大量の血が地面に広がっている。まだ息があったとしても助からない。
……あの子がエダだったのかもな……。
子供たちの中で一番上が14歳だと聞いていた。リーダー格だと思うからあの子だったかもしれない。その事を思うと祐次の心は後悔と苛立ちで叫びたい気分だった。だが今はあの子供たちが託した命を助ける事が自分の仕事だ。
去っていくシボレー・アバランチを、ほとんど機能しなくなった眼でジェシカはしっかりと焼き付けた。
まだ……彼女は絶命していなかった。
「You……are……m…y……hope……future……」
ほとんど声にならなかったが、最期に彼女はそう言って笑った。
むろんその声を聞いたものはいない。
そして彼女は短い悲劇の人生の終わりに、僅かな満足を得て冥府へと旅立った。
助けたい人間は、助かった。
だが最後に思いもよらない衝撃の事件が、まだ残っている。
「君だけでもせめて」2でした。
クライマックスです。
ここでついにジェシカ、バーニィーも死にました。
トビィも倒れました。
やはり絶望の末の自殺は心にきますね。
多分、あのときから全員自分の死を認識しました。だからジェシカとバーニィーは笑顔で犠牲になりました。
二人の死は仲間のためでもあるし、ある意味自殺でもあります。
最期の台詞は、あえて英語にしました。
そして駆けつけた祐次の苦悩。
助けられなかった命。トリアージという行為。
祐次だってまだ22歳の青年で、本当はまだ医師免許をもっていない医学生です。
そして最後に最大の事件が待っています。
次回が、実はクライマックス佳境です!
これからも「AL」をよろしくお願いします。